青春と失恋の契約
八木奏と椿真鈴が失恋と青春の契約を交わした日のことを語ろう。
その日は、校舎裏の木陰で、昼飯を食べていた。
「あの、椿さん。実はあなたのことが好きでした。お付き合いしてもらえませんか?」
俺の存在に気づいていないのか、聞き慣れたフレーズを耳にして、声の方に視線を向ける。
見た目からしてもう勝ち組。『絶対的な美少女』と称号を与えられても不思議じゃないだろう存在。椿真鈴が告白を受けていた。
これで何度目か分からないが、たぶん二桁入ってるだろう告白現場。
「前にも断りませんでしたか?」
「確かに断られた。でも、諦められないんだ!」
力強く言い迫られている。
怖い怖い。振った相手からのリターンマッチ。
「ごめんなさい。無理です」
「どうしてだい?これでも僕は君に釣り合う男だと自負してるよ」
自負しちゃってんだ。すげぇ自信。確かに女ウケしそうな見た目だよね〜。
野次馬根性が発揮されたのか、ちょっと身を出すように覗き込んでいたら、椿と目が合った。
ほんの一瞬、目が合った。
その瞳は獲物を見つけたような圧を感じさせた。
何事もなかったかのように視線をそらし、自分の時間に戻る。
流れる広告感覚で、その現場を覗くことはあったけど、目が合ったのは初めてだった。
彼らにとって、ここが告白の舞台であっても、ここは俺にとって昼メシを取るための居場所だ。
俺に目撃されたことで、今後、別の場所に変えてくれるかもしれない。
「私、この人とお付き合いしてますので、あなたとお付き合いすることはできません!」
絶対的美少女の言葉に、世界の時が止まった錯覚を覚えた。
恐る恐る視線を告白の舞台へと戻すと、美少女が俺を指差している。
ため息と共に、平穏な昼休みは砂埃のように散ったことを肌で感じる。
「え、そんな地味な人が椿さんの恋人なんてちょっと無理があるよ」
「当たり前ですよ。だって私と彼はプライベートな関係です。無関係な人が知っているわけないじゃないですか?ストーカーなら知っていてもおかしくないと思いますけどね」
怯えるように言うと、俺の腕に隠れるようにして抱きついてきた。
何を悟ったか、椿真鈴に告白した男子は頭を下げて来た。
「何度も告白していたのは本気で君が好きだったからだ。すまない、ストーカーと思われていたなんて。そうとは知らず君に迷惑をかけた」
そう言って、落ち込みオーラを全身にまとい、この場から去っていた。
校舎裏、密着した男女の一組。
腕から感じる感触との仄かに香る甘い匂いが、一瞬、これが夢だと錯覚させる。
この現場を他の誰かに目視されたら、もう俺が何を言おうと事実になってしまう。
「えっと、僕はあなた方がここに来る前からここにいたので、決して覗いてたとかそんなんじゃないですよ。もちろん、今回のことは誰にも言いません。だから、腕をですね……」
椿真鈴は目を丸くして、不思議そうに俺を見る。
「嬉しくないの? 一応お礼のつもりだったんだけど、そんなに私と話したく、ないんだね?」
腕を組むのがお礼って、男なら美少女に抱きつかれたら嬉しいだろうと思ってんのか……悪くはないけど、お礼と言われると素直に喜べないよ。
「八木くん、いつもここにいるよね。友達いないの?」
バレてたのかよ。ていうか、名前知られてたのかよ。働け『ぼっち』の称号!
「……それは友達の定義によるよね」
「……それ、友達がいない人のセリフだよ」
「友達が沢山いそうな君がなぜそう言える?」
「私もいないから」
しばらく沈黙が流れた。
お互い友達がいない宣言をした後の気まずさ。俺は宣言してないけど、とにかく気まずい。
「ごめんなさい、変なことに巻き込んだね」
やっと解放されたと安堵した矢先のこと。
「巻き込んだついでに相談に乗ってくれない?」
謝罪の意味知ってるか、と心のなかでツッコミを入れていた俺がいた。
「……あのさ、そういう相談なら、僕より適任がいるよ。ほら、うちのクラスの……えっと、、クラス委員長のポニーテールをいつも揺らしてる子。お節介さんだから、快く引き受けてくれるよ」
これで俺は晴れて自由になれる。
椿真鈴の視線が、マイナス数度まで冷え切ったことに気づく。
「……八木くん。君は、私が『誰でもいいから助けて』って言ってるように見えてるのかな?」
無神経だったことを反省します、ごめんなさい。
そんなことを言ってしまえば、この子の相談を受ける流れになる。
たがら、悪いと思いながら断る口実を考えていると、椿真鈴が小悪魔的な笑顔を見せた。
「ポニーテールさんは、人が良いのよね?君に相談したかったと言えば、どうなるのかしら?」
うん、あのお節介ポニーテール委員長なら俺も椿真鈴の相談に付き合わないといけなくなる。人口密度が増える分苦痛だ。
「相談ね、相談か、相談……、相談って何だっけ?」
「人に悩みを打ち明けて、話し合って解決案を導き出すことよ」
「へー、知らなかったなー」
「役に立てて光栄ね。じゃあ話してもいいわよね?」
もう逃げられそうにない。おい、いつになったら昼休みに終わるんだよ。
いつもなら、1秒でも長く続いてほしい時間が、一刻も早く終わってほしいと願う日が来るなんて。
ズボンのポッケに手を入れて、スマホを取り出し時間を確認する。あと十分もある、一般的な相談なら軽く聞けるんじゃないか?
言い訳に「あたたた、お腹の調子が悪いみたいだ、もしかしたらさっき食べたチキンカツが腐っていたのかもしれない。すまない、私のお腹の調子が万全なら君の相談なんて、午後のティータイムを優雅に過ごすような穏やかな気持ちで、さっさと解決できただろうに、非常に残念だ」なんて、どこかの世界チャンピオンのように逃げようとしたら、住所と連絡先を押さえられ、最悪ストーカーのように追いかけられる恐れがある。そう思わせる、実感がある。
「あの、相談って何?」
椿真鈴はやっと、核心を突いてくれた、そんな喜びを満面の笑顔で表現にして、まるで好きな人を友達に宣言する前触れのような、その一歩手前といった様子で――
「私、失恋がしたいの」
そう言い切ったのだ。
俺と真鈴の間に沈黙が流れる。
真鈴は真剣な眼差しで俺を見つめていた。そこに嘘や冗談なんて感じられない。
「失恋……、一応、言い間違えや思い違いの可能性があるから、意味を言ってもらっていい?」
「私が異性に恋……つまり、男女の間柄に存在する交尾をするための建前みたいな感情が恋ね。そういう感情を抱いた異性と交際して、その恋心を否定されることよ」
「えーと……うん?」
「あれ、今の説明でわからなかったのかしら?」
「失恋の意味は知ってるよ。その動機がわかんないんだ」
「だって、私って美少女でしょ。私を嫌いになる異性なんていないわよ。つまり、私が恋をすれば、その心は必ず受け入れてもらえるのよ?」
椿真鈴は私、おかしなこと言ったかしらみ、たいな顔をする。
「私が美少女である限り、私の本質は評価対象にはならない。でも、私の恋心を否定されたらそれは私の本質が評価されたってことにならないかしら?」
聞かなきゃよかった。こんな重くて面倒な悩みは俺に背負えるレベルを超えてるだろ。
「それで僕に解決案を一緒に考えて、って言うつもりか。それは相談相手を間違えてるよ」
「間違えてなんていないわよ。私は失恋をしたい。つまり、私を好きにならない人が絶対条件なのよ。だから、八木君に私を振ってほしいの」
「ごめんなさい、僕、あなたのことなんて好きでもなんでもないので関わらないでください」
渾身の、一点の曇りもない「お断り」を叩きつけた。
これでこの話は終わりだ。彼女が望むのは「振られること」なのだから。
だが、真鈴は数秒の硬直の後、心底不思議そうに首を傾げた。
「…………何を言ってるの? そうじゃないわよ。話は最後まで聞いてちょうだい」
「失恋したいんだよね?」
「私が納得するね、 そのためにも私の話は最後まで、聞いてね」
「どうぞ」
「私は失恋をしたい。君に恋もしてないのに、振られたって意味がないじゃない。無いものを失うとは言えないでしょ。だから、私があなたを好きになることが前提で話を進めるわ」
あれれー、おかしいぞ。そこに俺の同意はないんだけど変じゃない?
「前提条件がそもそも間違いだよ。俺が君を好きになる可能性はゼロじゃない」
クスっ、笑みをこぼす。距離を詰めて上目使いで俺へと視線を向ける。
「本当に好きにならないの?」
美少女の満点満開スマイルと甘美な声のコラボレーション。破壊力抜群、演技だと分かってても心臓持ってかれるレベル。
椿真鈴を好きになっても不毛なだけ、……っていうか他者に恋愛感情を持つことさえ不毛なんだが、こいつに至っては、それが確定してるから逆に安心なのか?
圧倒的美少女の可愛さに、動揺していると。
「君には期待をしてるんだ。私を好きにならないという期待。絶対な確信はまだ持てないよ。でも君は、私を好きにならない気がする」
「どうして、そう思うんだ?」
「だって、私と同じ目をしてるから、恋愛なんて期待してないんでしょ。私が数多の男を振ってるのを知っていながら、ずっとここで昼食をとってるもの」
いや、単純にここしか居場所がないからね。
「最初はただの物好きかと思ったよ。でも放課後の告白は絶対いないし、昼休みの告白は必ずいるもの。あ、単純に私に興味ないんだって思ったよ」
「それでどうして恋愛には興味がないになるんだよ。俺だってめっちゃ青春に憧れてるわ」
少し動揺したのか話し言葉の一人称を俺にしてしまった。僕で徹底してたのに。
「そうかもね、でもひとりぼっち、私と同じ。いつも逃げるようにここに来る。気になって君のクラスを特定して観察してた時期があるのよ。観察の結果、君は『ひとりぼっち症候群』と判定しました」
知らない造語が来ちゃった。
「で、その『ひとりぼっち症候群』はどういう症状なの?」
「他人に裏切られたくない小心者が自分の心を守るために一人になろうとする病気かな?」
「ふーん? でも今こうして俺は君と普通に会話してるけど?」
「君が私に興味がない証拠だね」
核心を突かれた。何も抵抗なく頭がそう理解した。
「……そう言われると、そうなのかもしれない」
納得する自分がいた。
椿真鈴は俺にとって絶対的美少女なんだ。取り扱いを気をつけないといけない刃物だ。
誰だって、食事をする時、口に入れる物のは厳選する。そのうえで弾いた物は危険だと思うからだ。当然、食事をした物が必ず安全とは限らない。けど、わさわざ毒だと分かってる物を、危険の少ない食事をしたい人が、口に入れることはない。
だから、俺は椿真鈴に恋愛感情を抱かない。
「君が私を好きにならないとするなら、私を振ることなんて容易だよね。いや、確実なのかしら。そこで、私が本気で君に恋すれば、恋を失うことで、失恋できる」
「なるほど? 仮にそうだとしても、俺が君に付き合うメリットがないんだけど」
「君は青春がしたいんでしょ?」
確かにしたい。
「私と疑似恋愛をすればいいじゃない。君は私を好きにならない、私を振ることが確定してるから。私は全力で君を好きになる、失恋をしたいから。利害は一致してるけど、どうかしら?」
「それだと、僕は何もしなくていいじゃない?」
「駄目よ、君は私を振る。これは責任よ。でも、君だけに重みを背負わせるのは平等じゃない。私は君に言い訳《恋人》を用意する。もちろん、用意できなかった場合は私が約束を破ることになる、そのときは一生私は君の恋人でいいよ。ね、デメリットなんてどこにもないでしょ!」
狡猾な交渉材料を並び立て、俺から思考するターンを奪いに来る、その狂気に満ちた恍惚とした笑みはまるで芸術作品だ。
「ちょっと待って、理解が追いつかない、一旦家に持ち帰ってから考えさせてもらっていい?」
「逃げない?」
椿真鈴は満足げに、そして獲物を追い詰めた獣のように微笑んだ。
俺は「青春」という名の毒を――
彼女は「失恋」という名の絶望を――
「――よろしくね。私の恋人さん」
耳元で囁かれたその声は、甘い蜜だ。過剰摂取は、毒になる。




