1話
ここは瀬戸内海に浮かぶ小さな島、鷹取島。
その中でも、千種寺の門前町として知られる千種寺町は、潮の香りと鐘の音が混ざる、どこか懐かしい空気に包まれている。
朝の静寂を破るのは、決まってあの声だ。
「おい、相棒!行くよ!」
ボーイッシュな顔立ちの宮藤美幸が、隣家の戸を勢いよく開け放つ。
「おー、美幸ちゃんは今日も元気だなぁ」と笑う家主の声を背に、同じく中学1年の寺本瞬が「いってきます」と駆け抜ける。
「そんな寝癖じゃ女子にモテないよ」
「うるせぇ、これは今日限定のこだわり寝癖だ」
2人は千種寺の前で一礼し、校門へと駆けていく。
酒屋のおじさんが笑いながら言う。「おー、狛犬どもは相変わらずだなぁ」
この「狛犬ども」という呼び名は、町に伝わる昔話に由来する。
千種寺の境内にある狛犬は、かつて島に流れ着いた兄妹が彫ったものだと言われている。兄は力強く、妹は快活で、2体の狛犬はいつも寄り添っていた。
美幸と瞬が幼い頃から境内でバスケをしていた姿が、その狛犬にそっくりだったことから、町の人々は自然とそう呼ぶようになった。
境内の石畳にボールを弾ませる音。
「瞬、もっと腰落として!」
「はいはい」
まだランドセルの頃、2人は寺の鐘の音に合わせてドリブル練習をしていた。
その姿は、まるで島の時間と一緒に育ってきたようだった。
千種寺町の中学校は、校舎も生徒もこぢんまりしていて、誰が誰と仲良しかなんて、先生よりも町の人のほうが詳しいくらいだ。
そんな中で、ひときわ目立つのが女子バスケ部の宮藤美幸。
ボーイッシュで爽やかな性格、笑えば誰でも元気になるような笑顔。
けれど校内では、なぜか“モテない”。
バスケの試合になると、まるで獣のような迫力でコートを支配する。その姿に憧れる他校の男子は多いけれど、校内では“姉御”扱い。
本人は気にしていない。むしろ「色気って何?筋肉のこと?」と真顔で返すくらいだ。
そんな美幸の隣に住むのが、寺本瞬。
同じく中学1年、男子バスケ部。
美幸の“鬼コーチ”ぶりに耐えながら育ったせいか、瞬は気配りと優しさの塊みたいな男になった。
誰にでも分け隔てなく接するし、男子にも女子にも人気がある。
ただ、校内女子からは「惜しい」と言われる存在。
理由は簡単。開けっぴろげすぎるのだ。
「下ネタとか関わらなければモテるよ」と言われても、瞬は笑ってこう返す。
「男は皆んなスケベなんだ。女子が言ってるのは隠してるムッツリスケベだ。俺はオープンな変態だ。自覚してるだけ俺はエライ」
そんな瞬の言葉に、美幸は「バカじゃないの」と呆れながらも、どこか安心している。
2人の家は隣同士。親同士も幼馴染で、家の行き来も部屋の出入りも自由。
「瞬ー、風呂入ってるから勝手に冷蔵庫見ててー」
「おう、今日はプリンあるな。いただきます」
そんなやりとりが日常で、町の人々も「仲良い姉弟」として見守っている。
千種寺の境内で2人がバスケの練習をしている姿は、まるで狛犬が跳ねているようだ。
そして今朝も、千種寺の門前で2人が並んで一礼する姿を、校門の陰からそっと見つめる少女がいた。
小谷圭子。
彼女はいつも、誰にも気づかれないようにこの朝の光景を見ていた。
美幸と瞬の距離感に、憧れと少しの嫉妬を抱きながら。
この島の朝は、いつも同じようでいて、少しずつ何かが変わっていく。




