生まれ育ちの違い
話が決まったところで、詳細を少しばかり詰めてからその場は解散。
その場にいた者たちは三々五々に散ってゆき、クルムたちも、すっかり暗くなった貧民街から引き揚げていく。
「お主、どこまで考えておったんじゃ?」
「色々と考えてきました。まとめ役がいる場合、いない場合。いたとして、話が通じるか通じないか。……その点で言うと、想像していなかった存在はグンナイさんですね。あれは、結局何を考えていたのか、最後までよく分かりませんでした」
クルムはつまり、あらゆるパターンを想定してから、グレイに貧民街の案内を頼んできたのだ。クルムのようなよく考えてから動き出すタイプは、咄嗟の判断力よりも、こういった事前準備が必要な場合に本領を発揮する。
今回の場合、十分にそれを活かしきった形だろう。
グレイの無茶に付き合わされてばかりいるおかげで、最近では土壇場での判断力も、段々と良くなってきているようだが。
「しかし、サインの件は失敗でした……」
「ま、仕方がなかろう。貧民街と言うのはそういう場所じゃ。文字を書けないどころか、名前を持たぬ者すらいる」
「……それでは困りませんか?」
クルムからすればあって当たり前のものがないのだから、そんな疑問も当然生まれる。グレイも一人で暮らし始めるまでは信じられなかったが、冒険者をしていた頃からそんな奴らはごまんといた。
王侯貴族をしていては、死ぬまで見えてこない世の中の真実など山ほどある。
「その場合『おい』とか『おまえ』とかでしか話しかけられん。そのうちそれがおかしなことであると気づき、本人が勝手に名乗るようになる」
「そうですか……」
ここに来てクルムは、自分の考えが傲慢であったことに気が付く。
名前があって、家族がいたことがあり、思い出がある。
貧民街の住民からすれば、それがもう酷く贅沢なことであると分かってしまったのだ。
「先生……、もっと貧民街のことや冒険者のことを教えてもらえませんか?」
街で平和に暮らしている住民とも、兵士たちとも違う、王侯貴族とはほとんど縁のない身分の者たち。
「ふむ……、冒険者のことなら構わんが……。貧民街のことならばどうせなら儂よりもパクスにでも聞いてみてはどうじゃ?」
「……お話しされたがらないのでは?」
クルムは、パクスとこれまで様々な話をすることによって、交渉術を強引に鍛え上げられてきた経緯がある。
今後のことや最近の街のこと、商売のこと、仮定の話と、分野はさまざまであったが、その中でパクスは一度も自分の昔の話を語ったことがなかった。むしろ避けているような節まであったくらいだ。
個人情報をばらさず、素顔や素肌すらほとんど見せないようなパクスが、おいそれと話すとは思えなかった。
「どうじゃろうな。ちゃんと理由をつければ少しくらいは話すのではないか? どうせ貧民街にインクを届けてもらうのに話さねばならんのじゃろう?」
それでもグレイが自分ではなくパクスに話を聞くように勧めるのは、パクスが生まれも育ちも貧民街であるからだ。
そして、貧民街四天王とは違って、パクスならクルムに対して多少の弱みを見せても大丈夫なくらいには、距離が近くなっているだろうとも考えているからだ。
自分の利益にもつながることだから、クルムに妙な嘘を吹き込む心配もない。
何より、グレイはなんだかんだで自分の教え子を信頼している。
「そこまで言うのならば……聞いてみることにします」
「うむ、知りたいのならば、より詳しいものに話を聞いたほうが良いからのう」
クルムの気は重たかった。
グレイと話す分には割と気楽なのだが、パクスと話すとなると全ての神経を集中して、隙を作らぬように取り組まねばならない。
これも一つの訓練か、と、クルムはどうしてパクスから話を聞き出すか考え始めるのであった。
さて、その日はゆったりと休んで翌日。
朝一番で用事を終わらせて集まった面々から報告を聞き、クルムはルミネに、貧民街に向けての炊き出しを強化するようにお願いする。
ルミネはそれを二つ返事で受け入れた。
今はとにかく、教会に対する不信を立て直さねばならない時期だ。
少しでも善行を積み、少しでも顔を売る。
それがルミネの使命であるから、そのための金は惜しまない。
なにせ大聖堂の奥にある宿舎からは、前教皇がため込んだであろう黒い金が、山ほど見つかったのだ。
散々評判を下げてくれたのだから、残した金くらいは自由に使わせてもらわねば割に合わない。
報告会が終わり解散したところで、クルムは自身の仕事をこなし始めた。
午前中のうちにある程度仕事をきりの良いところまで片付け、昼食をとったところで、クルムは気合いを入れてパクスのところへ着ていく服を選び始める。
「……昔の話を聞き出すには……、あまり華美な服は好ましくないでしょうね……」
ぶつぶつと難しい顔をして悩むクルムをしり目に、グレイは屋根の出っ張りに指をひっかけて高速で懸垂を繰り返す。
この老人からすれば、小娘のお着替えなど心の底からどうでもいい。
拳をブンと振るうことで全ての交渉を乗り切れる男だ。
筋トレには余念がないし、細かな気遣いなど必要もない。
「よし、行きましょう」
クルムが準備を終えるのと同時に筋トレを終えたグレイは、いつものローブを羽織って、自室から使い込んだ袋を持ちだしてくる。
そうして廊下を歩き出すと、当たり前のようにその袋から何かを取り出して、むしゃむしゃとそれを咀嚼し始めた。
「……何食べてるんですか?」
「干し肉じゃ」
「干し肉って普通、煮込んで柔らかくして食べるのでは……?」
「軟弱者はそうらしいのう」
グレイが食べているような分厚い干し肉は、丈夫な歯を持つ若者でもそのまま食べたりはしないものだ。
顎はともかく、歯に軟弱とか関係があるのだろうかと思いつつ、クルムはそれ以上干し肉の件について触れるのはやめておくのであった。




