貧民街の人口と偏り
それは細い道、というより、勝手に建てられた掘立小屋の隙間であった。
歩いているうちに貧民街の臭いに慣れて、いつの間にかクルムの嗅覚はすっかり麻痺してしまっている。
大人子供構わず、地面に座り込んでいる貧民街の住人の姿が見えるが、先ほどまでのようなギラギラした輩とは違って、どこか顔色が悪く、やる気のなさそうな顔をしていた。
「先ほどまでの方々とは、随分と雰囲気が違いますね……」
「先ほど付けてきたのは、貧民街の表層の奴らじゃ。貧民街と言えど、昼日中からのんびり座っているようでは生きて行けん。こ奴らは生きるのを諦めたか、何かしら理由があって座り込んでおるのだ」
クルムが声を潜めて話しかけると、グレイの方は普通の声量で返事をする。
それを受けて、クルムは改めて座っている人々の観察をする。
パッと見る限り確かにグレイの言う通り、半分程度は体調を崩していたり、大きな怪我を負っている者で、残りの半分は単純に気力がかけらもなくなっているように見えた。
「これもまた現実じゃ。救われねば生活がままならぬ者もいる。教会の一部が、そういった者たちに手を差し伸べていることも確かじゃ」
「……そうですか」
「想像していたようではないじゃろう?」
「はい、正直、仰る通りです」
「嫌になったか」
「いえ。それはそうとしても、現実的にたくさんの人々が暮らしていることも見えてきました。先生が暮らしていたあたりは、今日見たあたりと比べると随分と平和でしたね」
「ま、そうじゃな」
実はあの辺りも、クルムがやってくる頃には、少し前と比べれば随分と治安が悪くなっていた方なのだ。
ほんの数年前までは、貧民街の悪人は、グレイを恐れて誰も近寄ってこないくらいに安全な場所だった。
そりゃあ今よりも老人らしくない見た目をしたグレイが、子供たちやその周りの者たちを安全に住まわすために、悪人をぶちのめし続けていたのだから当たり前だ。
下手をすれば、一時期は街中よりも治安が良かったくらいだろう。
分別のつく大人は近寄らず、訳が分からず追い詰められた子供がやってきて、グレイに教えを乞う場所。
今となってはまた貧民街に飲み込まれつつあるが、グレイが住んでいたあたりはそんな場所だった。
自分で自分の未来を切り開かんとする子供が、若者が、集まってくるような場所だった。
とはいえ、貧民街に住む者たちは、毎日を生きていくのに精いっぱいであるから、少しでも距離が離れればそんな場所があることを知ることすら難しい。
優秀な子供たち、家族を街中へ送り出し続けた結果、空いた場所には新たなろくでなしがやってくる。グレイもはじめのうちは追っ払っていたが、そうしたって次から次へと新しい馬鹿は湧いてくるものだ。
やがて寄る年波には勝てず、世をはかなんだり拗ねたり面倒くさくなったりしたグレイが、追っ払うのもやめた結果が、クルムがやって来た頃のあの辺りである。
それでもあの辺りが比較的清潔で、まともな環境であったのは、グレイが時間を掛けて整備したものを、新たにやってきた馬鹿者どもが、一応綺麗に使っていたからだ。
流石にそれをめちゃくちゃにするような大馬鹿者は、グレイは排除するようにしていた。
ここ二十年ほどのことを思い出しながら、しばし黙っていたグレイだったが、ようやく細道を抜け出したところで改めて口を開く。
「さて、ここからが本番じゃな」
ぬっと細道から抜け出すと、突然ごちゃごちゃとした建物がなくなって、広い道が現れる。外からは決して見えない長く広い一本道は、がやがやと人の声にあふれ、地べたにはずらりと商人のような顔をしたものが軒を連ねていた。
もちろん、商品は地面に直置きか、せいぜい一枚布を敷いた程度のものである。
それでも、しっかりとした店の体を為しており、そこで金を払ったり、物々交換をしたりという人の営みがされていることは間違いなかった。
「これがいわゆる闇市じゃ。貧民街の住人の多くは、あちらこちらで、あらゆる手段を講じて金品を手に入れ、ここで必要なものと取り換える。経済規模は小さいが、ここも立派に人の暮らす場所、という事じゃ」
「……これは……、下手な裏通りよりも栄えているように見えますが……」
「そりゃあそうじゃろう。東西南北にある闇市が、スラム街の全てを支えておると言っても過言ではないんじゃ」
二十年は暮らした地域だ。
グレイは普通に街で買い物をすることもあったが、節約のために闇市を利用することも少なくなかった。
その辺りの表の事情にも裏の事情にも精通している。
グレイがゆっくりと歩き出すと、クルムもそれに続いて並べられた商品を見ながらついていく。
闇市には、手ごろな木の枝や、何に使うかわからない骨のかけらから、妙にぎらぎらとした壺や、本物かわからない貴金属まで、あらゆるものが並べられており、活発に取引がなされている。
「……いったい、貧民街にはどれほどの人が住んでいるのでしょうか」
「王都全体の人口は?」
「……おおよそ、十五万ほどかと」
グレイの知る限りハルシ王国の王都は、この世界で見ても最大級の都市である。
勤勉で数字に強いクルムならば知っているだろうと尋ねると、しっかりと正しい数字が戻ってきた。
「うむ、そうじゃな。そして貧民街には一万人ほどの人間が住んでおる。王都全体の人口に含まれない、存在しない一万人じゃ」
「多いですね……」
「ま、使い捨ての人夫としたり、裏社会の使いっぱしりにするには便利じゃからのう」
改めて向き合ってみれば、その数は無視できない数である。
クルムは文句ひとつ言わず、嫌悪感を抱くことすらせず、真面目な顔で何かを考えているようだった。
グレイは満足そうにひっそりと口角を上げつつ、そんなクルムの横顔を見守るのであった。




