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13  生贄の生贄



 身寄りのいない若い女ならだれでもよかったのだと知ったのは、ずいぶんあとのことだった。


 そのときは、どうしてあたしが、という気持ちと恐怖で頭がいっぱいで、ただただ錯乱状態だった。暴れるたびに痛めつけられた体はその恐怖をはっきりと覚えていて、だからもう暴れることもできなくて、あのときの精神状態は、そう、一言で表すならば絶望だった。


 着せられたのは、真っ白な花嫁衣装だった。あたしのそれまでの人生で着たことはもちろん、見たこともない、とても豪奢な。だけどひどく重いそれは、あたしを逃がさない檻のようでもあった。


 夜だった。松明が、闇を赤々と燃やしていた。黒々とした海を前に、周囲を完全武装の兵士たちに固められて、あたしは崖ぎわに立たされた。


 あたしの体には、太い綱が巻きつけられた。その綱の先には、岩のように大きな石がくくりつけられていた。あたしが決して浮きあがらないようにするための、重石だった。


 まわりの男たちは無感情な瞳で、あたしを「アーシュミーヤ様」と呼んだ。それはこの国の王妃の名前で、花嫁衣装のヴェールの下は傷んだ短髪と日に荒れた肌、青あざだらけのあたしが、そんな高貴なお方でないことはわかっていたはずなのに。わけがわからなかったけど、もう、どうでもよかった。体中が痛くて、巻きつけられた縄がさらに体中を苛んでいて、もうどうにでもなれと思っていた。


 祭司らしき老人が、なにごとかを海に叫んで。闇を泡立たせるかのような、太鼓の音が打ちならされた。


 背中を、強い手のひらに押された。とたん、あたしの体はあっけなく、松明に照らされた地上から、闇の海へと踊った。


 先に落ちていく重石に、あたしの体もぐんと引かれた。――けれど次の瞬間、ふっと、引かれる重みが消失した。


 思わず見あげた先の崖ぎわ、あたしの視界に入ったのは、さっきまで一番近くであたしを見張っていた兵士が長剣を抜きはなっている姿と、断ち切られた綱、で。その、あたしと重石をつないでいた綱を切ったのだろう兵士と、目が合った。


 ただ、重石から解放されたとはいえ、あたしはすでに落下している最中で。松明を映してか、赤く染まっていた気がする兵士の目に宿る色をたしかめる暇もなく、海面に叩きつけられた。




     *




 祭りの日から、一ヶ月が過ぎようとしていた。


 王からの音沙汰はなにもなかった。ケルティの訪問も、あたりまえだがふつりと途絶えた。シャウラだけが以前と変わらず、毎朝ご用伺いに訪れてくれている。


 ティアは膝の高さまで伸びたルベルに、金の如雨露で水をやっていた。細かなしずくが日の光に透けて、手もとにきらきらと虹が生まれる。


 ちょうど最後の一株にまで水をやりおえたとき、掃き出し窓の奥、開けはなした扉の向こうから、衣ずれの音が近づいてきた。


 部屋に控えていた侍女たちがいっせいに礼をとって、ほどなく扉の前に現れたベネトが、毒矢を受ける前と同じ、一片の乱れもない完璧な所作で、ティアに一礼した。


「王女殿下」


 ティアを呼ぶその声は、いつもどおり淡々としていた。けれどどこか、緊張をはらんでいるような気がして、ティアはかすかに首をかしげた。

 侍女に如雨露を渡し、靴の裏を敷布でぬぐって、掃き出し窓から部屋にあがる。窓辺の長椅子に腰かけて、ベネトを見た。


「なにかあったの?」


 ベネトはそんなティアの前まで来ると、今一度、深く頭を垂れた。




「――御姉君、アーシュミーヤ第二王女殿下、ご逝去にございます」




 ティアは息をのんだ。


「小姉様、も?」


 ベネトは顔をあげない。ティアは長椅子の肘かけをつかんだ。


「なにかの、まちがいじゃないの? だって早すぎるわ、小姉様が海辺の国に嫁がれたのは、わたしのたった二年前なのよ。どうして」


 ベネトが頭を垂れたまま答えた。


「海辺の国の神は、風を司る荒神でございます。しかし、海辺の国では近年、風が猛り、海が荒れて船が出せず、主要産業である漁が大きな打撃を受けておりました。これは海辺の神がお怒りなのであろうと、アーシュミーヤ第二王女殿下はおんみずから海辺の神を鎮めるための生贄として名乗り出られ、海に沈まれたとのことでございます」

「……そういう台本だったの? でもふつう、悲劇のヒロインが死ぬのは、嫁いだあと十年くらいたってからのはずでしょう。その国になじんで、その国でも死を惜しまれるほどに愛されたとみなされるだけの年月が過ぎてからのはずよ」

「わたくしは、アーシュミーヤ第二王女殿下の台本は存じあげません。ですが第二王女殿下のお輿入れは、緑野の王女殿下としてはいささか遅うございました。加えて、第二王女殿下はそのお美しさゆえ、すでに海辺の国でもそれは崇拝されていらっしゃったと聞きおよんでおります。以上を考えあわせると、もともと、第二王女殿下の台本は短いものだったのではないでしょうか」


 たしかに、そう考えればおかしくはない。けれどティアは、どうにも信じられなかった。


(だって……あの小姉様が、海に沈んだ?)


 そんなばかな、と思った。


「悲劇のヒロインである自分」に陶酔していたらしい上の姉と違って、下の姉は、純粋な自分自身に誇りを持っていた。実際、下の姉は美しかった。国中どころか、大陸で一番の美貌だと謳われ、本人もそれを自負していたはずだ。


 そんな下の姉は嫁ぐ前、上の姉ほど熱心ではなかったそうだが、それでもティアが覚えている程度には頻繁に、神官と大臣たちの台本執筆会議に顔を出していた。自分の容姿に絶対の自信を持っていた下の姉が、みずから進んで、荒れる海にその身を呑まれる台本を書かせたとは思えなかった。


 ――ただ、真相がどうであれ、下の姉まで亡くなったのなら、次は、ティアの番だ。


 急に息苦しさを感じて、ティアは庭へと視線を逃がした。


 きらきらと、あいかわらず外の緑は、みずみずしく日の光をはじいていたけれど。


 ティアの胸のうちには、黒い嵐が迫っていた。




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