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12話 グレフは自警団のお調子者



「――祭りの日の日中、二人で街を回りませんか」


 ――言った。言えた。理想の形じゃない。最良には及ばない。だけど、確かに、奥手な自分を黙らせて、打ち勝ったという自負があった。


 とはいえ勇気のピークはそこで達していたようで、思わず立ち上がったコムギの口からはまた余計な言葉がつらつらと出てくる。


「いやっそのっ! 日中も暇じゃないとかはわかってるんですけど! もし、時間があったら、ちょっとでも、いいので……」


 尻すぼみにどんどん自信がなくなってきていたところに、エノの声が聞こえる。すぐに顔を見るのは、まだ怖かった。


「……そうですね、日中も騎士の仕事があると思います」


 続きを聞くのは怖いけど、耳を塞ぐわけにもいかないし、立ち尽くしていると言葉は受動的に耳に入ってくる。エノの唇同士が触れて言葉を発する時の喉の開く音さえ聞こえるぐらいには緊張、緊張、緊張の連続だった。


「ただ――時間は作ります。必ず」


 だからその言葉を聞いた時、逆に心臓が爆発するぐらいの急な緩和で、思いが一気にあふれかえる気がした。


 カナラズ。たった四文字が末尾に付くだけで、どうしてこんなにもときめいてしまうのだろう。彼は相変わらず、事務的な印象を与えないようにする言葉遣いが上手だ。意地汚い欲望を打ち明けるとすれば、それがコムギの時にだけ発揮される気遣いならいいのに、と思った。


 たった四文字分でいいから、彼の好意を独占したい。


 やがて遠くにいたマスカとノイバが帰ってくる。またしばらく和やかに話して、その日は解散となった。コムギは家に帰ってからも、今日の()()を――大事に大事に噛み締めていた。



 それから数日経ち、祭りまであと一週間を切った頃。

 とある青年がエノに斬りかかっているところである。こう書くと物騒だが、なんということはない。コムギのもう一人の幼馴染グレフは街の自警団に所属しており、朝からエノに直談判して剣の稽古を付けてもらっていた。


「おらっ!」


 グレフの荒々しい一振りを、エノは半歩未満の動きで体をわずかに斜めに揺らして避ける。そんな動きが二度、三度、繰り返される。時折エノは思い出したように木刀で彼の剣を弾き返す。

 何度目だろうか、グレフの息が切れて動きが止まったところで、グレフは剣を置いて座り込む。


「っはー! やっぱ王都の騎士ってレベルが全然違うんだな」

「……休憩にしましょうか」


 グレフとしてもそんなことはわかっているつもりだったが、いざ実際に相手をしてもらうとまるで赤子になったかのように扱われる始末であった。グレフは街じゃそこそこ頭角を現すぐらいには剣に自信があったのだが、こうも力量差がはっきりしているとそれもめっきり折れてしまいそうだ。


「悪いっすね、こんな時間から付き合ってもらっちゃって」

「いえ、構いませんよ。僕もたまには剣を振らないと、なまってしまいますから」


 街から少し外れた、だだっ広い野原はグレフが小さい頃から、それこそマスカやコムギとともに駆け回ってきた場所だ。今でもこうして鍛錬のために頻繁に利用している。

 遮るものなく水平線を見渡しながら、二人は潮風に吹かれる。


「時に、グレフさん。自己研鑽のためとおっしゃっていましたが、どうして今になって個人的な申し出を?」


 個人的、というのは、実は自警団の訓練にエノはしばしば招かれていた。そこでグレフはエノと親しく――悪い言い方をすれば馴れ馴れしく――していたため、改まって個人的に、というのがエノは引っかかったのだろう。


「あー……。まあ、なんていうか」


 グレフは一旦言葉を濁すが、ここで誤魔化しても仕方がないと割り切って答える。


「惚れた女の子が、最近腕っぷしの強い男と良い感じ……一緒に出かけたりしてるみたいだから、みたいなね」

「……それで自分も強くなろう、と?」

「そんな感じっす」


 ――エノは自分がそれに深く関わっていると気づいているのだろうか。薄々勘付いていて、あえて触れてこない、そんな空気感を感じる。


「……例えばなんすけど」


 だからグレフはあえて、エノを試すつもりで質問をしてみる。


「好きな相手のことを好きな別の誰かがいたら、エノさんならどうする? ……恋バナとか嫌いだったらすんません」


 エノは立ったまま遠くを見つめる。頬から飛び出たひげをくるくると回す。風が、彼の毛を逆立てる。彼が誰のことを思い浮かべているのかは想像に難くない。


「……その人が幸せになる道を、選びます」

「自分が結ばれないとしても?」

「それを……相手が望むのなら」


 確かエノは自分と同い年だった。だけどもこういう意見を聞くと、ああ、大人だなと感じてしまう。グレフはハッと高笑いする。


「エノさんらしいすね。他人を尊重する気遣いとか、俺はマジでそういうのすげぇと思う」


 グレフはそこであぐらの両膝を叩いて立ち上がる。


「でも」


 それからエノのほうを向く。エノもまた、こちらの目を見てくる。背はグレフより低いが吸い込まれそうな瞳に魅入られる。


 やっぱりこの人は精神的にオトナだ。


 だから、いつまでも大人になれない、自分優先のコドモ代表として一発かましてやろうではないか。


「そんな半端な気持ちなら――コムギにこれ以上関わるなよ」


 まさかそんなことを言われるとは思ってもなかったのだろう、流石にそれが驚きの表情であると確認できるぐらいには、驚いていた。


「どういう……」

「エノさんが慎重になる理由は正直わかるよ」


 わかる、といっても部外者以上友達未満の存在になにが、というのはグレフ自身自覚しているつもりだ。


 だからただ、一人の人間に恋する、同じ人間として、わかっているつもりのことをぶちまける。


「センバから離れた王都で重要な仕事してるんだ、たとえ両想いになったところで――その先コムギが幸せに暮らせるとは限らない。そう思ってんじゃないのか?」

「……」


 エノは顎を引いて、押し黙る。単に図星を突かれて言い返せないとかそういうのではなく、他人からはっきり言葉にされて自分の中で整理の時間が必要、そんな感じの沈黙だ。だけどもそんなことはお構いなしに、グレフは続ける。


「だからどこか一歩引いてる。もっと言うなら怖がってるんだよ、コムギにこれ以上近づくのが」

「……」

「別にエノさんのその優しいところがダメだって言ってるんじゃない。コムギのこと考えてくれてるのもわかるよ。ただな」


 グレフは目の前の黒猫の騎士と目を合わせたまま、しわのないマントの胸元をガッと掴み引き寄せる。


「なってくれますように、じゃなくて――『俺がコムギを幸せにする』ぐらい言ってみろよ!!」


 ふだんの適当な態度からは想像もできないぐらい真剣な、腹の底から湧き上がるような本音の吐露。


 眼前でそれを浴びたエノは、言葉を失ったように、あるいは言葉を探すように、呆然としていた。グレフもグレフで、絞り出すように畳み掛ける。


「別にエノさんが適当な気持ちで好きなんだろとか思っちゃいねぇよ。ただもっと良い人がいて、コムギがもしその人のほうが好きって言ったらサッと譲っちまいそうなその態度は! マジで気に食わねぇ! ……確かにコムギは誰よりもこの街に必要だよ、どこぞの騎士にだろうが連れていかれてほしいと思ってるやつなんて一人もいねぇ。だけど、そういうの全部取っ払って『俺が幸せにする』って攫っていけるぐらいの覚悟もない臆病モンが、中途半端にコムギの気持ちもてあそぶのはもっと許せねぇんだよ! んなことしたら俺もマスカも、街の誰も許さないからな!!」


 長い長い叫びの後、風が草花を撫でる音だけが聞こえるような、穏やかな静寂。


 嵐の後の静けさとはよく言ったもので、次第に熱が冷めてきたグレフは襟元から手を離すと、気まずそうにエノから目を逸らし、長いこと話して乾いた口の中に舌を一周させて潤す。


 それから唐突に反対側を向いて座り込み――右手だけエノのほうに向けて釈明を始めた。


「うおおお恥っず!! 今のナシ! ナシ! いやナシじゃないんだけど、とにかくナシで!」


 顔をブンブン振って恥ずかしがったかと思えば、


「てか俺勢いでめっちゃ失礼なこと言ったっすよねぇ!? マジで申し訳ないっす」


 ひっくり返るように土下座で謝罪をする始末。その変わりように、エノは思わず笑いだす。


「ふ……」

「……なんで笑うんすか」

「とても忙しい人だな、と」


 その言葉にグレフがむくれていると、エノは言葉の整理がついたのか、自ずから話しだす。


「君の言うとおり、僕は怖いのかもしれません。彼女の一生を変えてしまうことが……というのは、驕りすぎではありますが」


 耳をすませばかすかに波の音が聞こえる、そのぐらいの静かさを保ったまま、エノもまた静かに、そう言った。


「勘違いしてほしくないから念押ししとくけど、俺はエノさんのこと応援してるんで」

「それはどうも。……しかし、よろしいのですか?」


 エノの頭に疑問符が浮かんでいるのが見え、グレフの頭の上にも同じように疑問符が浮かぶ。よろしい、とはいったい何のことか。


「その……君はコムギさんのことを……」


 とても言いづらそうなことのようにエノはそんな話を始めるものだから、グレフは一度自分とエノの会話を振り返る。


 ――ああ、なるほど。何やら、壮絶な勘違いが起きているらしい。


「いや違います違います! 俺が好きなのはコムギじゃなくて……いや今それはどうでもいいんだけど、とにかく! 俺がコムギのことを恋愛的に好きとかはないです! まったくもって!」

「そう……なんですか? すみません、早合点でしたか」

「だいたいもしそうなら、わざわざ恋敵の後押ししたりしないっすよ。いくら俺が善人とはいえね?」


 グレフはいつもの軽口のつもりでそう言ったのだが、エノはなにか真剣に受け止めたようで、深く考え込んでからグレフの目をまじまじと見つめてからこう言った。


「しかし、いち友人のために騎士相手に啖呵を切れる君は、依然として優しい人間でしょう」

「いやいやそんなそんな……」

「――友を思い真剣になれる君は、とても格好いいですよ」


 また風が吹き、エノの毛がぶわっと逆立つ。海の歓声を手で受け止めながら、目を細めてそんなことを伝えてくる彼の立ち姿はとても幻想的だった。


 今、自分が褒められているはずなのに、際立つのは彼のかっこよさのほうである。


 ――なるほど、この人がいつもこんな調子なら、コムギの心臓が思いやられるな。とグレフは、不覚にも一瞬ぽっと見惚れてしまったことを悟られないように表情を取り繕いつつ、コムギとエノのやり取りに思いを馳せた。


「まあとにかく、あれだ、幼馴染として俺から一つアドバイスしておくとだな」


 気恥ずかしさを誤魔化すようにわざとらしく咳払いをした後、本題に話を戻す。


「――あいつは度を越した奥手だ。こっちから攻めないと、絶対進展しないぞ」


 先ほどグレフが掴んでできたしわがまだわずかに残るマントに片手を当て、エノはうやうやしく、軽く頭を下げる。


「肝に銘じておきます」


 二人の稽古はまだまだ続くようである。



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