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10 公爵夫妻の離婚(スィーリ過去)

 離婚宣言後、スィーリは魔塔へ証人を要請し、数日も置かないうちに魔導師が屋敷に訪れた。

 貴族の離婚は王国の中枢機関へ離婚届を提出し離婚受理証明書が発行されることで成立するのだが、その前に魔塔を通して公正証書を交わすのが最近の主流だ。

 魔塔の証人を立て、協議で決定した契約項目を魔法陣に記す。それを基に公正証書を作成すると、違反したときに魔法効力で罰則が発生するため、より確実に離婚後の財産分与,慰謝料,親権等定めた条件を履行することが可能だった。

「何故…。この男が来るのだ?」

 ヘンリックは目を細めて眉を顰めた。

「それは…」

 スィーリは魔塔へ離婚調停の申請書を送っただけで、誰が魔塔から来るか知らなかった。

「別に構わないではないですか…。何か問題でも?」

 そう答えた男はマッティ…。

 スィーリが王立ジョンブリアンアカデミーに通っていたときの同級生である。

「貴公は…。私の妻と友人ではないか…。妻の肩を持つだろう?」

 マッティは癖っ毛で燃えるように鮮やかな赤髪レディッシュを掻き散らし、伊達眼鏡の下から覗く不思議な色合いのヘーゼルの瞳を瞬かす。

 色白で顎が細く顔立ちは繊細なのだが、うねり広がった髪をとかすこともなく、黒い外套が薄汚れていても気にすることもなく、全体的に残念な印象が拭えない人物だ。

「おやおや…。私は魔塔より正式に選出された魔導師なのですよ…。夫人と友人であるのは認めますが、公平な判断で不正なく公証人を勤めます…」

 マッティは嘘をついた。マッティは自分が証人に選ばれるよう不正を働いた。友の窮地に駆けつけないはずがない。

 スィーリが申請した書類は魔塔へ届くなり、研究しか興味がない魔導師たちが騒つくほど注目の的となった。

 魔導師は日々魔法の研鑽へ没頭していて、魔塔外部へ赴くものも少なく、彼らは口が堅いので、個人情報漏洩の心配はない。

 マッティは入手困難な幻の秘酒で魔塔主を懐柔し、スプルース夫妻の離婚調停の仲裁人を勝ち取ったのだ。

「私は離婚はしない…」

 ヘンリックは長椅子へ座っていた。膝の上で両手を組みスィーリを正面から見据えて断言した。

 マッティはスプルース公爵邸の客間へ招かれ、そこにはテーブルを挟んで、スィーリとヘンリックが対峙していた。

 あれから、スィーリはタウンハウスへ滞在している。

 トイヴォの容体は快方へ向かっているとヘンリックから報告を受けているが、スィーリは直接トイヴォの顔を確認して安心したかった。

 しかし、実母であるリンネアに見舞いを断られ、同じ屋敷内にいてもトイヴォと会うことは叶わなかった。

「魔塔から証人を呼んでおいて…。今更、それはないんでは?」

 マッティが呆れたようにヘンリックへ告げた。ヘンリックは苛立ちを隠せない。

「私は呼んでいない…」

「閣下…。私は心に決めたのです…」

 ヘンリックの強い要望で結婚したものの、スィーリはヘンリックと婚姻関係を結ぶべきではなかったと後悔していた。

 ヘンリックの愛する人、リンネアは子を宿していたのだ。あのとき、スィーリが身を引けば、トイヴォに肩身の狭い思いをさせることはなかった。

 法律で庶子の尊厳が認められているとはいえ、正妻の子と比べれば妾の子の立場は弱い。

 トイヴォの今後のことも熟慮した上で決断したことだ。スィーリの覚悟は揺るぎなかった。

 不機嫌な面持ちでヘンリックは答える。

「嫌なものは嫌だ…」

「…」

 ヘンリックは腰を丸めて前へとかがむ。サラサラと零れる銀糸の前髪が蒼色の瞳を覆った。動揺を悟られたくなかったヘンリックはスィーリを直視できなかった。

「では、お互い離婚にあたって譲れない条件を挙げてみましょうか?納得できるものでしたら、承認しましょうよ…」

 マッティが妥協案を提言するもヘンリックは黙ったままだ。

「スプルース公爵閣下?」

 マッティの呼びかけへヘンリックは徐ろに口を開いた。

「スィーリが他の男のものになるのが嫌だ…」

「はい?」

「再婚は許さない…。他の男に抱かれるのも…。想像するだけで…。怒りで我を忘れそうだ…。私以外の男に…。誰にも心を預けてほしくない…」

 マッティはヘンリックの意図が全く理解できない。ヘンリックには愛妾リンネアがいる。それなのに、スィーリには離婚後でも自由恋愛を禁止すると言い放ったのだ。

「閣下には愛妾が…。リンネア様がいらっしゃるんですよね?理不尽な要求ではないですか?」

「私は構わない…」

 マッティはスィーリを擁護しようと口を挟むが、スィーリはヘンリックの要望をいとも簡単に呑んだ。

「えぇーーー!いいんですか⁉︎公爵夫人はまだ若くていらっしゃいますし…」

「…。若くもないだろう?この歳では再婚も難しいだろうし…」

 マッティが大仰に驚くので、その様子が可笑しくてスィーリは思わず笑ってしまう。

 ヘンリックは妻の笑顔を久々に見た。トイヴォが倒れてから、スィーリの表情は常に陰っていた。

 スィーリは美しい…。

 黄金の海原のように波打つ髪も…。爽やかな風吹く草原のような眼差しも…。快活な印象を与える笑うと覗く白い歯も…。

 結婚後も剣の鍛錬をしているためか、体型は引き締まったまま何一つ変わらない。身体の流線は素晴らしく魅力的だ。

 スィーリは否定しているが、ヘンリックと離婚すれば数多の男から再婚を望まれるだろう。ヘンリックは誰にもスィーリを渡したくなかった。

 別れても友人として穏やかに交流を続けていけば、元の鞘に収まることもできるかもしれない…。ヘンリックは渋々ながらも頷いた。

「ならば…。承諾しよう」

「だが、私の希望も承認願いたい…」

 今度はヘンリックへスィーリが主張する。

「何だ…」

「二度と閣下に会いたくない…」

 ヘンリックの顔色が青褪める。そのようなスィーリの要求を予想だにしていなかった。

「私とか?何故だ…」

「…。言いたくはない…」

 ヘンリックが理由を尋ねても、スィーリは答えてくれない。

 スィーリはヘンリックへの情を失ったわけではない。また再び会えば、ヘンリックへの気持ちが再燃するかもしれない。そのとき、スィーリが身を委ね重ねれば、それはリンネアに対する不義だ…。

 それでは、今までスィーリが味わった苦しみを…。今後、正妻となるリンネアへ背負わせることになる。

「嫌だ…」

 ヘンリックは考えが甘かったことを自省するも今更遅い。スィーリがヘンリックに詰め寄る。

「閣下の望みに私は応えた…。閣下も私の願いに応えるべきだ…」

「それならば…。せめて、貴女が私と別れても、元気に暮らしているか、それは…。知りたい…。心配することさえも許されないのか…」

「ならば、グルナディーヌへ一報入れていただければ兄から私の様子を連絡するようにしよう…」

「嫌だ…。貴女の姿を見せてほしい…」

 ヘンリックの眼差しがスィーリへ縋る。晴れて澄んだ空色の瞳は今にも泣きだしそうだった。

「それでは、先ほどのスプルース公爵閣下の願いも約束できませんね」

 マッティは冷たく言い放つ。

「ならば、離婚は…しない…」

「閣下…。それはできかねます…」

 スィーリの決心は変わらない。

「…」

「…」

「…」

 沈黙が重たい…。何故、愛人を囲っている夫の方が離婚を受け入れられないのか、マッティには到底理解できなかった。

 マッティは事情を粗方知っている。それに対して、事前調査も入念に行った。夫人側の言い分は至極正当だ。

 しばらく、静寂な時間が過ぎた。けれど、部屋の空気はひりついている。

 深いため息を吐いたヘンリックが告げた。

「分かった…。必ず、君の様子を私に知らせてほしい…。どんな方法でも構わない。貴女が息災であれば…」

 互いに容認し、その後は財産分与等の話合いが続いた。

 スィーリは離婚を申し出たのは自分であるから、何も受け取るつもりはないと頑なに拒否したが、その意見にヘンリックが折れることはなく、最終的にヘンリックの私費から慰謝料を支払うことで両者は合意した。

 長時間、拘束されたマッティにはやや疲れが見られる。

「では、その誓約に基づき文書を作成いたします。破った方にはそれなりの罰則が課せられることをお忘れなきよう…。各々準備がありましょうから…。猶予期間は一ヶ月ぐらいで宜しいでしょうかね…」

 マッティが言葉を発すると同時に、彼の手から魔法陣が青白い光を放つ。

 机に予め準備していた誓約書をマッティが指し示すと魔法陣はその文書の上へ移動して文字を焼きつけた。

「一ヶ月後に公正証書がお二人に送られます。その文書を手にしたその日から罰則が発生いたしますのでご注意くださいませ…」

 マッティが窓へ視線を移すと東の空へ月が浮かんでいた。長い時間を経て、ようやく離婚協議は終わったのだった。

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