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24  幽閉



「第三王女殿下」


 ティアが外へ出るとすぐに、図書館の前で待機していた侍女たちに取りかこまれた。

 王宮の裏手に位置するここからでは、宮殿のどこかが壊れた様子は見えない。けれど、南の方角の空に、黒い煙があがっていた。


「聞こえたわ。王宮に雷が落ちたんですって?」


 いつもの無表情が切迫したものに変わっている侍女たちを見まわして、ティアは尋ねた。


「両陛下は? それに、王太子殿下と第二王子殿下は」

「皆様ご無事でございます。ですが、南の棟が全焼いたしました」


 すぐさま侍女の一人が答えた、その後半の内容に、ティアは息をのんだ。


「……小姉様のお部屋があった棟ね」


「リールティアラ」


 正式な名前を呼ばれて振り返ると、神官たちを引きつれた父王が、足早にこちらへ向かってきていた。神官たちの最後尾には、ベネトもいた。


 ティアのすぐ手前で足を止めた父王の目は、追いつめられたようにぎらぎらと血走っていた。


「聞いてのとおり、宮殿に女神が雷を下された。このようなことは前代未聞だ。もはや一刻の猶予もならぬ」


 父王の、血管の浮いた両手が、ティアの肩をつかむ。逃がすまいとするように、指が肩に食いこんだ。


「女神は生贄のアーシュミーヤが、いまだ捧げられぬことにひどくお怒りだ。せめて少しでもお心を鎮めていただけるよう、おまえはこれから、女神神殿にこもれ」


 ティアは目を見開いた。


 なにを、と声をあげ神官たちの列から飛び出したのは、ベネトだった。


「恐れながら申しあげます、国王陛下。今の女神神殿に立ち入るなど、みすみす女神のお怒りに打たれ、死ににいくようなものでございます」

「わかっている!」


 父王が、苛立たしげに声を荒げた。


「悲劇をなさず出戻ってきた出来そこないが死ぬことで、女神が少しでもお気を晴らしてくださるのならば、それでよい! これ以上わが王宮を、ほかならぬ女神に打たれるようなことがあってはならんのだ!」

「そのようなことで女神はお心を晴らしたりなさいません、女神がお望みなのは男女間の悲劇です。いたずらに第三王女殿下のお命を捧げたところでお鎮まりになどなりません、無駄死にでございます!」

「控えよ! その悲劇をなせなかった役立たずがなにを申すか! ならばおまえもリールティアラとともに――」


「ベネトナシュ!」


 父王の怒声にかぶせるように、ティアは声を張った。

 正式名を呼ばれたベネトが、びくりと肩を揺らして、ティアを見る。

 ベネトとまっすぐ視線を合わせて、ティアは命じた。


「さがりなさい」


 ベネトが、じっとティアを見つめた。眼鏡の奥から訴えてくる、その強い視線を、ティアもまっすぐ見つめ返す。


 そうして視線と視線をぶつけあわせることしばし。やがてベネトが、まるで泣きだすように目を伏せて、神官たちのうしろへとさがった。


 ティアは父王へ向きなおった。


「わかりました、国王陛下。わたしひとりで、神殿に向かいます。――準備を」


 最後、命じた一言に、御意、と神官たちが答える。


 急げ、とだけ言いおいて、父王はきびすを返した。


「それでは、第三王女殿下。準備をさせていただきますので、どうぞこちらへ」


 神官に両脇を固められ、歩きだそうとしたティアの背中に、


「王女殿下」


 迷子になった子どものような、声がかかった。


 ティアは踏み出そうとしていた足を止める。笑顔を浮かべて、振り返った。


「かばってくれてありがとう、ベネト。でも、あれ以上言いつのったら、あなたも巻きぞえにされていたわ。それこそ無駄死によ」


 さっきの父王はそういう剣幕だった、と、ティアは思う。


 無理もない。女神の加護を受けているはずの緑野国内で、旱魃が続いているというだけでもあやういのに、この上、王宮に女神の雷が落とされたなどと公になれば、王位の正当性は大きく揺らぐ。国王を王たらしめているのは、女神ゲンティアナの信任なのだ。王宮が女神の怒りに触れたなどと広まれば、国内各地で反乱が勃発しかねない。


「ですが」

「大丈夫よ。前にお声を聞いたとき、女神様はわたしに怒ってはいなかったもの。女神神殿に入ったって、すぐに殺されることはないわ」


 それが希望的観測であることは重々承知していたけれど、ベネトがあまりにらしくなく瞳を揺らしていたから、ティアは力強く言いきった。






          *






 ぎいい、と、音を立てて、女神神殿の正面扉が開かれた。


 閉めきられていた扉の奥から、湿っぽい、冷たい空気が漂ってくる。


 女神による天災がはじまったその日に、つめていた神官たちが皆殺しにされたという神殿は今、ただ黒々と、ティアの前に口を開けていた。


 持たされた銀の手燭の明かりも、またたく間に吸いこまれそうなその暗闇の前で、ティアはこくりとつばを飲みくだす。それから、深々と頭を下げた。


「女神様、お邪魔いたします」


 きっと見ているだろう女神を、できるだけ刺激しないよう、慎重に、つま先からそっと足を踏み入れた。


 足を神殿の床につけた瞬間、ティアは緊張に体をこわばらせたが、雷がティアを打つことはなかった。ひとまず、立ち入りは許してもらえたらしい。


 だがそれでほっとしたのもつかの間、背後から重々しい、石を引きずるような音が響いた。


 振り返ったティアの目の前で、神殿の扉が閉ざされていった。やがて隙間なく閉じた向こう側では、ご丁寧に、石の閂をかけるような音まで聞こえた。


 これで完全に、ティアはこの、暗い神殿の中にひとりきりになった。


 手燭の明かりがふるりと揺れる。ティアはつとめてゆっくりと、胸から息を吐き出した。


 ここで立ちつくしていてもしかたがない。殺された神官たちを戦々恐々と運びだしたあとは、だれもここに入っていないというから、神官たちが使っていた椅子やらなにやらは、まだこの奥に残っているはずだ――。そう自分に言いきかせ、少しでも居心地のいい場所を求めて、暗闇の中ではあまりに乏しい手燭の明かりをたよりに、手燭を持っていないほうの手でまわりのものを探りながら、奥のほうへと進んでいく。


 しばらく進んでやっと、椅子と、小さな石の台を見つけた。台の上に手燭をおろし、ティア自身も、静かに椅子へ腰かける。


 暗闇の中、手燭の炎が赤く燃える。


 台においた両手の指を、無意識のうちに強く組みあわせて、ティアはじっと、揺れる炎を見つめた。






 手燭の上の蝋燭が残りわずかになったところで、ティアは椅子から立ちあがった。


 この炎が尽きてしまえば、ここは完全に真っ暗になって、身動きひとつとれなくなる。そうなる前に、新しい蝋燭を補充してもらわなければならない。それに、喉が渇いて、少し空腹も感じていた。


 手燭の明かりが消えないよう、一歩一歩慎重に戻って、分厚く冷たい石の扉の、向こう側へ呼びかけた。


「ねえだれか、かわりの蝋燭を持ってきて。もうすぐ火が消えそうなの」


 暗く冷えた神殿の空気に、ティアの声だけが反響する。返事は、なかった。


「ねえ、だれか!」


 張りあげた声は、今度は大きくこだまして、消えた。手燭を床におろし、両手を使って扉を押したり引いたりしてみるが、びくともしない。

 ティアは両手でこぶしを作って、どんどんと、扉を叩いた。


 それでも、外からはなんの反応もなく、――ふっ、と、足もとで、手燭の炎が消えた。


 とたん、神殿の中は完全な闇に閉ざされた。自分の手さえ見えない暗さに、ティアはひゅっと息をのむ。とっさにしゃがみこみ、手探りで金属の手燭を取りあげて、石の扉に打ちつけた。


 かあん、と、耳を貫く、高い音が鳴った。かあん、かあん、と鳴らしつづける。さすがに、外にも聞こえているはずだ。けれど扉は、わずかも開かれなかった。


 やがて腕が痺れてきて、ティアは、だらんと力なく手燭をおろした。


「……ああ、そっか。そうか」


 今さらながらに気づいて、はは、と乾いた笑いが漏れた。


「女神神殿にこもれ、っていうのは、女神様の怒りが鎮まるまでこもっていろ、って意味じゃなかったんだ。女神様の怒りを鎮めるために、神殿にこもって死ねってことだったんだ。それじゃ、蝋燭も水も食べ物も、さしいれられるわけないよね」


 ずるずると、びくともしない扉づたいに、ティアは床にくずおれた。


「雷に打たれずに、生きたまま神殿にこもることができたって、どっちみち、死ぬのは変わらなかったんだ。むしろ雷に打たれるよりもっと悪く、飢えて渇いて、真っ暗な中で怖がって死ぬんだ。だからベネトは、あんな顔をしてたんだ。そっか。そっかあ」


 自分の輪郭さえさだかではない闇の中、せめて声を出していなければ、どうにかなってしまいそうだった。そっかそっか、とティアは笑う。


「ほんと、ばかね、わたし。自分が甘いのは、砂塵の国で思い知ったつもりでいたのに」


 砂塵の国、と口にした瞬間、唇が震えた。



 ――「国に帰れ、緑野の国の第三王女」。



 そう告げて、ティアをこの緑野に返した、いつだって射抜くように強かった、紫水晶の瞳を思い出す。


(王様は、どう思うかしら)


 国に戻ったティアが、その国で、こんな最期を迎えつつあると知ったら。


 そう考えかけて、ティアは自嘲した。


(どうとも思うわけがない。きっともう、わたしのことなんて忘れてるわ。このままだれにも看取られずに、この真っ暗な中でわたしは)


 ひくり、と口もとがゆがんだのを、はっきりと自覚する。そしてこぼれはじめた嗚咽を、もう止めることができなかった。




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