6 公爵の偽り(スィーリ過去)
「貴女は子供が好きなのだな…」
トイヴォが8歳を迎えた年だった。
湯浴みを終えてスィーリが夫婦の寝室の扉を開けると、長椅子で書類整理をしながらスィーリを待っていたヘンリックが尋ねた。
「あの子は特別です。閣下の子供ではないですか…」
ヘンリックが王都に戻る前日、ヘンリックはスィーリを抱いた。これは慣例だ…。
「…。普通、本妻は愛人の子供を蔑むものが多いらしい…」
机に確認済みの文書が積み重ねされ、その横へ用意された琥珀色の酒に氷が溶けてグラスを鳴らす。ヘンリックは空のグラスへ蒸留酒を注ぐと、スィーリへ手渡した。
「そうですか…。なら、私は例外なのでしょう…」
スィーリは喉を鳴らして一気に飲み干し、ガウンを椅子にかけるとベットへ向かった。ヘンリックは先を行くスィーリの指の間へ指を差しこみ手を繋ぐ。
「私と貴女の間に子供が生まれれば、貴女はあれ以上に愛情を注ぐのだろうな…」
月日を重ね夫婦となってから9年も経つのに、ヘンリックはスィーリとの子供を諦めていない。
ヘンリックは背後からスィーリを抱きしめ黄金に波打つ髪へ顔を埋め匂いを嗅いだ。壊れものに触れるかのようにスィーリの頬へ自分の頬を寄せてくる。
拒絶されないか恐れているように躊躇いながらスィーリへ唇を重ね舌を絡ませ、ヘンリックは深く吐息を漏らした。
ヘンリックがスィーリの腰の線をなぞる様に指を這わせた。ピクッとスィーリの身体がしなる。
まるでスィーリを本気で愛しているかのように睦みながら、ヘンリックは何度も愛の言葉をスィーリの耳元で囁く。
この関係は偽りであることは間違いない…。
だが、閨でヘンリックはいつもスィーリを大切に扱った。
ヘンリックがスィーリを望むとき…。スィーリはヘンリックの温もりを感じ、刹那の悦びを噛みしめた。
後継者作りのためとはいえ、好きでもない女を抱くのに、閣下は優しすぎる…。
ヘンリックは知らない…。魔塔に特注で依頼している避妊薬をスィーリが服用していることを…。
万が一、成長したトイヴォが跡目相続で我が子と揉めるようなことになれば、スィーリは想像しただけでも苦しくなる…。
それならば…。いっそのこと…。私が子供を産まなければ全て上手くいく…。
ヘンリックへ後ろめたさを感じながら、スィーリは甘美な時間を過ごした。そして、規則正しい寝息を聞きながら逞ましい腕に包まれ静寂な眠りにつく。
スィーリを気遣って、朝早く出立するヘンリックは妻を起こそうとはしなかった。
何故…。愛しているなど嘯くのだろう…。ならば、私は起きるまで…。せめて待っていてほしいのに…。
常に自身を律して気丈なスィーリだったが、ヘンリックが王都へ去る日に限っては、寂しい思いを一人噛みしめた。重ねたあとの肌が薄ら冷たく感じる…。
しかし、この日…。
スィーリの予想に反して、目覚めたばかりの視界へヘンリックの大きな手が飛びこんできた。
「起きたか?」
日の光がカーテンの隙間から差し込んでいる。
いつもであれば、すでに王都へ発っているヘンリックが、ベットの傍らへ腰掛けてスィーリの髪を愛おしそうに撫でていた。
「話たいことがある…。君にとって喜ばしいことだと私は信じたい…」
緊張した面持ちでヘンリックは慎重に話す。
スィーリが上体を起こすと、柔らかな膨らみのある乳房が露わになった。ヘンリックの耳朶が赤らむ。
柔らかな日差しにスィーリの半裸が照らしだされ、ヘンリックは戸惑いを隠せない。
幾度と夜を共にして見慣れたはずのスィーリの身体であるのに、朝日を浴びたスィーリの曲線美を目で認め、妻の美しさに感嘆してしまう…。
ヘンリックはスィーリの肩へそっとガウンを掛け抱きしめる。スィーリは何が起きているのか、困惑していた。
「お待ちください!公爵様はまだご就寝でらっしゃいます!」
「お取次を!一刻を争うのです!」
数名の足音ともに廊下から大声が届く。扉を何度も叩く音が室内へ響いた。
「大変です!閣下!急ぎ王都へお戻りください」
「何事だ!」
ヘンリックは扉を開けずに問いかけた。
「王宮から早馬が参りました…」
本日、ヘンリックが王都の帰路へつくことは家臣も知り得ている。それにも関わらず、急かそうとするのには重大な理由があるはずだ。
「…。すぐに準備する!しばし待て!」
ヘンリックの返事に足音が遠ざかる。
「…。申し訳ない…。この話はまた…」
スィーリの髪を一房掴むとヘンリックは接吻した。物悲しそうなその眼差しをスィーリは忘れることはなかった。