4 銀色の狼(スィーリの現在)
スィーリが玄関ドアを開いた瞬間、大きな物体がトイヴォの目に飛びこんできた。
「大きな犬…。いや、狼ですか?」
灰色…。銀色にも見える毛色が滑らかに艶めく、体格のしっかりとした大きな狼だ。毛に覆われていても、流れるようなしなやかな筋肉が見てとれる。
「あぁ…。保護しているんだ…。ある日、家の前で倒れていてな…」
「撫でても良いですか?」
「…。どうだろう?男が苦手らしくてな…。来客が大人の男性だといつも威嚇するんだが…。珍しく、唸っていないな…。躾けてはいるが、必ず噛まないとは断言できない…」
トイヴォは静かに狼へとにじり寄る。警戒した狼はトイヴォと同じ速度で後退した。一人と一匹の距離は縮まらない。
そう言えば…。トイヴォは子供の頃から動物が好きだったな…。
トイヴォを避けるように、狼はスィーリの背後へ隠れた。スィーリを身仰ぎ、甘えた仕草で鼻を擦り寄せる。
「懐いてますね…。羨ましい…」
「だな…」
スィーリは狼の首根っこを掴み、腕を絡めて動けなくさせた。逃げることも出来たであろうが、狼は反抗することなくスィーリへ身を委ねる。
好奇心を隠せないトイヴォの眼差しに、狼は一瞬だけ怯んだが、トイヴォが撫ではじめると諦めた表情でなすがままにされている。
「白銀がキラキラ光ってて…。綺麗な毛並みだなぁ…。青目ですか?僕は今まで狼って金目だと思ってました…」
トイヴォは今日に至るまで青い瞳を持つ狼に出会ったことはない。実際、トイヴォが今まで出会った野生の狼は琥珀色の目をしていた。
「綺麗な青い目をしているだろう?けど…。ほらっ…」
スィーリは狼の顔の角度を変え、窓から差しこむ光へ当てる。嫌がりもせず、狼はスィーリへ従う。
「瞳の奥へ黄金の輝きが宿るんだ…。神秘的だろう?」
青空へ滲んだように溶けこむ黄金の光…。地平線へ沈む夕日のようで、スィーリは何故だか切なくなった。
あれは半年前…。
スィーリが狼と初めて対峙したある夜…。
歯や爪で抉られたのであろう傷跡を身体中に残し、血まみれで狼は倒れていた。縄張りにはぐれた狼が一匹紛れこんだのだろうか…。
スィーリは家から剣を持ち出すと、せめて苦しまないようにと、剣を狼の喉元へ突き立てようとした。
そのとき、スィーリと狼の弱々しい眼差しが交差した。覚悟を決めている目にスィーリは躊躇した。
本来、狼は家畜を襲う動物であり、殺処分するべきだ。それなのに、スィーリの心の何処で警鐘が鳴り響く。
スィーリには狼を殺せなかった…。
剣を捨て、すぐさま抱きかかえると、自身のベットを開けわたし、薬草を身体へ塗りたぐり、朝まで寝ずに介抱をしたのだ。
「そうか…。トイヴォ…。君の眼差しによく似ているのだ…。だから、私は見殺しにできなかったのだな…」
「母上?」
ヘンリックと同じく、王家へ連なるものに表れる瞳の色をトイヴォも受け継いでいる。
スプルース公爵家で二代に続き、この現象が表れるのは極めて稀なのだが、歴代の当主の中で一度だけ顕在したことがあるらしく、トイヴォはこの瞳のおかげで、スプルースの正統な後継者と認められた。
「ワフッ!」
トイヴォの瞳を真剣に覗いていたスィーリだったが、狼の鳴き声でトイヴォが頬を赤らめているのに気づく。
「すまない…。私の中では、君はまだ幼な子でな…。こんな立派な青年になったというのに…」
感慨深くトイヴォを見つめるスィーリの眼差しには愛情が込められていた。
「いえ…。僕は出来うるなら…。いつまでも母上の息子でいたいです…。厚かましい願いだと思いますが…」
「何を言う…。私の方こそ、厚かましいだろう?けれど…。私にとって、君はいつまでも可愛い息子だよ…」
狼から手を離したスィーリはそっとトイヴォの頭を両腕で包んだ。トイヴォの瞳に薄らと涙が滲んでいた。