16 黒ずくめとの道中
乾いてでこぼこした大地を、真っ黒なエルナトにひかれて、一台の荷車が進んでいく。
エルナトは体中を覆う黒い毛と、湾曲した白い角が特徴的な、大きな獣だ。立派な角の見た目から受ける凶暴そうな印象と違って、気性はとてもおとなしく、力が強くて我慢強いから、荷運びに重宝されている。毛が黒ければ黒いほどいいエルナトだとされていて、今、砂ぼこりにもひるむことなく足を進めるエルナトの毛は、墨のように真っ黒だった。
ごとごとと揺れる荷車の上、男物の衣を帯でぎゅっと締めてまとい、膝立ちになって、幅広の布を持った両手を広げ、日よけのひさしを作っているのは、身代わりの生贄として海へ投げこまれたものの辛くも生きのびて酒場にかけこみ、助けを求めた娘だった。日に褪せた短い金色の髪が、きらきらと光をはじきながら、乾いた風になびいている。日焼けした顔に輝く、目じりがきゅっとつりあがった、快活そうな水色の目。その娘は名前を、ツィーといった。
ツィーが広げる布の下では、髪から衣にいたるまで黒ずくめの、おそろしい美貌の青年が、うっそりと気だるげな様子で、進行方向を見つめている。彼は薄汚れた荷袋の山に背をもたせかけていたが、まるで絹天鵞絨のクッションに身をあずけているかのような、高貴かつ怠惰な雰囲気を醸しだしていた。背中まで届く黒髪が、荷車の縦揺れに合わせて、のたりのたりと波うっている。
この、絶世の美貌な黒ずくめの世話が、酒場で彼に救われたツィーに、割りあてられた仕事だった。
彼と、その他三人の男たちで構成される彼ら黒髪の一団が、いったいどういう集まりなのか、ツィーはなにも聞いていない。聞かされなかったし、聞かなかった。――ただ、全員髪の色が染めたように真っ黒なことを除けば、彼らの外見は、海辺の国の北西の隣国、湿地の国の民の特徴にぴったりと当てはまっていた。
湿地の民は生まれつき、占い師としての優れた才能を持つが、それゆえ、湿地の国内で占い師として成功するには、神の領域に全身突っこんでいるような能力が求められるそうで、そうではない一般的な、食いっぱぐれた占い師たちは、客を求めてよく海辺の国に入ってきていた。
もっとも、湿地の民といえばその占いの才以上に、特有のあやしい美貌をもつことで有名で、海辺へ出稼ぎに来ている湿地の民の占い師は、十回人を占うよりも一回花を売るほうが稼げるという話を聞いたことがある。湿地の民の特徴である、しっとりと情欲を煽る深紅の髪に、底なしの沼のような魔性を秘めた翠の瞳、真っ赤な唇をきわだたせる、青ざめたような細面。ツィーの働いていた酒場の隅にも一人いたけれど、深緑のヴェールごしの容貌は、まさに目が吸いよせられる美しさであり、彼女に近づく酔客たちの「占ってくれ」はたいてい口実で、本当の目的は彼女自身だった。
けれどあの彼女以上に、今ツィーの目の前にいる黒ずくめは美しい。これに対抗できるのは、海辺の王妃アーシュミーヤくらいだろうと、ツィーは思った。もっともかの王妃のほうは、遠目に眺めたことしかないから、あくまでも想像だが。
そんなたぐいまれな美貌を持つ黒ずくめの、ゆったりとした黒衣に隠れた両腕と両足には、黒い紋様が刻まれている。波のような曲線と、呪術文字らしき記号の羅列が重なりあった紋様だ。
湿地の民は占術以外にもうひとつ、呪術にも秀でている。湿地の民の武術は呪術と強く結びついており、身体的な脆弱さを術によって補っていた。持久力はないけれど、短期的な攻撃力なら、湿地の民の武人に勝るものはないといわれる。毒で敵を磨耗させ、しなやかな強かさで削りとる砂塵の民より、天性の力の強さで圧倒する海辺の民より、恐ろしい一撃必殺だった。
その一撃必殺を、ツィーはここにいたるまでの道中で、すでに何度か目にしていた。
働いていた酒場が治安の悪いところにあったから、ツィーはそれなりに、喧嘩も刃傷沙汰も見慣れている。乱闘騒ぎが広がりすぎて、警備兵が乗りこんできた場にだって居合わせた。そんなツィーでも舌を巻くほど、黒ずくめの一撃は鋭く速く、容赦というものがなかった。
金に困っているわけでもなさそうなのに、この黒髪の一団は、町中でも上等な宿や食堂には行かず、大衆酒場を転々としていた。酒の入った、もともと豪気で短気な向きのある海辺の民たちの中へ、明らかに毛色の違う、中でもひとりはとびきりの美貌をもつ一団が入っていけば、当然、からまれることも多い。
けれどそのすべてを、黒ずくめは一撃で吹っとばした。中には黒ずくめの倍は体格のいい、筋骨隆々とした男もいたにもかかわらず、全員、一瞬で意識を刈りとられた。ツィーが一行と出会った酒場で、酒樽に頭から突きささっていた人間二人も、まちがいなくこの黒ずくめのしわざだろう。
「ねえしもべ。喉が渇いた」
荷袋の山をはさんでツィーの前にいる黒ずくめが、背を向けたままでそういった。無駄に澄んだその声は、ごとごと揺れる荷車の上でも、耳に忍びこむかのように、するりと頭の中まで届く。
まばたきひとつののちに、ツィーは、黒ずくめの頭上にかざしていた布を、ひとまずわきへ置いた。それから目の前の、荷袋のうちひとつの口を開けて、小さな革袋を取りだす。その革袋を、黒ずくめの、ほっそりとして冷たい手に握らせた。
黒ずくめが革袋に口をつける。こくりと、その青白い喉が動いた。
革袋には水が入っている。ただしそれだけでは、黒ずくめは、革の獣くささが移っていて嫌だと飲もうとしなかったから、ツィーがメンテの葉を入れていた。海辺の国内の、日当たりのいい地面に自生しているその黄緑の葉を水に浸けておくと、すうっと鼻に抜けるような、さわやかな香りがつくのだ。そうしてできるメンテ水は、頭痛や消化不良、疲労回復などに効果があり、酒場でもよく、二日酔いをした常連客などに出していた。
ツィーがメンテ水を作りはじめてからというもの、黒ずくめが獣くささを嫌って水を飲まず、荷車の上で干からびそうな顔をしていることはなくなった。が、
「ぬっるい」
こくりこくりと飲んだあとで、黒ずくめがそう顔をしかめた。ひょいとうしろ手に返された、渡したときよりいくぶん軽くなった革袋を受けとって荷袋の中へしまいこみながら、ツィーは淡々と応じた。
「このくらいでいいの。冷たすぎる水は体を冷やすんだよ。ただでさえ若様は体温が低いんだから」
「……しもべはばあやのようなことをいう」
憮然としたつぶやきに笑って、ツィーは再び膝立ちになり、黒ずくめの頭上に日よけの布を広げてやった。揺れる荷車の上でこの体勢を続けていると、腕やら太ももがだいぶ鍛えられる。
こんなふうに、いかにもいいところの坊な言動をみせる黒ずくめは、大衆酒場に入っても、出てくるものが口に合わないとぼやいて、ほとんど飲み食いしなかった。それではなにをしていたかといえば、酒で舌のすべりがよくなった酔客たちの噂話から、砂塵の国の王の情報を選りあつめていたようだった。
そしてこの荷車は今、砂塵の国へ向かっている。緑野の軍勢の侵攻で大わらわになっている海辺の国を、ほぼ横断してきた形だ。昨日から、周囲に人里が絶えて久しい。もう少しすれば海辺と砂塵の国境が見えてくるはずだと、先ほど、荷車について徒歩で進む、男たちが話していた。
「若君」
ふいに、緊迫した声が黒ずくめを呼んだ。




