9話
日曜日の朝。
千種寺港の待合所には、いつものように島の人たちが集まっていた。
新聞を読むおじいちゃん、釣り竿を抱えた中学生、野菜を抱えたおばちゃん。
その中に、美幸と瞬の姿があった。
「おや、今日は2人でお出かけかい?」
声をかけてきたのは、魚屋の田代さん。
手には発泡スチロールの箱を抱えている。
「うん、ちょっと隣町まで。バスケの試合、観に行くの」
「へぇ〜、デートかと思ったよ。お似合いだねぇ」
「ち、違いますって!」
美幸が慌てて否定すると、近くにいた八百屋の奥さんもにやにやしながら言った。
「でも美幸ちゃん、今日はちょっとオシャレじゃない?そのスカート、初めて見るわよ」
「えっ、そ、そんなことないです…」
「瞬くんも、いつもより髪ちゃんとしてるじゃん。ねえ、ねえ」
「いやいや、これは“風対策”です。海風、強いんで」
周囲に笑いが広がる。
2人は顔を赤くしながら、そそくさと乗船口へ向かった。
「…なんか、恥ずかしい」
「俺も。島って、ほんと逃げ場ないよな」
「でも、ちょっとだけ楽しかったかも」
「え、なにが?」
「…なんでもない」
船が岸を離れると、海風が頬を撫でた。
美幸は、瞬の隣に座りながら、なんとなく落ち着かなかった。
幼馴染で、隣の家で、何度も行き来してきたのに。
今日は、少しだけ違う。
「…なんか、デートみたいだね」
瞬がぽつりと言った。
美幸は、思わず顔を向けた。
「は?なに言ってんの」
「いや、ほら。船乗って、街に出て、2人で観戦って。…ちょっとだけ、ね」
「ちょっとだけって何」
「ちょっとだけは、ちょっとだけだよ」
瞬は照れたように笑った。
その笑顔が、いつもより柔らかく見えた。
本州に着くと、駅前の人の多さに2人は少しだけ圧倒された。
体育館までは電車で30分。
車窓から見える街の風景が、島とはまるで違っていた。
「都会って、なんか…音が多いね」
「うん。でも、たまにはいいかも。美幸と一緒だし」
その言葉に、美幸は一瞬、息を止めた。
瞬は、何気なく言ったつもりかもしれない。
でも、美幸の胸には、静かに響いた。
体育館に着くと、すでに観客でいっぱいだった。
2人は2階席の端に並んで座った。
試合が始まると、会場の空気が一気に熱を帯びる。
「うわ、速っ。あのパス、えぐい」
「ディフェンスの戻りも早いね。あの3番、視野広いな」
瞬は、目を輝かせながら試合を見ていた。
美幸は、そんな瞬の横顔をちらりと見た。
試合よりも、瞬の表情のほうが気になってしまう自分に、少しだけ戸惑った。
ハーフタイム。
瞬がポケットからチョコレートを取り出した。
「ほい、糖分補給。美幸用」
「なんで持ってんの」
「俺の中では、観戦=エネルギー消費だから。あと、…美幸が甘いの好きなの、知ってるし」
「…なんでそんなこと覚えてんの」
「いや、隣の家だし。記憶の地層に埋まってる」
美幸はチョコを受け取りながら、ふと指が触れた瞬に、心臓が跳ねた。
瞬は何も気づいていないようで、チョコを口に放り込んでいた。
後半戦。
試合はさらに白熱した。
美幸は、プレーを追いながらも、瞬の反応が気になって仕方なかった。
瞬は、選手の動きに合わせて小さく頷いたり、手を握ったりしていた。
「…瞬ってさ、やっぱりバスケ好きなんだね」
「うん。好きだよ。美幸がやってるから、ってのもあるけど」
その言葉に、美幸はまた、息を止めた。
でも、瞬はすぐに続けた。
「でも、今日の試合見て思った。俺、やっぱり“支える側”が好きなのかも」
「支える側?」
「うん。目立たなくても、誰かの動きを支えてる感じ。俺、そういうの、好きなんだと思う」
美幸は、何かを言いかけて、やめた。
その“誰か”に、自分は入っているのか。
聞くのが怖かった。
そして、圭子の顔が、ふと頭をよぎった。
瞬が圭子と並んで編集していた日のこと。
あの笑顔。
あの距離。
それを思い出すと、胸が少しだけ痛くなった。
でも、今日の瞬は、ずっと自分の隣にいた。
チョコを渡してくれた。
「美幸と一緒だし」と言ってくれた。
それは、ほんの少しだけ、嬉しかった。
試合が終わり、観客がぞろぞろと出口へ向かう。
2人は並んで歩きながら、言葉少なだった。
駅までの道。
瞬がふと言った。
「今日、来てよかったな」
「うん。…私も」
それだけの言葉が、なぜか胸に残った。
電車の中。
美幸は、窓の外を見ながら、瞬の隣に座っていた。
距離は近い。
でも、心の中では、まだ何かが揺れていた。
それは、恋なのか。
それとも、ずっと隣にいたからこそ生まれた“わからなさ”なのか。
でも、今日の自分は、瞬の言葉に少しだけ嬉しくなった。
それだけは、確かだった。




