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26  暗闇の宣戦



『薬だと、あれはいった。わたしの傷が早くよくなるように、祈りをこめて創ったのだと。そういって、わたしにルベルの実を渡して、早く治せと手を握って、帰っていった。わたしの負傷により神々の間の勢力均衡は崩れ、活発に動きはじめた周囲の神々によって、おとなしいあれの領域も脅かされはじめていた。そんな中で、出不精なあれがわざわざ自分の領域を離れ出向いてきてくれたことに、わたしは感動すらしたのだ。だが』

「……毒、だったの?」


 おそるおそる、ティアは尋ねる。ふふっ、と、女神が笑った気配がした。


『毒も毒。神をも苛む猛毒よ。歴史書の記述は誇張でもなんでもない、本当に七日七晩、わたしは生死の境をさまよった。体中の苦痛は言うまでもなく、あれに――ほんのちっぽけな地方神だったころから手を引き守ってきたあれに、裏切られた胸の痛みで、魂まで焼けるようだった』

「砂塵の神様と、幼なじみだったの?」

『そうだ。唯一無二の相手だった。カルミアと出会うよりもずっと前、まだこの大陸上に、大地以外のなにもなかった時代、混沌とした空気中からふいに泡がはじけるように、神として目覚めたときからのつきあいだ。わたしが目を開いた瞬間、目の前にいたのがあれだった。それからずっと、身を寄せあって生きてきた。あれは気が小さかったから、神界大戦がはじまってからも自分の領域に引きこもったままで、わたしとカルミアのように、戦いに赴きはしなかったけれど。だからこそ強くなったわたしの力で、あれとあれの民とあれの領域を、ほかの神々から守っていた。戦乱の世にあっても決して、失いたくないと思っていたから。……もっともそう思っていたのは、わたしだけだったようだがな』


 女神の声が、また笑う。それがティアには、泣いているように聞こえた。


『だから。七日七晩経って、どうにか体から毒が抜けて、動けるようになった瞬間。わたしはあれの領域へ飛んで、この右腕で、あれの胸から背にかけて貫いてやったのだ』


 こくりと息をのみくだして、ティアは、そっと尋ねた。


「……砂塵の神様は、抵抗してこなかったの?」


 女神が鼻を鳴らした。


『深手のところへ毒まで盛られたわたしが、まさか生きているとは思わなかったのだろうよ。ひどく驚いたような、衝撃を受けたような顔をして、逃げようともしなかった』

「それは……」


 ティアは言いよどんだ。


 ティアの脳裏に、砂塵の国でかいま見た、祭りの情景がよみがえった。金冠をかぶり砂塵の神に扮した王から、青紫の衣をまとった茶髪の娘が、赤い実のついた枝を贈られて喜ぶ一幕。娘がその赤い実を口にするところまでしか、ティアは見られなかったけれど。


 今ならわかる。あの娘が扮していたのは、緑野の女神ゲンティアナだ。あのお芝居は、砂塵の神が女神ゲンティアナにルベルの実を渡した光景の焼きなおしだったのだ。


 あれは、砂塵の神を慰めるための祭りだといっていた。では、砂塵の王宮はどういう意図で、あの芝居をしていたのだろう。女神に扮した娘の、赤い実を食べたあとの演技が見られていないことが、ひどく惜しく思えた。はたして赤い実を食べたあとで、あの娘は傷が癒えたと喜ぶのか、それとも、苦しそうにくずれ落ちるのか。


 考えながら、ティアは口を開いた。


「砂塵の神様は本当に、女神様をルベルの毒で殺すつもりだったのかしら」


 女神の声が険をはらんだ。


『どういう意味だ』

「だって、そんなふうにずっといっしょだった相手を、いきなり毒殺しようとするって。なにか、手違いがあったんじゃ」

『黙れ!』


 暗闇がびりびりと震えた。ティアは息をのんで、口をつぐむ。


『あの時代を経験していないおまえに、いったいなにがわかるというのだ! 騙しあいに手のひら返しはあたりまえ、情けをかければあだで返され、昨日の味方が今日の敵になるのは必然! 事実カルミアは、ずっと同盟を組み、背中を預けあっていたわたしを、たったひとつの意見の相違で、ずたずたに切り裂いた!』

「でも! そんな中でも、砂塵の神様は特別だったんでしょう。だってそれまで、戦乱の中でも、女神様がずっと守っていたって」

『カルミアとて特別だった! 特別などたやすく崩れさる、そういう時代だったのだ! 毒の神である砂塵の神が、おまえのために創り出したと、手ずから持ってきたルベルを食べて、わたしは毒で死にかけたのだぞ、このどこに、手違いが入る隙がある? そうでなければ、……そうでなければ、わたしがあれを疑うものか!』


 いまだ空気はびりびりと震えていたが、女神の声がそれ以上、発せられる気配がないのを確認して、ティアは目の前の闇を見つめた。


「――わたし、確認してくるわ。砂塵の神様がどういうつもりで、女神様にルベルの実を渡したのか」

『なんだと?』

「だって、女神様は確認してないんでしょう、砂塵の神様本人に。どういうつもりで、自分に毒の実なんて渡したのか」

『……あたりまえだろう。おまえは自分を刺した相手に、どういうつもりで自分に剣なんて貫通させたのか確認するというのか?』


 ばかめ、と言外に告げている女神と目を合わせるように、ティアは、なにも見えない闇を見すえた。


「だって女神様は、要はその、唯一無二の幼なじみだか超長年の片思いの相手だか知らないけど、とにかく砂塵の神様に裏切られた事件のせいで、悲劇のヒロインを供物に求めているわけでしょう。でもわたしにはその事件、どうも、今聞いたことがすべてに思えないの。なにか女神様が知らない裏があって、砂塵の神様が本当は、女神様を毒殺しようなんて思ってなかったとしたら――つきあわされて死んでいくわたしたち王女がばかみたいでしょう。まあ、誤解でなかったとしてもばかみたいだとわたしは思ってるけど。だからわたしには、事件の真相を確認しにいく権利があると思うの」


 女神の声は、しばらくしてから響いた。


『片思い、だと』

「真っ先に反応するのはそこなの?」

『それで』


 女神の声が、ふいに、底冷えするような冷たさをはらんだ。


『わたしがあんなにも苦しんだものを、おまえは、誤解だというのだな』


 ティアは再び表情を引きしめて、暗闇を見た。


「わからないわ。だからたしかめに行くっていってるの」


 しばらく、暗闇に沈黙が流れた。




 やがて再び聞こえてきた音は、女神の笑う声だった。


『いいだろう。たしかめに行ってみるといい』


 おかしくてたまらないというように笑いながら、女神は続けた。


『この神殿から出られるものならば。そして、敵国となった砂塵の、中央にあるあれの神殿へたどりつけるというのなら。ああ、行ってみよ』


 ふいに、女神の声が、ティアのすぐ耳元に寄った。


『――絶望に染まった魂は大好きだ』


 ティアは、きっ、と闇を見すえた。


「でもそれじゃ、女神様が得をするばっかりでおもしろくないわ。わたしがたどりつけたって、女神様はなんにも失わないし、わたしがたどりつけなくたって、女神様はわたしの、絶望に染まった魂を手に入れられる。だから、もしもわたしがたどりつけて、それでわたしの思ったとおり、砂塵の神様が女神様を毒殺しようとしたんじゃなかったと、確認できたなら約束して。――今後いっさい、生贄に悲劇のヒロインを求めるのをやめるって」


 女神の声が沈黙した。

 ティアは言葉を重ねる。


「悲劇のヒロインは制度化されすぎたわ。緑野側は調子に乗って、悲劇の罪人だなんて殉死者まで設定して、政治的な粛清に利用する始末。そうした結果、悲劇のヒロインがよそでなんていわれてるか知ってる? 周囲に悲しみと死を振りまく魔物、よ。そんなものをこれ以上生産するなんて、不毛にもほどがあるわ。だからわたしが勝ったなら、このばかげた制度を止めさせて」


 ややして、けたけたと、笑い声があがった。それから、笑い声の底に凄みを秘めた、女神の声が響いた。


『よかろう。約束してやろう。……万が一おまえが勝ったなら、な』


 それきり、女神の声は途絶えた。




 ティアは、ゆっくりと息を吐き出した。次に短く吸って、目の前の闇を見つめた。


 周囲は、自分の手すら見えない真っ暗闇。唯一の扉には閂。けれどティアは、女神とのやりとりの途中で、この状況の希望になる言葉を思い出していた。


 嫁ぐ前の、ベネトとの会話だ。たしかベネトはこういっていた。



「神殿には、神官しか知らぬ隠し通路がございます」――、と。



(大丈夫。わたしはやれるわ。絶対に見つけてみせる)


 意気ごみ、手探りで歩きだす。


 数歩も進まないうちに、なにかに肩をぶつけた。さらにそこから、足をとられてころぶこと三回。


 だれも見ていないのをいいことに、ティアは四つん這いで神殿の中を進みはじめた。




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