21 王宮図書館
女神の声を聞いた翌朝。
砂塵の国に戻ってきたかと錯覚するほどの、大地を焼きこがさんばかりにぎらぎらと照る太陽の下、色とりどりの傘の侍女たちに覆われてティアが向かったのは、王宮の裏庭にひっそりとたたずむ、青灰色の建物だった。
女神神殿と同じ、尖塔造りのその建物は、はるか昔、女神神殿と同時期に建てられたという王宮図書館だ。けれど、女神神殿とは違う訪問者の少なさを物語るかのように、今侍女が手をかけた門は、ぎいっと錆びついたような音を立てて開いた。
静まりかえった敷地内を、色あざやかな傘の集団がしずしずと進む。やがて、図書館の正面、両開きの扉の前まで来ると、侍女が声をかけるより先に、扉が内側から開かれた。
とたん押し寄せた、くしゃみしたくなるような古書の匂いにまじって、ふわりと、かすかな花の香りが、ティアの鼻先をかすめた。
「これは、第三王女殿下。このようなところへわざわざ」
高い天井に向かってそびえる、重厚な書棚のならびを背景にしたその人物は、両手で扉を押さえたまま、優雅に笑んで目礼した。
彼の、腰まで伸びた焦茶の髪がわずかな風にさらさら揺れると、またごく淡く、花の香りが生まれた。細められた切れ長の目がなまめかしい、独特の雰囲気をもつこの人物は、ここ王宮図書館唯一の司書であり――ティアの記憶にまちがいがなければ、ベネトの従兄でもあった。
ともすればその雰囲気に取りこまれそうな彼に対し、ティアは、腹の底に力を入れて向かいあった。
「ごきげんよう、アルファルド」
王宮図書館の司書アルファルド。別名、「歩く王宮図書館」。王宮図書館のすべての蔵書の内容と位置、落丁の頁数にいたるまでその頭ひとつに納めていると噂される彼は、王の代理として、王宮図書館における全権を握っている。彼の許可がなければ、たとえ王族といえども、王宮図書館の中へ勝手に立ち入ることは許されていない。
ティアはぐっと表情を引きしめた。
「女神ゲンティアナの歴史について学びたいの。立ち入りの許可をいただけるかしら」
おや、と、司書はわざとらしく目を見開いた。
「女神の歴史を学ぶことに、今は亡き第一王女殿下はたいそうご熱心でいらっしゃいましたが、第三王女殿下はさして興味を示されていなかったように記憶しておりますが」
そういって優しげに細められた瞳の奥で、こちらを探るような色が光る。
ティアはあごをあげて司書を見返した。
「わたしも嫁いで戻ってきて、考え方が変わったのよ」
「なるほど、なるほど」
まったくなるほどと思っていないことがありありと伝わる相づちを打って、司書はしげしげとティアを見つめる。胸の内まで見透かすようなその視線から逃げたらおしまいだとばかりに、ティアはじいっと司書を見つめ返した。
やがて、ふ、と視線をはずしたのは、司書のほうだった。
「……まあ、どんな事情であれ、王女殿下が女神について学ぼうとされるのは喜ばしいことでございましょう。――どうぞこちらへ」
くるりと、司書が先導のために背を向ける。ティアはこっそりと、つめていた息を吐き出した。
これより先には、監視役の侍女もついてこられない。扉の前で静かに頭を垂れた侍女たちの見送りを受け、ティアは司書のあとに続いた。
日焼けから蔵書を守るためか、図書館の中に窓はなかった。司書が持つ火屋つき手燭のぼんやりとした明かりだけをたよりに、ぎっしりと本のつまった書棚にはさまれた、細長い廊下をくねくねと抜けていけば、焦茶色の小さな扉にたどりついた。
司書が、長い袖の中から金色の鍵を取り出して、その扉を開けた。
開いた扉の向こうには、円筒形の部屋があった。円い床に敷かれた、青紫の絨毯には、女神ゲンティアナの紋章が金糸と銀糸で描かれている。天井はとても高く、手燭の明かりだけではとうてい、上のほうの暗がりまでは見通せなかった。
ぐるりと部屋を囲う壁は、それ自体が巨大なひとつの書棚で、そこには、めまいがするほどたくさんの本が、わずかな隙間もなく詰めこまれていた。
(まさか)
嫌な予感に頬を引きつらせたティアの前で、くるりと振り返った司書が、女性のようにたおやかな手で部屋の内部を示して、優雅に一礼した。
「こちらの部屋の中すべて、女神ゲンティアナの歴史に関する蔵書でございます」
(やっぱり!)
心の中で悲鳴をあげながら、ティアは声をしぼり出した。
「……てっとりばやくあらましがわかる、おすすめの一冊とかは?」
王女殿下、と眉を下げた司書は、しかしどこか楽しげだった。
「ただでさえ歴史というのは、記した者の主観に左右されるもの。女神の歴史のなにについてお調べになりたいのかは存じませんが、安易に一冊の書物だけを信じて事実を知ったつもりになるのは、非常に危険かと存じます」
(正論だわ、正論だけど!)
書物の物量作戦たるや、見ているだけでやる気をくじかれそうである。
(でも、この部屋にこもっている間は、侍女たちの監視の視線に晒されることはないのよね。考えようによっては、ちょうどいい避難場所かもしれないわ)
どうにかそう自分を納得させて、ティアは司書にうなずいた。
「わかったわ、地道に読んでいくことにします。さがっていいわよ」
司書が満足げに微笑んだ。
「では。高い位置の書物がご入用のときはお呼びください。それと、火の気にはくれぐれもお気をつけて」
ティアがもうひとつうなずくと、明かりを置いて、司書が出ていく。ぱたん、と、扉を閉めた軽い音が部屋に響いて、無音になった。
さて、と、ティアは腰に両手を当てて、そびえる書棚に向きなおる。ざっと背表紙に目を走らせ、神界大戦記、と書かれた分厚い本を引きぬいた。
それから絨毯に腰をおろし、深紅の装丁がされたその本を膝の上で開いて、読みはじめた。




