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25  闇の中で



 泣いて泣いて、いつしか気を失うようにして眠っていたらしい。ひりつくような喉の痛みで、ティアの意識は浮上した。


 冷たい床に手をついて、のろのろと上体を起こしたものの、あまりにまわりが暗すぎて、しばらくは、自分が目を開けているのか閉じているのかわからなかった。ただ、からからな口の中と、石の床で眠ったせいでこわばりずきずき痛む背中が、この状況が夢ではないと知らせていた。


「あれから、どのぐらいたったんだろ」


 闇の中。自分の存在をたしかめるように、あえて声に出してつぶやいた。とたん、喉の奥に引きつるような痛みが走って、耳に届いた声もひどくかすれていて、ああずいぶん泣いたんだな、と他人事のように思う。


 体がひどくだるいのは、泣きすぎたせいなのか、はじめて石の床で寝たせいなのか、水分を摂っていないからなのか。今のティアにはわからなかった。胸の下あたりがしくしくと痛むのは、やはり泣きすぎたせいか、それとも、これが行きすぎた空腹というものなのだろうか。


「まっくら、だ」


 このままもう一度眠ってしまえば、自分もこの暗闇に、溶けて消えてしまいそうな気がする。そっちのほうがいいな、と、ティアは思った。飢えと渇きと、真っ暗闇の恐怖に苦しみながら死んでいくよりも、そっちのほうが楽そうだ。


 けれど、再びまぶたを閉じてみても、眠気は訪れてくれなかった。渇きと痛みと重苦しさがじわじわティアを苛んで、意識を現実へ縫いとめる。



『哀れな』



 言葉とは裏腹に、ひどく嬉しげな声が、暗闇に響いた。


 びくりと、ティアは肩を揺らした。なにも見えない目を、必死に動かす。


「女神、様……?」

『なんとも、哀れなことよ。だが安心するとよい、おまえの夫だったあの王も、同じく哀れなことになる。よりにもよって砂塵の民の分際で、わたしに牙を剥いたのだからな』


 神殿の前で聞いたのと同じ女神の声は、あのときよりずっと愉しそうな響きを宿していた。


 少し興奮しているような早口で、女神の声は続ける。


『このわたしとしたことが、怒りで我を失っていたようだ。愚かなアーシュミーヤがいつまでも海辺に隠れているとはかぎらぬことに、考えが及んでいなかった。だが、もう気がついた。おまえの父王も神官どももそろって、全力でアーシュミーヤを捜しているが見つからぬと、どうか信じてくれと泣く。ならばほかの国にいるのだろう。たとえば、愚かにも海辺の誘いに乗って、わが緑野に反旗をひるがえした、砂塵の国などにな。さっそく、砂塵の国へ捜索の兵をさし向けるよう、神託を下しておいた。砂塵は海辺よりもずっと神の力が弱いから、さぞや捜索もしやすかろう。いかに使えぬわが緑野の軍でも、今度こそ。今度こそ、あとがないと警告しておいたから、決死で町村を焼きはらい、砂塵を更地に変えるだろうよ』


 すっと、頭の中が冷たくなるのを、ティアは感じた。


「砂塵の国が……更地に、変わる?」


 緑にあふれた離宮と、最後にまみえた王の姿が、ティアの脳裏に浮かんで、消えた。


 ふふ、と女神の笑う気配がした。


『ちょうどおまえの命が尽きるころ、砂塵の国の王の首も、おまえをここに閉じこめた、父王の軍勢によって晒されるやもしれぬな。そうなればじつに哀れ、まさに悲劇だ』


 女神の声は昏い愉悦に満ちていた。


『……そうだ。おまえがここでみじめに死ぬなら、砂塵の王もできるだけみじめに殺すよう、神託を下しておくとしよう。そしたら夫婦そろいで、悲劇性も高まるぞ。いい考えだろう』


 砂塵の王、とつむいだその声は毒々しさに塗れていて、ティアは愕然とした。


(どうして、あの王様はそんなに嫌われてるの!)


 かの王はいったいどんな反旗のひるがえし方をしたのだろう、と考えかけて、ティアはふと、先ほど女神が放った言葉を思い出した。


 よりにもよって砂塵の民の分際で――、と、女神はいった。


(女神様が嫌っているのは、あの王様というか、砂塵の民? それこそどうして……待って、砂塵?)


 砂塵の国の、離宮の庭で、たわむれに育てていたルベルを思い出す。ルベルには毒があって、そんなルベルを、みずからを表す紋章としている砂塵の神もまた、毒を司る神だと聞いた。



 そして、女神ゲンティアナに七日七晩生死の境をさまよわせたとされるわりに、どの歴史書にも名前が記されておらず、司書がなにか含みのある言い方をしていたのに結局聞けずじまいになったのは、「きたないさくぼうをめぐらしたたどくのかみ」。



 かちり、と、頭の中で、なにかがはまる音が聞こえたような気がした。


「女神様」

 こくりと息をのんでから、ティアは尋ねた。


「……砂塵の神様が嫌いなの?」

『嫌い? 嫌いだと?』


 即座に返された女神の声には、底冷えするような響きがあった。


『そんな幼い表現で済むものか。あの名を思いうかべるだけで、全身が煮えくり返って、胸がえぐれるまでかきむしりたくなるほどだ!』


 女神の激情が、びりびりとした空気の震えを通して伝わってきて、ティアは思わず自分の胸元をつかんだ。


「どうして? 七日七晩、生死の境をさまようような目に遭わせられたから? でも、それはちゃんと、復讐したんじゃないの?」


 歴史書には、毒に打ち勝った女神が「ひかりかがやくみぎうでで、どくのかみをつらぬいた」とあった。そして砂塵の神は、砂塵の王宮での祭礼を思い出すにおそらく、そのときの傷が、二百年たった今もなお癒えておらず、大陸中の神々の中でもとくに弱い神となっているのだ。けれど、それでもまだ女神は溜飲が下がらないのだろうか。


『……ふむ』


 女神が静かにつぶやいた。


『いいだろう。本当は、悲劇的に死んでわたしのもとへやって来た王女の魂だけに、聞かせてやっている話なのだが。どうせおまえももうじきに、これまでの王女のだれよりみじめに死ぬのだから。少し早いが、語ってやるとしよう』







「今から二百年以上前。神界大戦が終結する、半年前のことだ。


 わたしは深手を負っていた。カルミアという、敵の女神によってな。

 カルミアとわたしは、もともとは同盟を結んでいた。大戦の初期のころ、たがいにちっぽけな地方神にすぎなかったわたしたちは、荒ぶる強大な神に、二人力を合わせて立ち向かったものだった。


 けれどしだいに戦乱がきわまり、あまたいた神々が淘汰されていき――そんな中で生き残り、力をつけたわたしたちは、いつのまにか違う方向を向いていた。


 わたしは、大戦末期になっても生き残っていた神々の間で、ある程度勢力に均衡が生まれたのなら、もうそこで、皆少しずつ折りあいをつけて終戦すべきと考えていた。戦に敗れて神が死んでも、その神が眷属として生み出した民は残る。民の一人一人は弱いものだが、自分たちでつがいとなって、どんどん数を増やしていく。神々の戦いに巻きこまれて死ぬ者が多く出ても、それ以上の数が生まれている。このまま神々同士で戦いつづければ、神は減る一方、民は増える一方で、いずれ、神が民を制御できなくなる日がくると、わたしは危惧していた。


 そのとき、わたしとカルミアとその民は、この大陸における最大勢力になっていた。だから、わたしとカルミアが、もう殺しあうのはやめよう、今生き残っている神々で大陸を分けあおうと皆に呼びかけたなら、終戦できると思っていた。


 だが、カルミアは。半身である双子の妹を切り捨ててまで大陸の覇者となることを望んでいたあやつには、わたしのそんな考えが受け入れられなかった。力をつけて、自然の風を自在に操れるようになってから、カルミアは驕っていったのだ。遠くの噂話も聞ける、遠くのものも動かせる。そんな力を得た結果、まさに、自分の思いどおりにならないものごとはないような、万能感を抱いてしまったのだろう。それこそ自分がその気になれば、たやすく大陸も統一できると。


 あやつはわたしを裏切り者と罵って、わたしに斬りかかった。風の神であるあやつの風刃は、完全に気を許していたわたしの体を、ずたずたに切り裂いた。


 わたしはかろうじてその場を逃れ、民らの築いた城に逃げたが、神の治癒力をもってしても、カルミアに与えられた傷は、なかなか塞がらなかった。わたしとカルミアが仲違いし、わたしが重傷を負ったと聞きつけたほかの神々が、わたしを倒す絶好の機会だと、周囲で鎌首をもたげはじめているのがわかった。



 ――そんなときに……治らない傷に焦り苦しむわたしのもとへ、届けられたのだ。砂塵の、毒の神から、あの忌々しい、赤い実が!」





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