7話
文化祭当日。
千種寺中の校舎は、朝からざわざわと賑わっていた。
体育館の床には島民のスリッパが並び、商店街の屋台からは焼きそばと甘酒の香りが漂ってくる。
校庭では子どもたちが走り回り、町内会のじいちゃんばあちゃんが将棋盤を囲んで笑っていた。
バスケ部の体験コーナーも盛況だった。
フリースロー大会には小学生が列をなし、瞬がボールを渡すたびに「がんばれー!」と声をかけていた。
その声は、体育館の高い天井に吸い込まれていく。
美幸は、空気入れを手にしながら、ボールの感触を確かめていた。
空気圧は問題ない。けれど、何度も手のひらで押してしまう。
瞬は映像展示の係で、体育館の隅に設置されたモニターの前に立っている。
圭子と並んで、来場者に説明をしていた。
「このシーン、スロー再生になってます。美幸ちゃんのシュート、かっこいいですよね」
圭子の声に、瞬が「だろ?」と笑う。
その笑顔が、また胸の奥をざわつかせた。
美幸は、ボールを強めにドリブルした。
乾いた音が、体育館の床に響く。
誰も気づかない。けれど、自分の中では何かが揺れていた。
昼過ぎ。
一段落した体育館の裏手で、美幸はペットボトルの水を飲んでいた。
風が吹き抜け、校舎の壁に吊るされた垂れ幕が揺れている。
そのとき、圭子がやってきた。
「美幸ちゃん、ちょっといい?」
「うん、どうしたの?」
圭子は、少しだけ息を整えてから言った。
「私、瞬くんのこと…好きかもしれない」
その言葉は、風の音よりも静かに、美幸の耳に届いた。
けれど、心の奥では、何かがはっきりと音を立てて崩れた気がした。
「…そっか」
それしか言えなかった。
言葉が、うまく出てこなかった。
口の中が乾いて、喉がつまるような感覚があった。
圭子は、少しだけ笑った。
「ごめんね、なんか、言いたくなっちゃって。美幸ちゃんには、ちゃんと伝えたかったから」
「ううん、いいよ。言ってくれて、ありがとう」
2人の間に、しばらく沈黙が流れた。
風が、体育館の壁を撫でていく。
遠くで、誰かが笑っている声が聞こえた。
美幸は、瞬の姿を探した。
モニターの前で、子どもに説明している。
その笑顔は、誰にでも向けられるもの。
でも、圭子には、少しだけ違うように見えた。
その夜。
美幸は、自室の窓を開けて、潮の匂いを吸い込んだ。
隣の瞬の家からは、テレビの音がかすかに聞こえる。
その音が、いつもより遠く感じた。
「瞬、あれさぁ…」
昼間、思わず口にしかけた言葉が、また喉の奥で引っかかった。
言えばよかったのか。言わなくてよかったのか。
わからないまま、時間だけが過ぎていく。
空気入れを言い訳に部屋へ行ったあの日。
あの距離。
あの空気。
あの“当たり前”は、もう戻らないのかもしれない。
美幸は、枕に顔を埋めた。
言葉にならない感情が、胸の奥で静かに渦を巻いていた。
それは、恋ではない。
でも、確かに“何か”が始まってしまった。
そして、誰にも言えないまま、静かに続いていた。




