誰だこいつ
よく考えてみたところ、小さな子供に向けて大きな声を上げたことが、グレイはひどく恥ずかしくなってきた。もし何か悪さをしようとしていたにしても、罪はこの子ではなくこの子の親にあるはずだ。
恵まれない環境にいるのであれば、その親に蒙を啓いてやるべきか。
というか、盗みなどせざるを得ない環境も悪い。自分を追い出した国とか、尋ねてこないかつての友人とかも悪い。
他責思考で自分を許してやりながらも、グレイは少女を観察する。
「どこからやってきたのだ」
「……あちらから」
なるほど、今グレイがやってきた方向である。
街の端から中心部に向けられた指先は、その先端を正確に追いかければ城の塔にぶつかるようであった。観察して分かったことだが、少女の服は真新しく、とても盗みを働かなければならないほど生活に困窮しているようには見えない。おそらくそれなりに裕福な家からやってきたのだろうとグレイは推測する。
あり得る可能性としては、昔の教え子の子供が、親から何かを聞き出して遊び半分にやってきたというものである。なるほど、どうやら昨晩からの不運のせいで気持ちがささくれ立っていたようである。
鈍っていた判断能力を一応反省する。
悪いのは約束をすっぽかして夜逃げした商人とか、盗みを働く連中だけれど。
もしや周りに悪戯好きの教え子でも隠れているのではないかと、グレイはその鋭い目でぎろりと周囲を睨みつけてみた。何かがこそこそと立ち去っていくような気配がある。案の定である。
まったく、ホープのやつか、それともクリネアのやつか。
そんなことを考えながらため息をついて、グレイは少女の隣を通り抜け、家の扉をあけ放った。
親は逃げて行ってしまったようだが、それならばこの子を懐柔して名を聞き出せばいいだけの話だ。危害を加えたりする積りはないが、少女を通していつまでもくだらない悪戯なんてするのはやめなさいと説教を送ってから街を立ち去るつもりである。
「わざわざ訪ねてきたのじゃ。何でも質問に答えてやろう。少しゆるりとしていきなさい」
グレイは少女がおずおずと家の中へ入るのを確認し、荷台から椅子を三脚全部取り出した。どうせまた数日は馬車の用意ができないのだ。ある程度荷台から家の中へ荷物を戻しておく必要がある。
口の中でもごもごと呪文を唱えて、昨晩のうちに椅子が吸い込んでしまった水分を飛ばしながら家の中へ運び込む。
立派なテーブルの周りにいすを並べると、少女に座るように促して、グレイはまた荷台へ戻っていく。
話をするのであればリラックスできるようなお茶を入れてやろうと考えて、今度は茶の入った缶とティーセットを取りに戻ったのだ。しばらくまともな客人がなかったので、内心ちょっとだけ嬉しい。
台所にそれらを置いて、扉を閉めに玄関へ戻る。
ついでに最後に一睨み、外をぐるりと睨みつける。なんとなく、まだ何かが隠れているような気がしたからだ。いなきゃいないで誰も困らないし、もし本当にいればはったりになる。
すると家の角から影と一体化したかのような男が一人、ぬっと姿を現した。
男は平均的な身長をしており、一見ただの街の人のように見える。
ただし影に入れば目立たないようなカーキ色の服の下には、見ればしなやかな筋肉を有していることがわかる。
こいつおそらく人を殺したことがあるな、とグレイは思う。
冒険者をしていた経歴からか、あるいはそれより昔に物騒な世界で暮らしていたおかげか、グレイは物騒な臭いに対する嗅覚が鋭い。
とはいえ相手は丸腰だ。
暗器の類を持っていたとしても、暗器程度であれば魔法であれば防いで確実に反撃することができる。不意打ちさえされなければ、警戒するには値しない相手であろうとグレイは判断した。
そもそもこんな暗殺を得意としていそうな男が素直に姿を現した時点で、敵対の意思は低いとみて間違いないだろう。
「流石は音に聞こえし冒険者【青天の隠者】殿。私が隠れていることなどお見通しでしたか」
誰だこいつ、何言ってんだ。【青天の隠者】って誰だ、こっぱずかしい。
この男、はじめましてのはずなのにどうやらグレイのことを知っているらしい。
誰かと勘違いしているんじゃないかという説はまだ捨てきれないけれど。
「私はあの方をお守りするものです。しかし【青天の隠者】殿に見破られたうえ隠れているのはあまりに失礼というもの。ぶしつけではあるがお邪魔させていただきたく」
「……ふむ、よかろう」
当然家の中に入れてもらえるものと思っているらしいこの男に、グレイは仕方なく許可を出した。どうやら先ほどの少女と知り合いだし、さっきのこっぱずかしい二つ名みたいなのも気になる。
もし自分につけられているのだとしたら、いつどこで誰がつけたのか探りを入れておきたいところだ。っていうかマジで誰だこいつと思いつつ、自分に会釈をして家へ入って平然と椅子に腰かけた男をみやる。
「ふむ……」
グレイは意味もなく頷いてそれっぽい雰囲気を出してから、扉を閉めてポットの下へ向かう。ポットに気持ち少なめに茶葉を放り込み、ごにゃごにゃと呪文を唱えて湯を沸かせる。
田舎へ戻ればちょっとした贅沢であるこの茶葉も手にはいらなくなるだろう。
そんなけちな心が茶葉の量に現れていた。
ポットの中で茶葉が躍るのを待っている間、グレイは二人の会話に耳を傾ける。
「ほらね、言ったでしょう」
「まさに噂通り。参りました」
少女は嬉しそうだ。
影の男もなぜだか興奮しているように聞こえる。
グレイ一人が蚊帳の外でほんの少しの疎外感。
「一喝で後をつけてきた者どもを追い払われたのは見事でした。最後の一睨みは、私に対して『いるのはわかっている、出てこい』というメッセージだったのでしょう。感服するばかりです」
「私は椅子を三脚持ってきてくださった時点で、ウェスカのことに気づいているのだと察しました」
「ははぁ、流石です」
当然気付いていなかった。
なんかまだいるっぽいなってかまをかけただけだけど、良い方向に勘違いしてくれてるのに訂正する義理はない。気分を良くしながら、グレイはカップに茶を注いでいく。
ついでに茶菓子でも用意してやりたかったけれど、残念だが食料の類は保存食しか残っていない。
急に歓待してやりたくなったのは、褒められてその気になっているからだ。
いい年をして現金な男である。
茶を順番にテーブルに置いてから、グレイは椅子を引き、「よいしょ」という掛け声とともに腰かける。何をするにもよいしょこらしょどっこらしょは爺のお供。意識をしなくても勝手に口からはみ出してしまう。
「して、今日は何用で参ったのだ」
グレイはカップから茶をすすると『やっぱもっと茶葉をふんだんに使ってやればよかったな』と思いつつ、長いひげを一撫でして威厳を演出する。
少女と影の男はごくりと唾をのみ、内心がころころと変わるのに見た目だけは立派なグレイの偽物の威厳に、すっかり飲み込まれつつあった。