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五月十日 金曜日 21時 (4)

4


男友達など殆どいないあやめは、突然の異性からのボディタッチに目を白黒させる。


「ワタシの料理、美味しく食べてくれてありがとう」

「い、いえ! こちらこそ、美味しいお料理ありがとうございました」

「ふふ、お客さん滅多に来ないから嬉しかったヨ」


男はこてんと首を傾げてふんわりと花開くように笑いかけるので、あやめはますます顔を赤くした。


「さて、もうすぐ22時だ! 良い子は早く帰って寝ないとだネ〜」

「あっ、はい!」


先ほどの甘やかな笑顔から一転、すぐにあやめの手を離しタッパを右手に引っ掛け自動ドアをくぐる男。

 

完全に振り回されているあやめは小走りで男の後を追う。足の長さが違うので歩くスピードが違うのだ。

私の二倍くらい足が長そう、とあやめは場違いなことを考えながら外に出る。




店先で止まった男につられて、あやめも足を止める。

向かい合った二人の間を春のまだ寒い夜風が通り過ぎた。


「はい、ドウゾ」とお釣りを渡す時と同様、優しく両手で渡される入ったタッパの入ったビニール袋を、今度こそドキドキしないように気をつけながらあやめはお礼と共に受け取る。


「そういえばお姉さん、いつもここの商店街通らないよネ?」

「はい。今日は残業帰りで疲れてて道を間違えちゃったんです」

「確かに!」

「え、何がですか?」

「最初に目が合った時のお姉さん、死にそうな顔してたヨ!」


男はあやめの言葉に合点がいったのか、ぱちんと手を打ち鳴らし楽しそうに笑った。


「死にそう……そんなにすごい顔してましたか……」

「ウン!」


あやめの両手を握っていた時の美しく魅惑的な笑みはどこへやら、今はまるで子どものようにはしゃいでいる。

 

異性どころか同性すらを魅了するだろう怪しい笑顔にドギマギしていたが、あれは作戦ではなく天然なのか?

あやめは遠い目をしながらビニール袋の重さに意識を向ける。これで明日のご飯は確保できた。


「お姉さんが死にそうな顔してたから、声かけたんだ」

「あ、そうだったんですか?」

「今はだいぶマシな顔色になったネ」


男は魅惑的な笑顔とも子供の無邪気な笑顔とも違う、ふわりと慈しむような笑顔であやめを見つめた。


自分がご飯を食べているのを見ている時も同じ顔だったな、とその泣きそうなほど優しい笑顔にぎこちなく笑い返し、あやめは声を出した。


「お腹いっぱいになったからかもしれません」

「そっか。ご飯ちゃんと食べてる?」

「お昼におにぎりを一つ」

「エ!? それだけじゃ少ないヨ!」


宇宙人でも見つけたかのような素っ頓狂な声を聞き、あやめは苦笑する。


「デスクワークだし、こんなもんですよ」

「ふーん?」

「それにお給料も多くないから、節約しなきゃですし」

「でもそれで体壊したら元も子もないヨ〜」


男はいまだにおにぎり一つが信じられないのか、余程食に重きを置いているのか。

さっきまでの大人な立ち振る舞いはどこへやら、ぶうぶう口を尖らせてあやめに文句を言っている。


「ちゃんと食べてちゃんと休んで!」

「ハハ……はい、善処します」


もう会うこともないだろう目の前の男に、適当な愛想笑いをしながら話を合わせる。


健康的で文化的な生活が出来るならとっくの昔にやってるよ……なんて小言は胸の内にしまっておく。


「お姉さん、頑張りすぎなんじゃない?」

「え?」

「だってここを通った21時前まで、ずっと仕事してたってことデショ?」

「まぁ、はい。でも私の頑張りなんか全然ちっぽけですし……」


真面目なトーンで顔を覗き込んでくる男にあやめは慌てて下を向く。


申し訳程度に施したメイクは、残業疲れでもう崩れきっているだろう。メイクいらずで美しい顔の男に間近で見られたくはない。なけなしの乙女心だ。


「そんなことない。お姉さん充分頑張ってると思うよ」

「……そう、ですかね?」

「ウン、だって今も死にかけの顔してるもん。会った時よりかはマシだけど」

「はは……」

「お姉さんもっと適当に生きて良いと思うヨ」


「お疲れ様、今日も頑張ったんだネ」頭上から聞こえる男の優しい言葉に、思わず涙腺が緩む。

お礼を言おうにも、声を出した瞬間に涙も溢れ出そうな気がして口を開いては閉じてを繰り返す。


あやめが動かなくなったことに何か勘付いたのか、男はすぐに悪戯っぽい声で話を続けた。


「ワタシなんてとっても適当で身勝手に生きてるヨ! それでもなんとかなってるんだから、」

「そんなことない!」


ケラケラ笑いながら話す男のセリフはきっと冗談だったんだろう。

しかしあやめは男に感じていた胡散臭さや少しの恐怖心すら忘れ、つい大きな声で遮ってしまった。

 

だって自分は今日、男の優しさに確かに助けられたのだから。


「お兄さんが身勝手なんて、そんなことないです」

「そう?」

「そうです。お料理も美味しかったし、死にそうな顔の私のことも無視せず話しかけてくれたじゃないですか」

「ウン」

「初対面の私にたくさん優しい言葉をかけてくれて、本当に元気になれました」


「だから、ありがとうございます……」喋っているうちに何が伝えたいのかよく分からなくなり最後はか細い声でお礼を伝えたが、男はあやめの様子に嬉しそうに笑った。


「お姉さんは、人の良いところを見つけるのが上手ネ」

「そ、そんなことないです! すぐネガティヴに考えちゃうし……」

「フフ、確かに会話しててもお姉さん否定ばっかりだもんねぇ」

「あ、すみません!」

「それに謝ってばっかり」


「すみませ……」男の言葉に条件反射で出た謝罪の言葉を、言い切る前になんとか止める。ギリギリアウトだ。


「だからお姉さん。自分のこともちゃんと大事にしてネ」

「……! ありがとう、ございます」

「また美味しい料理が食べたくなったらここにおいで。待ってるから」


「まあ、営業日はその日の気分で決めてるから閉まってる日もあるかもだけどネ〜!」大きな口を開けてへらりと笑う男に、あやめは思わず気が抜ける。


「それじゃあ、おやすみなさい」とお辞儀をすると、あやめは男に背を向けて一人暮らしのワンルームへ歩き出した。

「おやすみ〜」と背後から聞こえる声は夜に似合わないほど朗らかで、あやめの口元に思わず笑みが浮かんだ。




(……また食べに来ようかな)


もう二度と来ないだろうと考えていたあやめは、男の優しい言葉に絆されてついそんなことを考える。

 

料理が美味しかったのは本当だ。他のメニューも食べてみたいし。そんな言い訳を自分の中でしながら、手元のビニール袋が傾かないよう気を付けつつ歩く。


(あ、まだ手振ってくれてる)


店から少し離れたところで、ふと後ろを振り向いたあやめの目に映ったのは笑顔を浮かべながら手を振る男の姿だった。


胸の奥が少し温かくなって、あやめは会釈してからその場を離れた。


暖かな陽気の昼とは違い、まだ少し肌寒い五月の風が頬を撫でる。


(「自分のことも大事に」かぁ。私に出来るかな)


薄い雲がかかって星の見えない夜空を見上げながら、あやめはぼんやりと考えるのだった。


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