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17  鳴動



 一団の中で一番年若だろう黒ずくめを、ほかの男たちは皆「若君」と呼び、敬っている。それを聞いてツィーも、いまだ名前のわからない黒ずくめを、「若様」と呼んでいた。今黒ずくめを呼んだのは、荷車をひくエルナトの、手綱を引いて歩いていた男だった。


 いつでも眉間にくっきりと皺をきざんでいるその男は、けわしくも思慮深そうな翠の瞳が印象的だ。油の抜けた黒髪を、襟足で無造作にくくり、灰色の衣をまとっている。一団の男たちは、黒ずくめ以外の三人は皆、壮年と呼べる見た目なのだが、男たちのやりとりや立ち位置から推察して、彼がこの一団の二番手だろうと、ツィーはあたりをつけていた。


 その、二番手が指した進行方向。薄青の空に、黒い煙があがっていた。


 地上へと視線をおろせば、ちかり、ちかりと、銀の甲冑や刀剣が、日の光を反射していた。見ている間にも、また新たに火の手があがる。銀の甲冑たちの頭上、みるみる煙っていく空に、ひるがえっている旗の色は、青紫。


「緑野の軍勢……」


 つぶやいたツィーのあとを引きとるように、二番手の男が続けた。


「焼き討ちだな。侵攻してきた緑野の軍は、あんまりにも王妃アーシュミーヤが見つからないもんで、海辺の町や村を片っ端から焼きはらう作戦に出たらしい。王妃が隠れられないように、王妃を匿えないように」


 今、風向きが変わったのか、ものが焼けこげる臭いと、悲鳴が空気にまじってきた。ツィーはぎゅっと、顔をしかめる。


「……無茶苦茶だね」


 それまで黙っていた黒ずくめが、気だるそうに口を開いた。


「迂回しろ」


 二番手の男が手綱を引いて、エルナトはゆっくりと向きを変えた。


 ごとごとと、再び進みだした荷車の上から、ツィーはそっと振り返った。

 赤々と、村が燃えていた。跡にはきっと、なにも残らない。


「……緑野の軍は、いつまで海辺にいるんだろ」


 黒ずくめが鼻で笑った、気配があった。


「そりゃもちろん、アーシュミーヤが見つかるまでだろ。もっとも見つかったころには、国中が焦土かもしれないけどね。宰相ひとりの命で済むほど、悲劇の台本破りは軽くなかったってことさ」


 ツィーは姿勢を戻して、黒ずくめの後頭部を見つめた。


「……あの宰相様は、おだやかなお人柄で有名だったんだよ。あたしたちみたいな下々の民にも、その噂は聞こえてきてた」


 数年前の祭りの日、遠目に眺めた姿を思い出す。年若くして宰相に就任したかの人は、海辺の民にはめずらしく線の細い、優しげな青年だった。青い宰相服に身を包み、潮風に金の髪をゆらめかせながら、唇に静かな微笑をたたえて、王のうしろに控えていた。


「……宰相様は、きっと陥れられたんだ。だって王妃様をかどわかして、宰相様になんの得があったっていうの」

「さあ? かの宰相は王妃に恋着していて、ヒゲキノの台本に従えば生贄となって死ぬ王妃を生かすため、生贄の身代わりを立てて、本物の王妃をかどわかしたって噂もあるけど。死人に口なしだし」


 ツィーは息をのんだ。


 ふいに、黒ずくめが振り返る。その翠眼は思いがけず、深い色を湛えていた。


「――ただまあ。ヒゲキノの王女ってやつは、たしかに魔性を持ってるんだよ」




     *




 ティアは長椅子にぐったりと寝そべって、ルベルの実が黄色く変わりはじめた庭を眺めていた。


 最近は、温暖な緑野の国育ちのティアにとって、体にこたえる暑さが続いている。緑に囲まれたこの離宮は外よりだいぶ涼しいとベネトはいうが、それでも、暑いものは暑かった。食欲も落ち気味だ。


 もっとも、食べ物が喉を通りにくいのは、暑さだけのせいではなかったが。


 女神の目はあざむけない、台本どおりに死ぬしかないと思い知ってから一月半。海辺の国になだれこんだ緑野の軍勢は、いまだ姉姫アーシュミーヤを見つけられていないらしい。女神ゲンティアナの怒りは収まらず、緑野の国は建国以来例のない大旱魃に喘いでいるという。追いつめられた緑野の国が暴発しないか、周辺国も息をつめて注視している――と、これらすべて、ベネトからもたらされた情報だった。


 そのベネトは今までにも増して、頻繁に砂塵の王宮とこの離宮を行き来している。ティアが暑さと精神的な重苦しさでまいっている間にも、見るからに暑苦しい濃紺のお仕着せをまとう彼女は、汗ひとつ見せずにてきぱきと動いていた。


 そんなベネトの靴音が近づいてくるのを聞きつけて、ティアはのろのろと長椅子の上に起きあがった。

 が、かけこんできたベネトの顔を見て、反射的に背すじを伸ばした。


「王女殿下」


 ベネトの顔は、こわばっていた。張りつめた声で、彼女は告げた。


「まずいことになりました。緑野の王宮は王女殿下が嫁いでおられるよしみをたより、砂塵の王宮にも、海辺の国へ、アーシュミーヤ第二王女殿下捜索の兵を出すよう要請しました。しかしながら、要請に従い海辺の国へ派遣された砂塵の軍勢は、協力すべき緑野の軍に攻撃を加え、海辺の国に加勢することを宣言。――近日中にも砂塵の増援が、緑野の軍を討つべく、海辺へ向けて進軍するものと思われます」


 ティアは目を見開いた。


「どうして。だって……だって海辺の国は、今も緑野に侵攻されているんでしょう。小姉様を見つけ出すために町や村が片端から焼きはらわれているって、前にあなたがいったじゃない。なのにどうして砂塵は、そんな海辺の味方をするの。そんなの、体に火がついた相手の手を取るようなものでしょう、あの王様が、みすみすこの国を危険に晒すとは思えないわ」


 ベネトが、痛みをこらえるように目を伏せた。


「……申しあげておりませんでしたが。国内の大旱魃は、遠征軍にも確実に悪影響を及ぼしております。とにかく、物資がたりません。すでに遠征軍の一部は、アーシュミーヤ第二王女殿下を見つけだすために町村を焼いているというよりは、自分たちの食糧を得るために略奪しているといったほうがふさわしいような状態にまで追いこまれているとか。そのような状況で、海辺の国に砂塵の援軍が送られてきて、二国を相手取るとなると、いかな緑野といえど厳しいものがあるかと。ですが、海辺の国から遠征軍を引きあげることもできません。アーシュミーヤ第二王女殿下を見つけ出すまで兵を引くことは許さぬと、女神ゲンティアナのお達しです」


 ベネトの話が、まったく違う国のことのように、ティアには感じられた。ティアが生まれたときから、緑野は強く大きく豊かな国で、祭礼のときくらいにしか見る機会のなかった軍隊も、きらきらしい鎧兜に身を固め、規律正しく統率されていた。そうでなくなった緑野の姿というのは、なかなか想像できるものではなかった。現在大旱魃に襲われて疲弊していると聞いてはいても、ティアは実際にはそのさまを見ていないのだ。


「加えて――これまで緑野の軍勢は、周辺国と戦になったとしても、自国を守る必要はありませんでした。敵国の軍勢が国境を一歩でも侵した時点で、女神ゲンティアナの雷によって焼きはらわれていたからです。けれど今、女神の雷は緑野の国内に降りそそいでいます。はたしてこれまでのように、敵軍を退けてくださるかわかりません。周辺国にとってはまさに今が、長年にわたってこの大陸に君臨しつづけてきた緑野を、頂点から引きずりおろす好機なのです。砂塵が海辺に援軍し、戦況が緑野不利に傾けば、現状静観を決めこんでいる周辺国も、続々と海辺側へつくやもしれません」


 さしせまった雰囲気で、ベネトが、そういいおえたときだった。


「緑野の国の王女殿下」


 静かな声がかけられたかと思うと、こちら側の返事も待たず、扉が勢いよく開かれた。はっと、ベネトがティアを背後にかばう。


 開かれた扉の向こうには、シャウラが、複数の武装した兵士を従えて立っていた。


 ティアを背後に隠したまま、硬い口調で、ベネトが問うた。


「……なにごとですか、物々しい」


 シャウラが、ゆるりと一礼して答えた。


「王がお召しです。どうぞ、王宮へ」


 部屋の隅から、ティアの侍女たちの、息をのむ音が聞こえた。


 ベネトは動かなかった。シャウラも視線をはずさない。


 緊迫した空気が流れた。


 ティアは、小さく息を吐きだした。そうして、そっと目の前の、濃紺のお仕着せの肩に、触れた。


「ベネト」


 肩越しに、ベネトが視線を寄越す。ティアは、ふくりと笑みを浮かべてみせた。


「行きましょう」


 どうかやわらかく見えていますように、と、心の中で願う。


 扉を出たティアを、すかさず兵士たちが取りかこんだ。


 完全に包囲された形で、ティアは、砂塵の王宮へと歩きだした。





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