20話 パン屋は街の架け橋
――そして迎えたセンバ祭。
前日は大ぶりの雨で、材料の運搬などに多少の支障は出たものの――当日は概ね計画通りに進行していた。
「コムギちゃーん! 新しいやつ二つ!」
「はーい!」
入ってくるなら元気よく名前を呼ぶ常連の客にコムギは袋にいれた新商品――クラゲパンを渡す。
「絶対出来立てのうちに食べてくださいね。ジャムが消えてしまうので」
「おん? ああ、そんなこと言ってたなぁ」
それから店の中に入る。
「おかあさーん! 生地足りそうー?」
「まだ大丈夫!」
店頭から一度厨房に戻り、作業をする母と短くやりとりをして、再度店の外に出る。前日までにもかなり多くの人がセンバを訪れていたが、祭りの当日はやはり比べ物にならないぐらい多くの人が歩いている。
そんな中、一人の大男が店に向かって歩いてきた。
「取りに来ました」
「あ、もう無くなりました? わかりました、追加分厨房の外……そうです、あそこに置いてあるやつです。出してあるので持っていってください」
そう言うと大男はのそのそと歩いて、焼く前のパンが詰まった袋を軽々と担ぎ上げて、街のほうへ歩いていく。入れ違いで、また別の人が荷物を運びにやってくる。
まさか彼らが手伝ってくれるとは、いざその光景を目の前にしても、一週間以上前のコムギには想像もできなかった。
なにせ彼らは――元山賊であるのだから。
◇
「――山賊の人たちをお手伝いに、ですか?」
五日前、コムギはエノの提案を聞いて、思わず一度聞き返した。
「はい。ノイバ隊長は未だ彼らの処遇を保留にしていますが――実罪の少なさから、重い罰を与えることはないと仰っていました」
「なるほど……」
それからエノは頬のひげをくるくると巻いて話を続ける。
「ですから彼らを人手として採用すれば――ひとまずコムギさんの案は採用できるのではないか、と。ただし彼らは一度僕たちを襲った人間です。特に、コムギさんが怖い思いをされていたら――彼らと会わせることは不適切である、とは理解しています」
エノはコムギを心配してそう言うが、コムギの懸念点はどちらかと言うと他にあった。
「いえ、エノさんのおかげで結局何もされてないですから、私は大丈夫なんですけど……それより、お金の面でどうなのかなと思って」
するとエノは手を下ろし、難しいことを考える面持ちで、真剣に話をした。
「実刑を与える代わりに、例えばこういう機会に無償で働いてもらって、釈放する。……その後のことは彼ら次第ということになると思います」
「……あ、確かに。お祭りで手伝ってる姿を見せれば……」
「働き手は見つかりやすくなるはずです。それにこの街ではグレフくんがいるような、自警団が上手く機能していますから」
◇
せっせとパンを運搬していく元山賊たちの姿を見送りつつ、コムギはそんな会話を思い出していた。あれから激動の日々を送っていたが、過ぎてみればあっという間な感じがした。
接客を母と交代し、コムギが厨房の外側で休憩していると、どこからともなく一人の男が――本当にどこから出てきたのかわからないぐらいいきなり――ゆらゆらと歩いてくるのが見えて、コムギは驚きつつ会釈をすると、彼もにこりと笑って会釈で返した。
「お疲れ様です。パンのほうは順調ですか」
彼――魔道具の鑑定士、ガルバンゾは相変わらずの微笑でそう言った。短く結んだ青色の髪にキャスケット帽、トレンチコートとなかなか印象深い外見をしているのに、なぜだかいつも周囲の風景にスッと馴染んでいて目立たない。
「はいっ! おかげさまでご好評いただいてます」
「それはなによりです」
そんな言葉を交わすと、二人は自然と店に並ぶ短い列のほうに目をやる。それからガルバンゾが口を開く。
「しかし、考えましたねぇ。魔法の窯ではなく――あえて普通の窯を使い、常に焼きたてを提供することにするなんて」
「うーん、でもうちだけでやるとお客さんが溢れちゃうし、街のいろんなところに分配とかはできなかったと思うので……皆さんの協力あってこそ、ですけどね」
コムギはどこか申し訳なさそうに苦笑する。
クラゲソウは加熱を必要とするが、普通の窯で焼くと十分から二十分で消滅してしまう。だから通常は特殊な魔法の窯で焼きその消滅を防ぐのだが、肝心の魔法の窯が祭りの直前に壊れてしまった。
そこで、コムギが提案した内容は次のようなものだった。
従来の案のように、パンを焼いてから街中で配るのではなく――コムギベーカリー以外にも拠点を設置して、焼く前のパンを各拠点に運び込んでそこで焼いて提供する。
これによって消滅する前の状態を保ちつつ、客足も分散することで回転率も高くする。もっとも、わざわざコムギベーカリーに来てくれる常連は多いのだが。
皆さん、というのには実に多くの人が含まれる。同業のパン屋をはじめ、様々な飲食店が窯を使わせてくれた。例えばマスカも快く場所を使わせてくれて、本当に彼女には頭が上がらない。
それから、この作戦には日中に手が余っている多くの労働力が必要であったが、先の元山賊たちの協力はかなりの助けになった。彼らは罪滅ぼしが含まれているからか、とても良心的に働いてくれている。
「ガルバンゾさんも、色々助けてくれてありがとうございました。お借りした魔道具も本当に役に立つものばかりで、なんとお礼をしていいのか……」
もちろん、協力者といえばガルバンゾの存在は欠かせない。彼はもはや依頼人としての域を遥かに超えた協力をしてくれた。
例えば今現在厨房で稼働している、生地を効率よく成型してくれる魔道具や、普通の窯の燃焼効率を上げてくれる魔道具など、もともとベーカリーになかったようなさまざまなものを手配してくれた。
「いえ、本命の魔法の窯は結局間に合いませんでしたからねぇ。微力ですよ、微力」
そうやって謙遜する彼に、そんなことはないとコムギはフォローしようとするが、それを言葉にする前に彼は「それに」と遮る。
「皆さんの協力あってこそ、と仰っていましたが――彼らの協力を取り付けることができたのは君の人望あってのことでしょう。それも含めて、君の実力なのだと、私は思いますがねぇ」
それからガルバンゾはコムギの顔をまじまじと見つめる。彼は熟練の鑑定士だと聞いているが、見た目でいうとかなり若い――多分二十代半ばぐらい――なように思っていた。
しかしこうしてコムギを見つめる彼の表情は、子を見る親のような、優しいものだった。それだけ彼もまた、精神的に成熟した人間なのかもしれない。そんな彼が感情に揺れ動かされて手伝いをしてくれた、というのは、もしかしたら半分くらい冗談かもしれないが、本当なら素直に喜ばしいことである。
それから二、三言交わすと、コムギはあんパンをひとつ渡す。別れ際、彼はまた会釈をして人混みの中に消えていった。
◇
ガルバンゾは群衆の中、ふと振り返る。そこには別れてすぐに作業に戻り、一生懸命頑張るコムギの姿があった。ガルバンゾは、淡い記憶を辿り、思いを馳せる。一人の少女の姿に、別の誰かを重ねるように。
「――やはり、君によく似ているよ」
笑顔にどこか儚いもの悲しさを浮かべて、消えいるような声でそう呟くと、ガルバンゾはあんパンをひとくちかじりながら歩き出した。何十年も前から、ほとんど変わらない甘さが香る。
◇
午後になると、お祭り中とはいえ、客の数は減っていった。各拠点を置いたことで上手く分散しているのと、常連客は一通り顔を見せに来てくれたのとで、徐々に落ち着いていき、無事閉店時間を迎えた。
「コムギいるー?」
ちょうどその頃、マスカが店にやってきた。
「いるよ! どうしたの、なにかあった?」
「ううん、トラブルはなにも。でもコムギにお客さんがね」
お客さん? とコムギが首を傾げると、マスカの後ろからドアを開けて、上質そうな洋服を大事そうに手に持った一人の少女が入ってきた。コムギと似た顔、声で違うのは彼女――アズキの髪は紫に近い褐色をしているということぐらい。
「お客さんって……アズキが?」
アズキが無言で頷くと、隣に立つマスカが口を開く。
「そう。……あー、でも、見方によっちゃコムギのほうがお客さんね」
「うん?」
「ほら、アズキちゃん」
マスカに促されると、アズキは白と銀色が混ざったドレス――あるいは、ワンピースにも見える――をパッと広げる。彼女はまだコムギよりもいくらか背が低いからか、少しばかり彼女よりも高い位置に手を伸ばして全体を見せる。
「……これは?」
布自体の美しさもさることながら、美しく縫われた素敵なデザインのそれに目を奪われつつコムギはそう聞いた。
「お姉ちゃんに、プレゼント」
「……えっ」
コムギが驚いていると、すかさずマスカが補足する。
「アズキちゃんが一から作ったんだって。すごいよね」
「……時間が無かったから、店長にも手伝ってもらったよ」
アズキが自信なさげにそう呟いたあたりで、コムギは思い切り彼女を抱きしめていた。
それは純粋に贈り物が嬉しい気持ちがほとんどだったが、ぎくしゃくした――アズキは自分が一方的に感じているだけだと言っていた――店長との関係が良好そうでよかったという安心も、少し。
「こんな素敵なドレスを、アズキが? 凄いよ、本当に凄い。ありがとう」
コムギがアズキの肩を持って目をしっかり合わせてそう言うと、彼女は照れているのか目と話題を逸らしてこう言った。
「……うん。……あ、布はね、多分結構良いやつなんだけど……前にお姉ちゃんが指輪を見つけてくれたお礼だって、布屋のおばあさんが譲ってくれたんだ」
コムギは平時意識的に人助けをしているわけではないのでそれにすぐにはピンと来なかったが、やがて一ヶ月前にそんなこともあったなぁ、と思い出す。その巡り合わせを懐かしみつつ、コムギは質問する。
「でも……どうして? だって私、夜の舞踏会には……」
するとアズキは、コムギの両手をとってその上に自分の手を重ねて握る。
「関係ないよ。お姉ちゃんには、祭りの今日、私が作った服を着てほしいと思ったの」
「アズキ……」
「それに、舞踏会の前にエノさんとデートするんでしょ?」
「デっ……ま、まあ、うん」
「特別な日ぐらい、特別な服着てもいいんだよ。マスカちゃんが来なかったら、作業着のまま行ったりしそうだもん」
いやいやいくらなんでも流石にそれは、と思う反面、忙しかったりしたらやりかねないという自覚もあったので、図星といえば図星である。
アズキには、先日腹を割って話し合って以降、エノに対する気持ちなどを話すようになった。身近な存在である彼女にその話をすることによって、コムギは自身の気持ちを誤魔化すのを防いでいた面もある。
横からマスカは握った拳を見せながら、話に参戦する。
「それ着て今夜こそエノさんを落としてきなさい。大丈夫、私たちがついてるから」
そうして応援してくれた二人に送り出されて、いよいよ――乙女の戦が、幕を開ける。
◇
「あっ、エノさん!」
当日はここで待ち合わせよう、とあらかじめ約束していた、街の端のほうの静かな――とはいっても今はそれなりに人も通る――池の近くに行くと、これはやはり想定していたことではあるが、エノのほうが先に着いていたようだ。
アズキから譲り受けた白基調のきらびやかなドレス、マスカにやってもらった薄づきの化粧、母から借りた香水でとびきりめかし込んだコムギは、慣れない格好や匂いにそわそわしつつ、隊服に身を包んだエノに話しかける。
「すみません、待たせちゃいましたか?」
「いえ……」
エノは振り向くやいなや、コムギの姿を見てぴたりと静止し、しばらく言葉を忘れたように黙っていたので、コムギは「エノさん?」と呼びかける。すると彼はハッとして、胸に手を当てて軽く頭を下げる。
「失礼。……あまりにお美しいものですから、少々見惚れてしまいました。素敵なドレスですね」
「お……っ、嬉しいです、けど……大袈裟ですよ」
彼のこういう慣れた言い回しは今に始まった事ではないし、自然な声色と早さで言ってくれるからクサい感じはしないのだけれども、どうにもその言葉で本当の感想が隠れてしまっているように思えてしまって、ちょっともったいない。反面、ちゃんと嬉しくも思っている自分がいて、負けたように思えてちょっと悔しさもある。
「いえ、本当によくお似合いです。……では、行きましょうか」




