げんこつ(子供向け)
ルミネの目が細く細く開かれ、頭の上で拳を握っているグレイを見た瞬間にぎゅっと閉じられる。強く閉じてしまっている時点で動揺しているのがまるわかりだが、そんなことよりも、腕の筋肉が発達した老人が怖い顔で拳を握っているのが恐ろしかったようだ。
「……ルミネお姉様。先生は叩くと言ったら女子供でも容赦なく叩く方なので、体が大丈夫なら、起き上がった方がよろしいかと」
「ふんっ」
クルムが話し終わらないうちに、グレイがルミネの額に向けて拳を振り下ろし、ちょうど目を開けた瞬間のルミネが、悲鳴も上げられずに息を飲んだ。そしてパシンという音と共に、ジグが手のひらでその拳を受け止める。
ルミネが震えながらベッドから体を滑り落とし、そのままそっとジグの後ろに隠れる。意外と冷静な動きだ。
「グレイ殿、流石に……」
「ふざけた真似しておるから、ちょいとこつんとしようとしただけじゃ」
「怪我をしそうな勢いでしたが」
「こぶの一つや二つできたとて、スペルティアを叩き起こして治せばいいだけの話じゃろうが」
そういう問題ではない。
王族に手を上げていること自体が問題なのだ。
ジグはグレイと言う老人が、王族貴族関係なく容赦のない人間だと改めて思い知る。これまでの件で分かっていたつもりだが、いざ目の前で見てしまうと、本当に一切の躊躇がないのが分かって恐ろしい。
クルムはジグに対してホワイトの手綱を握って欲しそうにしていたが、ジグからすればクルムこそグレイの手綱をしっかりと握って欲しいものである。
グレイを責めても仕方ないので、ジグは何とかならないのかとクルムに視線を向けたが、クルムは明らかにそれに気づきながらふっと視線を逸らしたように見えた。
ここで改めて分かったことは、クルムがまるで全然グレイの制御ができない可能性があるということだ。そりゃあそんな老人を身内に抱えていては、ホワイトの世話まで手が回らないわけであると納得する。
逆算して考えると、先ほどの大聖堂の裏での戦いにグレイとホワイトの両者が揃っていたことは、正に奇跡であったことも分かる。
とてつもない綱渡りを終えた後だと知って、ジグは今更ながらにぞっとした。
「先生、ルミネお姉様を子供のように扱わないでください」
「十年も操られて意識が曖昧じゃったというから、まだぎりぎり子ども扱いしてやったというのに……。お主が言うならば次からはそうしよう」
「念のため、大人扱いだったらどうなっていたか教えていただけますか?」
嫌な予感がしたクルムが尋ねる。
「そりゃあ大事な話を眠ったふりで盗み聞きするような不届き者、何も声をかけずに寝台ごと蹴り倒しているに決まっておろうが」
「すみません、ルミネお姉様は実質十代半ばですので、今後ともそのように扱ってください」
「いやいや、しっかり大人として扱ってやろう。どれまずは盗み聞きした悪い耳をちぎって……」
「先生、お願いします、本当に」
ジグが表情をひきつらせつつルミネを庇い、ルミネもぎゅっとジグの服を掴んで固まっている。何が恐ろしいって、拳を振り下ろしたときも今も、当たり前のような顔をして暴力を振るおうとしているところである。
本気なのか冗談なのかが分かり難いが、今でも手のひらがじんじんと熱くなっているジグとしては、万が一にも本気であった場合に備えるしかない。
グレイは二人の様子を見て、顎鬚を撫でながらため息を吐いた。
「仕方ないのう。クルムがそこまで言うなら聞いてやるとするか」
「ありがとうございます。ただでさえ大変な事態を乗り越えたばかりなのですから、話をややこしくするのはやめてください」
「それならば儂はもう黙ってるからお主が勝手に喋るといい」
腕を組んだグレイがそっぽを向いたのを見て、クルムは「怒らないでください」と言って、上腕あたりをぺしりと叩いてから、ジグたちの方へ向き直る。
こんな対応をしてはいるが、クルムは、この一連の動きは、グレイによるアシストなのではないかと考えている。
つまり、先ほどのジグの心の強張り具合を見て、改めて説得するチャンスを用意してくれた、ということだ。
自分が汚名を被ってまで、である。
できる限りグレイの行動を良い方向に解釈しつつ、クルムは改めてジグに話しかける。
「このような調子で、先生は先生で、割と自由に考えて行動されるのです。ホワイト殿を見て、ジグ殿も常々苦労していらっしゃるのだろうと感じていました。もう一度お伝えしておきます。いなくなられては困るのです」
「……それは、わかりました」
「ルミネお姉様からも頼んでください。すべて聞いていたのでしょう?」
「……その、申し訳ありません。……クルムちゃん、……クルム王女よね?」
「はい、そうです」
「随分と大きくなって……。クルム王女がこんなに大きくなるほど、私は長いこと操られていたのね……」
「ルミネ王女殿下……」
話をしている間に、ルミネはグレイの様子を窺いながらも、ジグの横に並ぶ。
ジグの袖をそっと握ったままなのがいじらしい。
「記憶は夢の中のようでも、先ほどの話を、その……盗み聞きしてしまって……、あの、盗み聞きなどはしたない真似をして申し訳ありません、お爺様」
話し始めたところで、腕を組んでしかめっ面をしている怖い怖いお爺様のことが気になってしまったらしいルミネは、途中で止めて謝罪をはじめてしまった。
深々と頭を下げるさまを見て、グレイは数度瞬きをしてから「まぁ、良かろう」と偉そうに謝罪を受け入れた。
大事な話をしていたのは主にジグとクルムであってグレイに許しを出す権利があるかは微妙なところである。
ただ、ルミネが話を続けるための場は整ったようであった。




