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わたしは冬、バレリーナになる。

作者: 千田伊織

 わたしは冬、バレリーナになる。


 あさ目が覚めて、今日も布団の外の寒さに身震いをする。

 布団から足を伸ばして、その冷たいフローリングに触れる。


「……」


 ぴたり、とその足の動きを止めて、ベッドボードに手を掛けながら爪先で立った。

 冬になると思い出したように繰り返す、幼いころからのくせ。


 ふくらはぎに力を入れたままへその下を固定して、右足を……。


 そう考えた瞬間に私はバランスを崩してその場にへたり込んだ。

 足の調子を確認する。問題はなかった。


「……何やってるんだろ、わたし」


 正気を取り戻したわたしは、朝日の差し込む窓に背を向けた。






「おはようございます」


 わたしはきらきらと輝くうら若い女の子たちににっこりと微笑みかける。


 彼女たちはあと数か月で勝負を迎える、宝塚たからづか音楽学校の受験生だ。

 わたしはいい年をして、彼女たちに頑張ってねとは言えない。彼女たちはわたしのような人間へ見向きもせずに、ただひたすら華やかな世界の夢を見続けている。


「おはようございます。今日も頑張ってきます」


 そんなわたしに、一人だけ目を向けてくれる少女がいる。


 彼女はこんな緊迫きんぱくした時期でも笑顔を絶やさない、このバレエ教室のエースだ。

 他の試験の具合は知らないが、バレエ能力は申し分ない。この教室の先生は、受付のわたしにはそう言っていた。彼女には言っていないだろうが、そのポジティブさも魅力の一つなのだと思う。


「……いたっ」


 妙に緊張してかしこまっていると、膝の裏が軽くったような感覚があった。朝のせいだ。変なことしなければよかった。


 アン、ドゥ、トロワ。


 しばらくすると、先生の掛け声が聞こえてくる。それ以外に物音はほとんどない。皆美しい鳥のように、足を上げては鏡に向き合っているのだ。


 冬は嫌いだ。


 幼い頃の無邪気な夢を思い出すから。


 わたしは向こう側に居続けることができなかった。そして今はバレエを何も知らない人と同じ側にいる。


 けれど、掛け声にかかとを持ち上げようとしている私がいた。


 アン、ドゥ、トロワ。


 背筋が伸びる。かかとが上がる。


 掛け声は十年前と同じ。入学試験に落ちた、あの日から変わらない。

 わたしは狭い受付の中でデスクに軽く手をついてへその下に力を込めた。






 冬は嫌いだ。


 なぜあの日、バレエから背を向けようと思ったのか、とあの時の自分を責めたくなるから。

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