七月二日 火曜日 22時 (2)
16
暫くして、大きな皿を両手に持ったシェンが戻ってきた。
テーブルの上に置かれた重量のある皿の上にはたくさんのおにぎりが並べられている。美味しそうな炊き立てのお米の匂いに、あやめのお腹も大きく音を鳴らした。
恥ずかしさで顔を真っ赤にするあやめに「具材は食べてのお楽しみ」とシェンは悪戯っぽく笑うと、さっそくおしぼりで手を拭いている。
あやめも慌てておしぼりで手を拭くと、シェンと目を合わせて「いただきます!」と元気良く両手を合わせた。
おにぎりを手に取って大きく一口かぶりつく。
シェンの手で握られたおにぎりは大きくあやめの一口目では具材にたどり着かなかったが、ほんのり塩味の効いた、ふっくらと握られたおにぎりは噛めば噛むほど口の中で柔らかな甘みと共に砕かれていく。
夢中で二口、三口目と食べ続けていれば、急に口内に広がる酸っぱさに思わず目を瞬いた。
(梅干しだ!)
疲れた体に染み渡る酸っぱさに思わず口からほぅ、安堵の息が漏れた。
向かいに座ってるシェンも相当空腹だったようで、幸せそうに無言でおにぎりをぱくついている。
一口が大きいからかもう二つ目のおにぎりを食べてるようだ。
ゆっくり咀嚼して、あやめもようやく梅干しのおにぎりを一つ食べ終え少し空腹が落ち着いたところで、シェンが真剣な眼差しでこちらを覗き込んでいるのに気づいた。
「さっきはごめん、冗談言いすぎた? あやめ、なにか言いかけてたよネ?」
「いえ。元はと言えば私の早とちりでしたし、シェンさんが無事ならいいんです」
「あやめは優しいネ」
「でも、あの……私から一つお願いがあります」
「どしたの?」シェンは、あやめが改めて背筋を伸ばしたのを見て少し不安そうな顔をした。
「あの! シェンさんの連絡先、教えてくれませんか!?」
「へ?」
「毎日連絡したいとかじゃないんです! でもまた今回みたいな事があったら私、心配で身が持たない気がして……」
「……あやめは私が優しすぎるっていうけど、あやめも十分優しすぎるヨ」
「どうしてそんなにワタシの心配してくれるの?」シェンは不安そうな顔をくしゃりと崩すと、嬉しそうな顔であやめに聞いた。
「そんなの、シェンさんも言ってたじゃないですか」
「ワタシが?」
「そうです。友達のこと心配するのは当たり前じゃないですか!」
あやめは真剣な顔でシェンに告げる。
それを聞いたシェンは思わずぴたりと止まった。
徐々に耳やほっぺたがじわじわ赤くなっていくシェンに、あやめは思わず目を見開く。
「シェンさん、もしかして照れてます……!?」
「……だって、改めてあやめから友達って言ってもらったの初めてな気がするから。嬉しくて」
「確かにそうかも? それより! 連絡先交換してくれますか?」
あやめは、テーブル越しにシェンにぐいっと近寄った。
シェンは肌の白い顔を赤くしたまま、目を細めて笑う。
「もちろん、あやめの初めてのお願いだもん! ワタシ嬉しいヨ」そう言ってシェンがポケットから出したのは、先ほど見た最新型のスマホじゃない型落ちのスマホだった。
「あれ? スマホ、さっきと違います?」と不思議そうにするあやめにシェンはスマホを操作しながら、平然と答えた。
「ああ、さっきのは兄から仕事用に与えられたスマホヨ。あやめは友達だから、プライベートのスマホが良いなって」
「機種変とか面倒でずっと使い続けてるんだよネ」シェンはそこまで言うと、あやめに向かってスマホの画面を見せる。
「これワタシの電話番号ネ」
「あ、ありがとうございます!」
「そうだ! 折角だし、メッセージアプリの友達登録もしとこうヨ」
「はい!」
電話番号を登録しあった後、メッセージアプリの画面を開いた。
QRコードを読み込むと、両親を入れても十人ほどのアプリの友達欄にシェンが登録される。
「……シェンさんのアイコン、何の画像ですか?」
「こないだ散歩行った時、浜辺に打ち上げられてたわかめヨ!」
「はぁ……わかめですか……」
独特なチョイス……と思いつつシェンのアイコンを眺めていると、目の前から「ふふ」と笑い声が聞こえる。
スマホから顔を上げて前を見ると、シェンがおかしそうに笑っていた。
(私のアイコンは道端の花でありきたりだし、笑う要素ないよね?)
あやめはシェンが何で笑っているか見当もつかなくて「どうしたんですか?」と首を傾げる。
「いやァ、ワタシのアイコン見たあやめの顔が面白くって。すんごい微妙な顔してたヨ。ふふふ」
「そ、それ笑うとこですか?」
「うん。だってあやめ、最近いろんな表情を見せてくれるから」
シェンの言葉にあやめは首を傾げる。
「最初の内は愛想笑いしかしてくれなかったけど、最近は悩んだとき相談とかしてくれるでしょ?」
「確かに……」
「それに今日だって凄く焦って心配してくれたし、私のこと叱ってくれたしネ。そういういろんな表情のあやめを見られると、どんどん仲良くなれてる実感が持てて嬉しいんだヨ」
「ふふ。私も今日、初めてあんなに疲れてるシェンさん見たかも」
「うん。もうしばらくお仕事はしたくないネ〜……」
気の抜けた声を出しながら、器用に皿を避けて机にぺたんと横たわるシェン。
ここまで無防備なシェンの姿を見せてくれるのも仲良くなれた実感な気がして、あやめの口から思わず欲が出る。
「私、もっとシェンさんの事が知りたい」
「え? ワタシのこと?」
「シェンさんと会えなかったこの二週間で、私って本当にシェンさんの事を何も知らないんだって痛いほど実感したんです。だから、もっと知りたいと思って……」
「例えばどんなものが好きで、どんなことが苦手なのかとか、」自分の本心を言ってしまった興奮で勢い良く言葉を続けながらシェンの方を見ると、シェンは机に顔を伏せたまま曇った声で呟いた。
「……それは、ワタシの立場や家業が気になるってこと?」
「えっと……?」
「あやめは聡い人だから、きっといつか気付かれる日が来るとは思ってたヨ」
まるで独り言のようなシェンの声は、どこか落胆を含んでいた。
「真面目に仕事しなくてもここで道楽みたいに暮らせて、兄が高級車で迎えを寄越して。会食のことも、子どもの頃から大人に囲まれて生きてきたことも言ってしまったもんネ」
シェンはそこまで一息で言い切ると、一度呼吸を整えてぽつりと寂しげに言葉を漏らした。
「ワタシが経済的に優れた家の子どもだって知られてしまったら、利用価値のあるワタシに近づきたいのは、当然のことだよネ」
「違う!」
シェンが言葉を言い終わる前に、あやめは思わず大きな声を上げていた。
シェンがどんな顔で何を思い出しているのか、一人で悲しみを抱え込んでほしくなくて、あやめはシェンの頭を両手で持ち上げた。
自然にシェンはあやめと目が合う形になる。
あやめが自分から触れてくるという大胆な行動に出ると思ってなかったらしいシェンは、目を丸くしてされるがまま。
「私が紛らわしい言い方をしちゃったのは謝ります、ごめんなさい。でもそんな悲しいこと言わないで」
「……」
「私はシェンさんのお家がお金持ちだとか、お仕事がなんだとか、そんなのはどうでもいいんです! 一人の友達として、シェンさんがどうして料理をそんなに上手に作れるのか、得意料理とか好きな料理、苦手な食材とか、あと……」
「あやめ、食べ物ばっかりネ」
シェンの冷静なツッコミにあやめは「ぐっ」と黙りそうになるが、負けじと言葉を続ける。
「ほ、他にもあります! 何でアイコンわかめにしたのかとかお散歩の時の写真もっと見せてほしいし、動物は好きなのか、アレルギーはあるのかリラックス法は何かとか!」
あやめはそこで言葉を切って、大きく息を吸い込んだ。最後のダメ押しだ。
「とにかく! 私はシェンさんの事が知りたいんです! シェンさん自身の事を!」
言いたいことを言い切ってすっきりしたあやめは、それでもシェンから目を逸さなかった。
シェンはしばらく黙っていたかと思うと、一度ゆっくり瞬きをした。
「あやめ、ほっぺたが痛いヨ」
「あ! ごめんなさい!」
話してるうちに熱が入って思わずぎゅうぎゅうに挟んでいたシェンの頬から手を離す。
シェンはのそりと体を起こしたが、顔をうつ向かせたまま。
(私、また傷つけちゃったのかな……?)
あやめは自分の行動を反省しながらもシェンを見つめていると、シェンの耳がまた赤くなっていることに気づいた。
「勝手に被害妄想して、あやめを傷つけること言ってごめん。今日は疲れてて、ネガティブ思考になっちゃってたみたいヨ。久しぶりに仕事だったしネ」
そう言ってから、シェンはゆっくりと顔を上げた。
テーブルにうつ伏せていた時の沈んだ声とは違う、穏やかな顔だった。
「今、あやめにそう言ってもらえたことが凄く嬉しいヨ。ワタシ、普通の友達がどんな会話をしてるか知らなくて。だから、友達の普通の遊びや会話をあやめが教えてくれる?」
「もちろん!」
「でもごめんネ。私言えないこともたくさんあると思う」
シェンは少し悲しそうな顔をしてあやめに謝った。
「人間だもん、それが当たり前ですよ。言いたくないことも秘密にしたいことも誰にだってあります」
「あやめは優しいネ」
「それはきっと、シェンさんが私に優しくしてくれるから。シェンさんが私を優しい人間にしてくれてるんです」
そう言って肩をすくめてあやめは恥ずかしそうに笑う。
「うう……ここ数週間兄に働かされ続けたから、涙腺が弱ってるネ。感動で泣きそうだヨ」と、いつの間にかすっかりいつもの様子に戻ったシェンが泣き真似しながら声を上げた。
「もう! シェンさんの嘘泣きバレバレですよ!」
「え〜ん! あやめ怒らないで! 代わりにあやめのお願い何でも聞くヨ」
「え! 何にしようかな……」
突然「なんでもお願いを聞いてもらえる」権利を手に入れたあやめは数秒悩んだ後、お願いを口にした。
「じゃあこないだ言ってた散歩、今度の土曜日に連れてってくれませんか? シェンさんの大好きな海、私も行ってみたいです」
「シェンさんのアイコンのわかめにも会いたいですしね」とあやめは言うと、おにぎりをもう一つ手に取り大きくかぶりついた。
今度はすぐ具にたどり着いた、昆布も美味しい。
もぐもぐと頬を大きく膨らませるあやめの様子を、シェンは愛おしげに見つめた。
「うん、約束」と優しく返したシェンは、まだお皿にたくさん盛られているおにぎりに手を伸ばした。
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