「30日後、無のスタート画面にて。」
1日目 開始時間はもう過ぎている
その日は、やけに長かった。
まだ朝のはずなのに、
もう一日が終わりかけているような気がしていた。
理由は分かっている。
分かっているのに、頭が追いつかない。
教室に入った瞬間、何かが変だと気づいた。
音が少ない。
いつもなら誰かが笑っていて、
誰かがくだらない話をしていて、
誰かがそれにツッコんでいるはずなのに。
今日は違う。
椅子の音だけがやけに大きく響く。
机を引く音。
カバンを置く音。
ページをめくる音。
全部が、遠く感じる。
視線が、勝手に引き寄せられる。
教室の中央。
伊野大晴の席。
⸻
「……寝てる?」
誰かが小さく言った。
その声に、何人かが反応する。
でも誰も近づかない。
近づこうとしない。
おかしい、と思った。
ただ寝ているだけなら、
誰かが肩を叩いて、終わる話のはずだ。
なのに。
誰も、触れない。
「……伊野?」
今度は、少しだけ大きな声。
それでも、返事はない。
時間が、変に伸びる。
ほんの数秒のはずなのに、
やけに長く感じる。
息を吸うタイミングすら分からない。
その時だった。
ピ、と。
短い電子音が鳴る。
やけに大きく聞こえた。
視線が一斉に動く。
伊野の机の上。
ノートパソコン。
画面はついたまま。
黒い背景に、白い文字。
『30日後、この水平線のスタート画面にて』
「……なに、これ」
誰かが呟く。
誰に向けたわけでもない。
ただ、空気に溶けるような声。
「30日後って……」
別の声が重なる。
その下。
並んでいる影。
黒い、形のない人影。
一本、二本、三本——
数えようとして、途中でやめた。
やめたのに、分かってしまう。
「……三十」
誰かが、言った。
その数が、何を意味するのか。
考えなくても分かる。
クラスの人数。
「……でもさ」
すぐに、別の声が入る。
少しだけ、焦ったような。
「“30日後”なんだよな?」
誰も答えない。
でも、全員が同じ違和感を抱えている。
⸻
——まだ始まっていないはずだ。
なのに。
どうして、もう揃っている?
喉が、妙に乾く。
言葉が出ない。
その時。
「……伊野、大丈夫か?」
誰かが、ついに一歩踏み出した。
近づく。
一歩。
また一歩。
やめろ、と思った。
理由は分からない。
でも、これ以上近づいたら何かが確定してしまう気がした。
それでも、止まらない。
手が伸びる。
肩に触れる。
その瞬間。
ぐらり、と。
体が崩れた。
「……え?」
音がした。
鈍い音。
現実の音。
床に、落ちる。
「おい……?」
誰かの声が、震える。
動かない。
もう一度、揺らす。
それでも、動かない。
理解が追いつかない。
でも、分かってしまう。
⸻
——これは、違う。
「……っ、先生呼べ!」
誰かが叫ぶ。
ようやく、時間が動き出す。
でも。
私は動けなかった。
視線が、外せない。
床に倒れた伊野と、
その隣で光り続ける画面。
『30日後、この水平線のスタート画面にて』
その文字は、変わらない。
ただ——
⸻
その下の影が、
ほんの一瞬だけ、
欠けたように見えた。
気のせいだと思いたかった。
でも。
なぜか、確信していた。
これは、まだ始まっていないはずの何かが、
もう始まっている。
⸻
そんな気がしてならなかった。




