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18話 アズキは大切な妹



 その夜、コムギは夕食を用意してアズキの帰りを待っていた。朝と昼は顔を合わせることはなく――向こうが話したくないのなら当然なのかもしれないが――すれ違いになっていた。


「ごちそうさま!」


 やがてダイズがご飯を食べ終えて満足そうにそう言った。

 アズキがこんなに遅くまで家を出ていることはない。コムギが寝る時間まで帰らないつもりだろうか。でも、だとしても、今日はちゃんと話したい。そう思いながら、マメと戯れるダイズを見つめていた。


 それからどのぐらい時間が経っただろう。ダイズもマメも寝てしまったからコムギは一人部屋の中で待ち続けていた。


 しかし、それにしても遅い。外はもう真っ暗で、さすがに心配になってくる。自警団や騎士隊の人たちが巡回しているとはいえ、今の時期はなにが起こるかわからない。余計なお世話、と思われても構わないから、コムギは家を飛び出してアズキが働く服屋へと向かった。


「――え、アズキちゃん? ならいつも通り帰ったけど」


 だから服屋の主人がそう言った時、コムギの頭は真っ白になった。それから不安がっている暇は無いと、アズキを探すという文字を真っ白な頭に書き下ろして走り出した。


 また、服屋の主人はこうも言っていた。「そういえばアズキちゃん昨日から元気なくてなぁ。なんかあった?」。それを聞きたいのはこっちのほうだったが、構わずコムギはぼんやりした街灯を頼りに走り続けた。


 街の中央部辺りまで来たところで、コムギは声をかけられた。


「……え、コムギ? どうしたのこんな時間に」


 振り返ると、幼馴染のマスカと、その横で大きな荷物を運んでいる同じく幼馴染のグレフが歩いているところだった。そういえばここはマスカの酒場から近かったと思い出しつつ、息を切らしながらアズキが見つからないことを説明する。


「なるほど、どおりで急いでるわけだ」


 グレフは前髪をかきあげ、真剣な顔でそう言った。それからマスカと目を合わせると、彼女は荷物をグレフの荷物の上に重ねる。


「とりあえず私たちで探してみるから――コムギは家に戻って」

「え、いや、私が探さないと――」


 コムギが直ちに提案を拒否しようとすると、マスカはコムギの肩に手を置く。


「もしアズキちゃんが家に戻った時、あんたは家にいたほうがいいでしょ」

「でも……」

「大丈夫、任せて。絶対なんとかするから」


 その顔はひどく頼もしく見えたが、正直どうしてマスカがそこまで助けてくれるのかコムギに推し量ることはできなかった。確かに幼馴染で大切な縁だが、彼女は時折、それ以上の熱量でコムギに向き合ってくれる。


「ほら、早く行くよ」


 そう言ってずんずん歩いていくマスカに引っ張られながら遠ざかっていくグレフは、ひらひらと手を振りながらコムギにも声をかける。


「コムギも夜道気をつけてなーっ」


 それは二人も、と言おうとして、そういえばグレフが自警団所属で用心棒としては最適な人材であることを思い出した。普段のおちゃらけた彼と接すると忘れがちだが、こういう時、彼もまた頼りになるなぁと考えながら、コムギは自宅に逆戻りしていった。



 一方、アズキは木に吊るされたブランコに腰掛け、時々意味もなく前後に揺れたり、小石を蹴っ飛ばしたりしてひたすらにぼうっとしていた。


 日はすっかり落ち、月明かりの光だけがぼんやりと地面を照らしている。

 一日経って落ち着いて、アズキは自分の言動を反省していた。どう考えても、姉にあたるべきでは無かったと。


 反面、心の底で思っていたことを口に出したのだからそれを訂正して終わり、とはならないわけで、とにかく時間が解決してくれないかなと無謀な願いをするばかりであった。


 ――はぁ。帰りたくないな。


 とは言うものの、あそこが自分の生まれ育った家で、生まれ持った家族で関係である以上帰る場所に違いない。それでも今はもう少し、その時間を引き伸ばしていたかった。


 ――お姉ちゃん、心配してるかな。


 ああいうふうに言った以上、多分あれが本心だ。だけどだからと言って姉が嫌いなわけではまったくない。姉と自分を取り巻く環境や、相対化した関係の中に不満を見出しているだけであって、姉のことは変わらず大好きなお姉ちゃんであると、アズキは考えていた。


 それから地面に足をつき、また意味もなくブランコを一度こいだときだった。

 トストス、と草を踏む足音が聞こえて、アズキは警戒して立ち上がり、振り返る。


「――やあお嬢ちゃん、こんな時間に何してるんだ?」

「……」


 暗さでよく見えないが、ここらじゃ見ない格好をした二人組の男だった。顔はわからないものの、少なくともアズキの知り合いではないという察しはつく。


「迷子かな? 危ないから家まで送っていくよ」


 背の低いほうの男はそう言うと近づいてきたから、アズキは本能的に後ずさる。

 ちょうど木の影から外れて、月明かりで大きいほうの男の口元が照らされる。半笑いで、しかし不機嫌そうな顔で男は短く舌打ちをした。


 直感が叫んでいる。――絶対にやばい、と。


「――あッ待て!!」


 それからアズキは背を向けて振り返ることなく全力で走った。とりあえず人のいるほうへ逃げなければ、と。


 二人が追いかけてくる音が聞こえる。先に走り出した分間隔は空いているが、それがだんだん縮まっている気がする。草を踏む。地を蹴る。音が近づいてくる。距離が縮む。音が近づく。走る。走る。走る。


 そうして暗闇を駆け回っていると――ドン、と何か、あるいは誰かと衝突する。どうにも後者だったようで、しかもだいぶ体感が強いらしく、転倒することなくアズキを抱きしめて受け止めた。男たちの仲間かもしれない、と思わなかったのは、その際の衝撃で「うおっ!?」と驚いた声が、よく見知った人物のものと一致していたからだった。


「――グレフくん!!」

「うおーっアズキちゃん! 探したよ、どしたどした」


 その声がいつもと変わらず軽快であり、正直安心感で涙が出そうだったが、グッとこらえて事情を説明する。


「たっ、助けて!! あの人たちが追いかけてきて、それで……」


 グレフは恐怖からくっついてくるアズキの肩に触れて受け止めながら、男たちを睨みつける。


「二人組……お前ら、最近センバの街荒らしてる奴らだな」


 ガラッと雰囲気が変わったグレフにおののいたのか、あるいは単にアズキに深追いするほどの価値が無いと踏んだのかはわからないが――男たちは踵を返して逃げようとする。


 グレフが手を突き出して呪文を唱えると、男たちの足元に草のつるが巻きついて、派手に転倒した。


「大事な祭りにかこつけて悪さしやがって――」


 グレフは倒れ込む男たちに一歩近づく。

 小枝が踏まれて、パキッと折れる。



 グレフが男たちを気絶させて縛り終え、両手を合わせてぱたぱたとはたいていると、近くの木の後ろに隠れていたらしい、マスカがひょっこりと現れた。


「お疲れ様、ちょっとかっこよかったよ」

「ちょっとって! 俺めちゃめちゃかっこよかっただろ!」


 軽口を叩きあう二人に、アズキは声をかける。


「グレフくん、マスカちゃん、助けてくれてありがとう」

「いーのいーの、無事でよかったよ。じゃ、帰ろうぜ。コムギも心配してたしな」


 その言葉にアズキが浮かない顔をしていると、なにかに気づいたのか、マスカが耳打ちしてきた。


「――コムギとなんかあった?」


 アズキはパッとマスカのほうを見て、それから目を合わせたまま小さく頷いた。姉の親友である彼女には、たとえ姉が話していなかったとしても何かしら見抜かれているのだろうと観念して、アズキは彼女に何があったのかを話すことにした。


 近くの木のベンチに座り、その間グレフは少し離れた場所で縛り付けた男たちの側に佇んでいた。グレフに聞いてもらってもよかったのだが、どちらかといえばやはり、マスカのほうが話しやすいということもあり、二人で話し合うことにした。


 ひとしきりアズキが話し終えると、黙って聞いていたマスカが口を開く。


「なるほどねぇ……。――で、それは本心なの?」

「うん……多分、本心なんだと思う」


 アズキは俯いたまま、昨晩からずっと考えていたものを打ち明ける。


「私はお姉ちゃん越しの私でしか見てもらえなくて、でもそう言ってくる人たちに悪気がないのはわかってる。だから我慢するしかなくて、自分自身を見てもらえないままで……それで、ふとした時にお姉ちゃんを見ると、いつもありのまま、自然体で楽しそうにしてて、みんなもそれを評価してくれて……お姉ちゃんは『誰の何々』じゃなくていいなって、我慢しなくていいなって、そう思っちゃったんだ」


 改めて言葉にすると、我ながら酷い言い分だ、とアズキは自覚する。それは実に一方的、主観的な感情だとわかっていて、だけどどこか受け止めたくない、甘い自分がいるのだった。


 別にマスカに味方してもらおうとなんか考えていないけれど、これを彼女に打ち明けるべきではなかったかもしれない、と言いながら後悔する。彼女はコムギの親友であり、味方であり、理解者なのだから。


 我慢しているのは、我慢してきたのは、自分だけじゃないなんてわかっている。我慢して、歯痒い思いをしてきたのが自分だけ、自分だけが不幸に見舞われたヒロインだなんて驕り高ぶりも良いところだ。コムギだって我慢を強いられてきた経験があるのなんて、当たり前のことだ。


 そして今アズキの目の前にいるマスカはきっと、それを誰よりも知っている。アズキには見えなかったコムギの我慢を、苦悩を、誰かが知っているとしたら――彼女とグレフぐらいなのだろう。


「……アズキちゃん。私は、まあ……アズキちゃんほどじゃないけど、コムギとずっと一緒に育ってきて……だからわかるんだけどね、コムギは――」


 だから、姉と同じくアズキより成熟した彼女の意見を聞くのは怖かった。

 だから、とても勇気のいることだった。

 だから、てっきり『コムギはずっと我慢してきたんだよ』とでも言われるのだろうと予測した。


 だけど、マスカの続けた言葉は全然別のものだった。


「コムギは――アズキちゃんのこと、大好きだよ」

「……え」


 思わずアズキはうつむいていた顔を上げて、マスカの顔を見る。彼女は優しく笑っていたが、その黄緑色の瞳は真剣そのものだった。水晶玉みたいなそれに見透かされるのは怖かったが、だけども目が離せなかった。


 コムギが自分に、いや自分だけじゃない、色んな機会で我慢してきたことを、彼女はあえて伝えなかったのだと、アズキはそう解釈した。わざわざ説教みたいに言わなくてもアズキちゃんならわかるでしょ、と彼女の瞳が言っているように思えた。


 それには悔しさもある一方で、アズキはこの時明確にマスカのことを「可愛がってくれる年上のおともだち」ではなく「尊敬できる人間」として再認識した。


「アズキちゃんは?」

「……え?」

「アズキちゃんは――コムギのこと好き?」


 彼女がどこまで考えてその質問をしたのかはわからない。ただ、アズキはその真意を探り当てるのは不可能だろうなと諦め、正直にこう答えた。


「うん。好きなものとか昔話したこととか細かく覚えててくれたり、悩んでたら相談乗ってくれようとしてくれるし……大好きだよ」

「そっか」


 マスカはまた優しい顔で笑って、アズキの頭をポン、ポン、ポンと優しく撫でるように触った。


「じゃあ、絶対大丈夫。親友の私が保証する」


 月明かりに照らされて、立ち上がってアズキに手を差し伸べるマスカの白い髪がキラキラと、第二の月のように光って見えた。


 そしてこの人の唯一無二になれる姉を羨ましいと思うとともに、やはりそれもまた、彼女自身の人柄によるものだと思うと、自分も姉やマスカのような人間になれるだろうか、という希望半分不安半分の複雑な気持ちになるのだった。


 それから彼女の手をとり、二人が並んで立つと、グレフは木に何重にもぐるぐる巻きにされた男たちから離れて、二人に合流する。


「グレフくん、ありがとう。待っててくれて」

「いやいや全然! 君の笑顔のため、ってヤツさ」


 そうして指パッチンをしてキメ顔をしてくるグレフに感謝をしつつ、普段からもう少し落ち着いていればちゃんとかっこいいのにと思うなどしていると、マスカがすかさず「かっこつけないで」と笑う。


 でも、それから彼女は背伸びをして、グレフの髪をわしゃわしゃと――アズキにした時より断然激しく、というか乱暴に――撫でた。


「けど――ありがとう。お手柄じゃん、よくできました」

「おーい俺は犬かーって!」


 グレフがわざとらしくツッコミを入れると、マスカは「あんたみたいな大型犬飼えないわよ」と鼻で笑ってあしらった。


 それからグレフは左耳に髪をかけ直して、いつもの――ちょっと、いやかなりチャラチャラして見える――髪型に戻しながら、「……あのさ」とマスカの手を引く。


「――()()()()()俺以外にもやんの?」


 すると妙に真面目な顔をして聞く彼を不審がっているのか、マスカはそれから眉を寄せた。


「はぁ? しない……っていうか、あんたみたいなの二匹も三匹もいないってば」

「あ、匹やめてもらえるかな〜」


 そんな二人の絶妙な距離感の会話を、後ろからトコトコ着いていくアズキはくすくす笑いながら聞いていた。



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