28 面影が結ぶ
人ひとり通るのがやっとの大きさのトンネルは、何度も折れまがり、蛇行しながら続いていた。
よどんだ臭いの充満したその中を、延々と這って進んで、ようやく現れた上蓋を開けた先には、満天の星空が広がっていた。
乾いた夜風が、ティアの頬を撫でていく。久方ぶりの外の空気が、この上なくかぐわしいものに感じられて、泣きそうな気持ちになりながら、胸いっぱいに吸いこんだ。とたん、上半身がきしむように痛んで、派手に咳きこむはめになったが。
咳きこみながらも、ティアはトンネルから這い出て、地面にある、今自分が出てきた、隠し通路の蓋をしっかりと閉めた。その上にまわりの土をかぶせて、一見なにもないように隠しておく。
それから咳がおさまってくると、ティアはゆるりと、周囲を見わたした。
(ここは、どのへんなのかしら)
あたりにはなにもない。遠く、左の方角に、緑野の王宮の明かりが見えた。
(逃げちゃった)
ああいうやりとりをしてきた以上、女神はまだ怒らないだろうが、父王はどうかわからない。最後に顔を合わせたときの剣幕からして、ティアまでいなくなったことが知れれば、見つかったら今度はその場で、女神への供物として斬り殺されてしまうかもしれない。
(とにかく、王宮から離れないと)
胸を押さえて、ティアはぐらりと立ちあがった。
(砂塵の国に、行かないと。砂塵の神様に、たしかめないと)
頭の中で、呪文のようにその言葉だけをくりかえし、足を進める。そうしていないと、今にも倒れてしまいそうだった。
ずっと四つん這いでの移動を続けていた足は、二足歩行にとまどうかのようにおぼつかない。体中の骨にひびでも入っているのか、一歩一歩踏み出すごとに、いたるところがぎしぎし痛んだ。とうとう目の前もちかちかしはじめて、ティアは目をこする。
こすってもこすっても、ちかちかするのは治らなかった。おかしいな、と足を止めて、あれ、とティアは小さくつぶやく。
向かう先の闇のかなたに、炎のようなものが、ちかちかと揺れていた。
(なんだろう。夜なのにあんなに明るく――お祭りでもしているの?)
炎に引かれる虫のように、ティアはその明かりのほうへ近寄っていった。
*
赤々と炎が照らすその場所で、行われていたのは、殺戮だった。
「逃がすな、皆殺しだ!」
炎に煙った金くさい夜気に、怒号と悲鳴が交錯する。もとは小さな集落だったのだろう、簡素な草ぶきの小屋がならぶ間を、黒髪に褐色の肌の人々が逃げまどっていた。それを、武器を振りかざして追っている側が身につけている、松明に照らされてちかちかと輝く鎧にはひどく見覚えがあって、ティアは体調のせいだけではないめまいを覚えた。
(緑野の軍隊だわ。小姉様をあぶりだすために、今度は砂塵の民の村を焼きはらってるんだ。神殿で女神様がいってたことは、本当だったんだ……!)
現実の惨劇をまのあたりにして、呆然と立ちつくしたティアの姿を、今ふと、こちらに顔を向けた、鎧の兵士の視線がとらえた。
「おい、あっちにもいるぞ!」
その兵士がそう叫ぶと、近くにいた数人の兵士も、こちらを見た。とっさに、ティアはきびすを返す。
「待て!」
「逃がすな!」
背後で怒号があがったと思うと、すぐに、がしゃがしゃと、鎧の足音が追いかけてきた。
(だめ、だめ、だめ!)
一歩一歩走るごとに、胸が破れそうに痛んで、口の中に血の味が広がった。燃える集落からどんどん遠ざかるように走っているのに、背後のやかましい足音は、ティアを追うのをやめてくれない。闇に乗じて身を隠そうにも、輝く満天の星空のせいで、夜にしてはひどく明るい。
「無駄だ無駄だ! せいぜい逃げろ!」
背後から獲物をなぶるような声が投げつけられた、その瞬間足がもつれて、ティアは地面に倒れこんだ。
細かい砂が頬に食いこむ。すぐに起きあがらなければと思うのに、あちこち痛くて苦しくて、思うように息が吸えない。
がしゃり、すぐそばで鎧の足音が聞こえた。ティアははっと、どうにか顔だけをそちらに向ける。倒れたティアの体の横に、大柄な兵士が立っていて、今、その兵士の振りあげた剣が、星明かりを受けてぎらりと光った。
ティアは目を閉じることもできずに、その銀色の剣が、自分に振りおろされるのを見た。
だが、まさに刃がティアに食いこもうとした瞬間、右手からこぶし大の石が飛来して、兜をつけていなかったその兵士のこめかみに激突した。
「だれだ!」
その兵士はがしゃりと、横ざまに吹っ飛ぶようにしてくずれ落ち、あとから追ってきていたほかの兵士が叫んだ。
殺気立った空気に、おもしろがっているような、ひどく美しい声が通った。
「わー、鎧つきの、大の男が吹っ飛んだよ。まさに火事場の莫迦力だね」
快活な少女の声が答えた。
「どうも! とっさの一撃って強いもんだね」
「そこか!」
あとから追ってきていた二人の兵士が、がしゃがしゃと走りだす音が響いた。が、次の瞬間、
「うぐっ」
星明かりの夜の空気に、濃厚な血の臭気が広がった。ティアがあわてて視線をやった先、二人の兵士らしき影が、そろって喉から血を噴き出しながら、地に倒れていく様子が見えた。
どさりと地面に落ちたあと、ぴくりとも動かなくなった、その、二人の兵士のかたわらに。まるで闇から浮き出るように、黒い人影が現れた。髪も衣も真っ黒の、線の細いその人影は、影になった顔の中で唯一、煌々と光る翠眼でひたとティアを見すえて、口を開いた。
「――おまえ。ミーアソティスの身内じゃないの」




