14話 ガルバンゾは魔道具の鑑定士
コムギの家で仰向けに寝かされた母の額に、マグワートが手をかざし続ける。薄黄緑色の光が浮かんでは母の身を包む。
「どう、でしょうか……」
少し表情の強張りが薄れた母を見ながら、コムギはなおも不安そうにマグワートに問う。
「熱が高かったんで、負担がかからない程度に解熱の魔法をかけておきました。ま、普通に風邪ですね」
特に平時のテンションと変わらず淡々と話すマグワートに、コムギは逆に安心する。
「普段怪我の治療が専門なんで気休め程度ですけど、一日寝ればよくなると思います」
「……わかりました。ありがとうございます」
そこで母は寝転んだままコムギのほうを見て、申し訳なさそうに笑った。
「ごめんねぇ、この忙しい時に」
いつになく小さく見える母を安心させてあげたくて、コムギは大袈裟に自分の胸を叩く。
「大丈夫大丈夫! とりあえず今日明日ぐらいなら一人でなんとかなるから、お母さんはちゃんと寝て治してね」
そうはっきりと声に出すことによって、自分自身を安心させようとしていたのかもしれない。言葉にすれば、なんとなく実現する気がするから。きっと大丈夫だと、言い聞かせる。
それからマグワートと二人、家の外に出る。コムギは今一度彼に深々とお辞儀をして、パン屋に戻ろうとした。しかしそこで「コムギさん」と思いがけず呼び止められる。
「……」
マグワートはコムギの顔をじっくり眺める。そんなにまじまじ見つめてなにを、と思い「あの……?」と声をかけるが、彼は依然コムギを見つめたまま。
とはいえ彼のことは信頼できる人間だと理解しているから、コムギもそのまま黙っていると、彼は唐突に「ちょっと失礼しますね」と、右手でコムギの手を取り、いっぽう彼の左手はコムギの額に当てられた。
「……?」
いきなりのことでもあまり驚かなかったのは、彼の配慮が上手く機能していたことが理由だろう。
まずは手を取り肌との接触に慣れさせ、次に額に手を当てる。この時目を隠すような動作にならないよう、視界の端からするりと手を伸ばしたことで一切の本能的恐怖を感じさせないようにしている。
「……熱はないすね」
「えっと……?」
「体調悪いですよね。変なのに絡まれてた時は緊張や不安から来る一時的なものかなって思ってたんすけど、なんか違うっぽいんで」
コムギは自身の体調不良を見抜かれていたことに驚き、同時に彼の手腕に感服する。それがそういう診断ができる魔法によるものか、マグワートの経験則に基づくものなのか、あるいはその両方なのか、コムギにはわからなかったのだが――とにかく騎士団所属の治癒術師の技量を垣間見た気がして、ある種の感動さえ覚えた。
「……そう、ですね。あ、でも、多分風邪じゃないんで……大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます」
「……ああ。了解です」
マグワートはそれ以上踏み込んで聞くこともなく、一度手を下ろす。
「とりあえず魔法だけかけておきますね。頭痛とかなら一時的に軽減できると思います。……さっきも言ったんですけど、俺怪我が専門なんで、ほんの気休めですが」
やはり手のひらから何かしらの魔法で不調の原因を突き止めたのだろうか、彼はコムギの状態をずばり言い当てると、もう一度手を側頭部にかざして魔法をかけた。
朝から鳴り響いていた頭痛がわずかに息を潜めた気がする。少なくともちゃんと影響を感じるぐらいには、効果がある。やはり彼ほどの治癒術師ともなれば専門外でも上手く治療が行えるのだろうか。
「ありがとうございます」
やがて魔法が閉じると、コムギはまたお辞儀をする。こうして彼に頭を下げるのは通算何回目になるだろうかと思いながら、しかし毎回同じように心から感謝をしながら、深々と。
◇
マグワートとは外で分かれ、コムギは再び店内に立つ。彼の魔法がよく効いたのか、それがかかる前よりははるかにマシな体調でパン作りと接客にのぞんだ。
そもそも便利な魔道具のおかげで、一人でもなんとか経営することはできるようにはなっている。ただ常日頃母と二人で店を回すことに慣れているせいで、たまにこういう一人で接客提供調理すべてをやらなければならない日はかなり骨が折れる。
「よっ! コムギちゃん今日も頑張ってんね」
中年の得意客の男性が陽気に声をかけてくる。コムギはいつもと変わらず、明るいテンションで返そうとする。
『――若くて愛想振り撒いてるから』
その瞬間、ふいに脳裏に先刻の雑言がよぎって、響く。
――戯言だ。わかっている。わかっているつもりだ。だけども、コムギは一瞬固まって言葉に詰まる。それから出かけていた「ありがとうございます!」をむせるように吐き出す。
これは愛想を振り撒いている、ということになるだろうか。きちんとパンの魅力を伝えられているだろうか。ベーカリーの次代として、ふさわしいだろうか。
そこまで考えて、一度接客に集中し直す。悩みごとをすればするほど頭痛も増す気がする。これから昼のピークを迎えるにあたって、人の数も増えてきた。ここからが頑張りどきだ。気を引き締めて――。
――その時、パチパチ、バチッ、ドン! という激しい破裂音が厨房のほうから響いてきた。ずいぶん大きい音で、テラス席にいた客たちもなにごとかと覗き始めている。
(もう、今度はなに? 次から次へと……)
これから頑張っていこうと気合を入れた矢先の出来事だったから、コムギは出鼻をくじかれる苛立たしさに身を震わせながら、厨房のほうへ向かう。
それから器材の点検を始める――までもなく、なにが爆発音の原因かは一目瞭然であった。
「――う、っそでしょ……?」
モクモクと黒い煙をあげているそれ――厨房でもっとも大事な魔道具のひとつ、魔法の窯を見て、コムギは思わず引き攣った顔で立ち止まる。
しかし、悠長に驚いている時間はない。即座に魔石――魔道具のエネルギー源である、魔力の詰まった物体――を外し、稼働を止めた。
◇
お昼時に差し掛かる頃に起こったトラブルのために、一番な稼ぎどきに店を閉めざるを得なくなったコムギは、ひとまず街に滞在していた魔道具の鑑定士を呼んで窯の状態を見てもらった。
「あーこれ、完全に壊れてますねぇ、寿命でしょう」
なんでも、動力源と本体を接続する特殊な構造が壊れたとかで、本職の鑑定士もお手上げのようであった。鑑定士の男――ガルバンゾというらしい――は後ろで短く結んだ青色の髪をほとんど覆うぐらいのキャスケットを被り直し、首を横に振った。
「なるほど……。たしかに母が幼い頃から使い続けてきたものなので……。どうにか直せませんか?」
「うーん、魔道具の目利きにはかなり自信がありますが……これは多分直らないですね」
「そう、ですか……」
ガルバンゾはやってきた時からずっと飄々としていてイマイチ緊張感のない話し方だったのだが、コムギが落ち込んでいる、というか不安がっているのを察してか、ぽんと手を叩いてなにかを閃いたような口ぶりで話し出す。
「ただ、王都に戻れば同じ魔道具を見繕えるかもしれません。ふだんは王都で魔道具屋を営んでいますから……人脈を辿れば、あるいは私より魔道具の修理に詳しい人を呼び寄せたりも」
「……! 本当ですか。すぐにでもお願いしたいんですけど、どのぐらいで用意していただけますか」
コムギは一筋の希望を見つけて、彼にグッと顔を近づける。男はやや困ったような顔をしながら、しばし考えて、口を開く。
「そうですねぇ、運搬作業が結構時間がかかりそうですから、二週間ぐらいでしょうか」
コムギは目を見開いたまま固まり、それから悟られない程度に肩を落とした。だけども諦めきれないといった表情ですぐに立ち直り、さらに詰め寄る。
「無理を承知でお願いしたいんですがっ! もっと早められませんか?」
すると彼はニヤリと笑い、キャスケットから覗く前髪を指で流して整える。まさに商人、といった笑顔で底知らぬ怖さがある。
「しかしそうなるとお金のほうが……」
「お金のほうはどうでも……よくは、ないんですが……早くできるならそうしたいんです!!」
ガルバンゾの顔にふんす、と鼻息がかかるぐらいの勢いで近づいて懇願すると、彼は根負けしたように説明する。
「そうですか……。であれば、一週間から九日ほどに……」
「いっ……」
コムギは再び言葉を失う。
実のところ魔法の釜が壊れたことによる、日常の業務への支障はあまり無い。別の種類の窯や通常の窯も設備としてまだ残っているから、そちらを稼働させれば当面は持ちこたえることができる。ただ、それは日常の業務に限った話であり、コムギの最大の懸念は別にある。
――センバ祭である。
コムギがエノと試行錯誤を凝らして作り上げたパンの調理工程には、魔法の窯が不可欠である。クラゲソウの特性上、特殊な魔法の窯で焼かなければ加熱後長くは持たず蒸発してしまう。
残り一週間を切った今から、通常の業務と並行してクラゲパン以外の新商品を考え出すことは難しい。あるいは、可能であってもクオリティや祭りへの適合性といった面から、クラゲパンを超えることは絶対に不可能だ。
そして何より――非常に個人的なものだが――一人の人間として尊敬している騎士エノと作り上げた思い出深いパンを、どうしても皆に共有したかった。このセンバの街で、センバの祭りという舞台で。
「実は……」
――以上の思いを、祭りに合わせたいという旨の簡潔な――少なくともコムギは簡潔にできたと思っている――文にして早口でガルバンゾに伝えると、彼の商魂たくましい表情の中に感心が現れた。
「なるほど……。現実的に一週間というのは厳しいです。……しかし、ええ、私もできる限りの手は尽くしてみましょう。ああ、これは商談ではなく、個人的な協力の姿勢ですので、悪しからず」
彼は胸に手を当て、ニコニコとしながら立っていた。コムギはその友好的な態度に多少の違和感を覚えながらも、しかし訝しむのも失礼だろうと「助かりますっ! ありがとうございます」と一歩後ろに下がって礼をする。
実際、理由がなんであろうと、今は猫の手も借りたいところであるからだ。
「でも……どうしてですか? あまりメリットは……」
それでも流石に気になって、語尾を濁しつつそう聞くと、彼はくすくすと笑う。
「さあ。どうしてでしょうねぇ。……ただ、あなたの熱量にあてられて、ではダメですか?」
それから、彼は妖艶な雰囲気を纏ったまま、帽子のつばを押さえて目を細める。
「あとは――昔話になってしまいますから」
◇
一方、グレフとの稽古に一段落ついたエノは何をするでもなく、いつものように街の見回りをしていた。
さすがに三週間も経てば見慣れてくるだろうと思っていた街並みも、祭りが近づくにつれてますます活気にあふれてきて、飽きさせない光景が続いている。
逆に言えば人が多くなればその分トラブルも増えてきて、エノを含む騎士たちの仕事はこの頃露骨に増えた。
騎士団の派遣は特例であったが、この調子なら毎回でも行かせたほうがいいかもしれない。来年以降はどうなるだろうか。
――もしも次も派遣されるようなことがあれば、この素敵な街の街並みと、非常に個人的な情事を理由にまた二番隊で行かせてもらえないだろうか。
エノはそんなことを考えながら街のはずれのほうを歩く。それはそれとして、午前にグレフに言われた言葉がまだ引っかかっていた。
『――あいつは度を越した奥手だ』
奥手――と言われても世間一般的なそれがどの程度を指しているのかがわからない。果たしてそれは誰に対してもなのか、それとも、などと考えてしまう。考えないわけにはいかなくなってしまう。
それからエノは、コムギと出会ってからの日々を思い出す。そのワードに該当するような言動を探しているうちに、どういうわけか、まったく反対に思えるものばかりが見つかる。
『せっかくですし……パン作り、やっていきませんか』
『一緒にクラゲパンの開発、していただけませんか』
『――私は、もっとエノさんとパン作りがしたいですっ!』
『そう……ですね。私もエノさんが来てくれたらその……嬉しいです』
『――祭りの日の日中、二人で街を回りませんか』
彼女が奥手、と思えるような要素が見当たらなかった。だからこそ、彼女の幼馴染であるグレフが言った言葉が真実であるとするならば、それは、なんとも都合のいい――
「ちょっと、猫のお兄さん、何突っ立ってんだい。大丈夫か?」
そこまで考えて、しゃがれた老婦人の声で現実に引き戻される。という自覚があるからには、いつのまにか夢うつつだったのだろうか。
いつの間にかこぢんまりとした小物屋の前で立ち止まっていたエノは、今日はやけに暑い日だな、と思いながら、二度瞬きをして応答する。
「……あ、申し訳ございません。少し、考え事を」
老婦人は「騎士さんだかなんだか知らないけど、冷やかしなら他所でやってくれ」と言った。
しかしぼうっとしていたエノにかけた声にはどこか心配してくれていそうな雰囲気があって、やはりこの街の人たちはあたたかい人が多い、と再認識させられる。
それからエノは言われた通り露店から立ち去ろうとしたが、売り出されている小物類に興味を惹かれる。
『――こっちから攻めないと絶対進展しないぞ』
なんとなくまた、グレフの助言が反響してきて、エノは少し考え込む。こういうことには不慣れではあるが、こっちから攻めるというのをやってみる必要は、確かにあるのかもしれない、と。
「あの、すみません」
「なんだい? だから冷やかしなら――」
「いえ――こちらを」
エノは純白に魚の刺繍が入ったハンカチに向かって手を広げる。
店主であろうその老婦人は、「なんだ、客だったのかい」とぶっきらぼうに言った。




