抜けた奴ら
貧民街は二十年ほど前にも一度、一部が焼き払われたことがある。
退去の促しは、貧民街の入り口に、街の方へ向けられて建てられた看板一枚のみ。
貧民街の住人には文字が読めないものも多く、一部の住民がこれを知った時には、既に貧民街の焼き払いは始まっていた。
多くの住人が焼け死に、その焼け跡に〈万年祭〉のために訪れた人々のための宿泊施設が建てられた。
当時の貧民街は今よりもさらに無秩序で、場合によっては王都の入り口付近を侵食するほどであったので、どこかで見せしめは必要だったのだろう。
貧民街が闇市を中心にそれとなく区画を分けて、中心街に顔を出さぬようになったのもそれ以来である。
いわばゾエは、その頃のどさくさに紛れて成り上がった若者の一人であるからして、クルムの言葉を嘘だと笑い飛ばすことができなかった。
「そりゃあ、あれですか。〈万年祭〉に合わせて、王都の汚ねぇ部分を焼き払っちまおうってやつです?」
「言葉を濁さず言えば、その通りかと」
「血の雨が降りますぜ。貧民街は二十年前のことがあって以来、ある程度組織だっている。焼き払う方だってただじゃすみません」
「はい、そうなのでしょう。しかし今日見てきた限りですと……、長くとも数日以内には終わってしまうのではないかと。やるとなればヘグニお兄様は、自らの派閥の貴族の軍を集めて一気にやると思います。もし抵抗が激しければ、騎士たちも動員するでしょう」
グレイを相手にしているからこそ、騎士たちはちぎっては投げられるような存在に思われているが、実際のところ、日常的に人を殺す訓練をしている者と、そうでない者の実力差というのは明らかだ。
まして人数を揃えられては、貧民街の住人が正面から抗う術はない。
いくら貧民街に一万の人が暮らしていようとも、そのうち実際に被害を被るのは一部のみ。
その一部に三千人が暮らしていたとして、流れ者の貧民街の民が、自分の住む場所を守るためにどれだけ立ち上がるかは未知数だ。どれほどうまくやったとしても、精々数百人、というのがクルムの計算であり、その計算はゾエの想像するものとほぼ一致していた。
「……そんなつもりならば、俺たちも早めに潜伏して〈万年祭〉を邪魔してやる、って手もありますぜ」
「それは面倒なことでしょうけれど……、王族にもそういったものに対応する部隊があります。半年間無事に逃げ切れるとは思えません」
「そうまでして貧民街を潰したいんですかい!? 俺たちはそれなりに規則を守って、以前ほど街に迷惑かけないようにやってきたつもりですぜ!」
やや興奮しているゾエは、目の前にいるクルムが焼き払いを進めているわけではないと分かっていても、言葉が強くなっていた。
ゾエの立場からすれば、王都に何も迷惑をかけていないのだから、王都から干渉される筋合いもない、というところなのだろう。
実際は王国が安全を保っている王都の土地に勝手に住んでいるのだから、迷惑をかけてはいるのだが、その辺りはそれぞれに主張がある。
「私は、焼き払いの計画が進行した場合の話をしただけです。そうならないために、話し合いに来たと最初にお伝えしているはずですが」
大の大人。
それも顔に傷のある、貧民街のまとめ役であるゾエがすごんでも、涼しい顔で対応するクルム。
ゾエもそれを見て一気にクールダウンをして、浮かせかけた腰を下ろした。
元々、脅したりすかしたりしながらやってきた人生だ。
いくら興奮しようが怒ろうが、ゾエはそんな自分をどこかもう一人の冷静な自分が観察しており、すぐに平常心に戻ることができる。
半分本気、半分演技みたいなものだ。
これもまた、貧民街なんて癖の強い場所で生き残ってきたゾエの強みである。
平静に戻った理由は、クルムの冷静な態度にあてられたわけではなく、興奮して臨むことが、クルムと交渉するうえで効果的でないと判断したからであった。
「それで、俺が協力すれば、殿下は貧民街の焼き討ちを防げると?」
「ゾエ殿だけでは足りませんね。聞くところによると、他の地区にもそれぞれ闇市があるのだとか。それらのまとめ役全員を集めて、お話ししたいことがあります」
「……何を話すんです」
「貧民街の未来について、でしょうか」
クルムがにっこりと笑う。
押しても引いても自分のペースを崩さない少女に、ゾエはすでにうんざりし始めていた。
たまにいるのだ。
こいつにはかなわなさそうだな、と思うような輩が。
ゾエはそんな奴と出会った場合は、大抵程々の付き合いにとどめて、できるだけ関わらないようにして生きてきた。
そしてそのほとんどがグレイの関係者だというのが、またどうにも面倒くさいところであった。
「グレイさん……、あんたとうとうこの国を乗っ取ろうとでもしてるんです?」
また何やらとんでもない王女を連れてきやがったと思ったゾエは、一度クルムとの話を切り上げてグレイに問いかける。
グレイは顎鬚をしごきながら不愉快そうに眉間に皺を寄せて答えた。
「国なんぞ乗っ取ってどうするんじゃ。この物好きがどうしてもなりたいっていうから、協力してやっとるだけじゃ」
グレイらしい偉そうな返答が面白くて、ゾエは調子に乗って更に尋ねる。
「それじゃあまるで、国を乗っ取るのは簡単みたいな言い方ですぜ」
「んなもん、国王の首引っこ抜けば終わりじゃろうが」
王女殿下の前でどこまで無礼なことを言うのかと思えば、とんでもないことを平気で言ってのけたし、肝心のクルムの方も『まあそうですね』みたいな顔をして頷いている。
「…………いやぁ、そっすね」
『そりゃあ国の乗っ取り方じゃなくて、国の滅ぼし方だろ』とか『じゃあもう引っこ抜いてもらえよ』とか思ったゾエであるが、もはや余計なことを言って精神を疲労させるのはやめることにするのであった。




