13 公爵の嫉妬(ヘンリック過去・学生期)
そして、幾年が過ぎた…。
王立ジョンブリアンアカデミーへ入学する頃、スィーリは礼節を重んじる騎士のような朗らかな淑女に育っていた。
率直で誠実なスィーリは男女問わず人気があり、いつもたくさんの人に囲まれていた。
二年後、入学したヘンリックがやきもきするほどに…。
「あの男は…。少し近過ぎないか?」
フォークとナイフを静かに皿へ置き、ヘンリックが口を開いた。
ヘンリックとスィーリはヘンリックが入学後、共に昼食をとっている。学年が違うため、授業の進行も異なり、昼休憩で昼食時間を合わせるのも大変なのだが、ヘンリックの意向で可能な限り一緒に過ごしていた。
「そうか?」
パンを千切り口の中へ放りこむスィーリ、人前では淑女らしく振る舞っているが、二人で食事をするときは相変わらず以前のままだ。
顔合わせからお互いに領地を行き来して共に過ごした。スィーリにとってヘンリックは気心の知れた家族のような存在になっている。
スィーリは私のことを弟ぐらいにしか思ってないのだろうな…。
「あぁ…」
素っ気なくヘンリックは返事をする。
ヘンリックは成長するにつれ、喜怒哀楽を表に出すことはなくなった。特にアカデミーに入ってからその傾向は顕著だ。
少し愛想を振り撒いただけで女性たちが群がる。自身の見た目を自覚しており、他女生徒との仲をスィーリに誤解されたくなかった。
スィーリは気にしていないようだが…。
「あれは、私を女と思っていないきらいがあるからな…」
先ほどから二人の話題にあがっている男とは、スィーリの同級生であるマッティのことだ。
ヘンリックは男をマッティと名指ししたわけではないが、スィーリはすぐにマッティと思い当たったようだ。ヘンリックはそれさえも不快だった。
「…」
「なんだ?」
ヘンリックは葡萄畑で出会ったときから、自分の前では全く飾らないスィーリが大好きだった。あのとき感動した蒼穹にも負けないほどの清々しいスィーリの笑顔へ魅了されたあの瞬間から、その気持ちは今も色褪せない…。
最近は胸の奥が疼くほどだ。柔らかな新緑を映した湖のような瞳でずっと自分を見つめてほしいと望むほど焦がれていた。
ヘンリックはそれを愛だと認識していた。
「嫌だ…」
「何が?」
「貴女が他の男と仲良くしているのが…」
「ふふ…。私の婚約者は料簡が狭いな…。お互いに友としか思っていないぞ…」
スィーリは冗談のつもりで嫌味を口にしたのだが、ヘンリックは不機嫌になる。
「嫌なものは…嫌だ…」
スィーリはヘンリックの微妙な表情の変化に気づき苦笑いをした。口を小さく尖らせている。
スィーリは頭の後ろ高い位置へ一つ括った金髪の髪を手でかきあげて散らした。
「まいったな…。本当にただのクラスメイトなのだが…」
「…」
「おやっ、ここにいましたか?」
噂をすれば何とやら…。スィーリを探していたマッティがひょっこり顔を覗かせた。
「マッティ…。何かあったか?」
食堂のテラス席で食事をしていたスィーリたちをマッティは目ざとく見つけた。
食堂にはテラスが五つあり、各々テーブルは一つだけなので個室と同じように他の空間と区切られテラス窓を閉めれば独立した場所となる。
「いえ…。以前、結界の綻びを魔法陣で簡単に修復できないかと質問されてましたよね…。その件、魔法陣の研究レポートを共同で卒業論文として提出しませんか?」
「出来るのか?」
グルナディーヌ侯爵領は魔獣の森へ面している。領民を守るため、歴代のグルナディーヌ侯爵は定期的に魔獣討伐を行っていた。
魔獣討伐には人手がかかるし、怪我人も少なくはない。魔獣といえど棲み分けが出来るのであれば無用な殺生もせずに済む。
スィーリの父ヴァルッテリは魔塔へ依頼をして、魔獣の森周辺へ結界を張ってもらった。恩恵でグルナディーヌと隣接するスプルース公爵領も魔獣被害が少なり、その縁でヘンリックとスィーリは婚約を結んでいた。
だが、魔獣の中に人里への侵入を試みるものもいるようで、時々歪みが生まれるのだ。
魔塔の魔導師を呼ぶよりも、手元に結界を修繕できる魔法陣があれば迅速に対応できる。
「まぁ、試験を何度か繰り返して、数値を計測してみないといけませんが…。確か、グルナディーヌは魔獣の森と人里との境界を結界で隔てていましたよね…。試験場として借りたいのですが…。貴女もご同行願えますか?」
「ダメだ!」
スィーリは無自覚であるが、他者が認めるほどに美人なのだ。
スィーリは友達と断言するが、マッティがそうだとは限らない。研究のためとはいえ、二人きりになるのをヘンリックは許せなかった。
「…。貴方はスィーリ様の婚約者でいらっしゃる…確か…」
「ヘンリック・スプルースだ…。私が許可しない…」
「えぇーーー!婚約者だからって…。束縛する男は嫌われますよ…」
「なっ!」
ヘンリックは抗議しようと立ちあがるも、マッティは気にした様子もなくスィーリへ問いかける。
「スィーリ…。貴女はそれで宜しいのですか?」
「んっ?親が決めたことだから、私がどうこう言えた義理ではないよ。まぁ、束縛は嫌だけど、ヘンリックは好きだ」
スィーリの返答に思わずヘンリックの表現が崩れた。
「赤くなっちゃって…。随分とスプルース小公爵は可愛らしい方なのですね?」
「なっ!」
熟したトマトのような顔色のヘンリックを認めてマッティが揶揄うと、スィーリはマッティの肩を軽く叩いた。
「あまり、虐めないでやってくれ…」
スィーリとヘンリックは双方親の利権のために結びついた関係だ。政治的な結びつきなのであるから、そこに愛がなくとも夫婦にならざるを得ない。だが、出来ればお互い尊重し想いあえる夫婦でありたいとスィーリは思っていた。
これが家族愛なのか、恋慕なのか、鈍いスィーリは判断できなかったが、ヘンリックがスィーリへ好意を抱いていることは察していた。黄金の滲む綺麗な蒼色の眼差しの先にはいつもスィーリがいる。
スィーリはそんなヘンリックを好ましく感じていた。
余談ではあるが、スィーリとマッティの共同研究はヘンリックの監視下、スプルース公爵領で行われたのだった。