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14/23

六月二十五日 水曜日 17時

14


「今日も開いてない……」

 

そう呟きながら項垂れるあやめの目の前には、明かりの点いていない真っ暗な中華料理屋がそびえ立っていた。

 

いつもあやめを暖かく迎え入れてくれる建物なはずなのに、しんと静けさを保つ店構えはどこか不気味さを感じさせる。


 

 

シェンの経営する中華料理屋シンフーに通い始めて二ヶ月が経ちそうな現在。

なぜか、数日連続でシンフーが開いていないのだ。

もちろんシェンの出迎えもない。

 

営業は不定期だと言っていたし最初はタイミングが悪かったかなと諦めていたあやめだったが、もう一週間も準備中の札がかかりっぱなしのシンフーに違和感を感じる。

 

(もしかして、やっぱり私の事が面倒になって避けられてるのかな……)


傘を片手に盛大に項垂れるあやめ。

ネットニュースによると最近は梅雨入りしたようで、じめじめした天気が続いていた。


さらにシェンにも会えていないことで相変わらず続く残業や、職場での出来事を相談することも出来ず、あやめの心も天気同様曇っていた。

 

(私って、こんなにシェンに助けられていたんだなぁ)


シェンと会えなくなったことで、あやめは改めてシェンという友人の大切さを実感していた。

 

今日は同僚の原が休みで久しぶりに定時の17時に上がれたので、駆け足でシンフーに来たけれどやはり開いていない。

 

開いていない店の前に突っ立っていてもしょうがない。


帰るため足を動かそうとしたあやめの背後から「この店に何か用?」と突然男の声が聞こえてきた。

 

急に聞こえた知らない声にびっくりして後ろを振り返ると、見覚えのないおじさんがあやめを不思議そうに見つめながら立っていた。

 

「あ、いえ。この中華料理屋しばらくずっと閉まってるなと思って……」

「あぁここね。顔は良いけどなんか胡散臭い兄ちゃんがよく出入りしてるよね、あんた知り合い?」

 

やっぱり誰からも胡散臭く見られてるんだと内心苦笑するあやめ。

 

「ええ、まあ。……その、失礼ですが貴方は?」

「俺はしばらく前にこの商店街で店やってたんだけどね、過疎化も進んで店閉めちゃったのよ」

 

「まあ年も年だったからね」そう言ってあっけらかんと笑うおじさんに、あやめはなんと返して良いか分からずとりあえず苦笑しておく。

 

「で、店は閉めたけど、倉庫代わりに使ってるからこうしてたまに掃除に来るんだよ」

 

「ほら、二つ隣のとこ」と、おじさんが指さした家屋は、古さはあれど確かにこまめに掃除されてるようだった。

 

「今掃除終わって帰ろうと思ったら、普段見かけないあんたがいたから声をかけたってわけ」

「そうだったんですね……」

 

確かにあやめが商店街を訪れるのはいつも残業終わりのもっと遅い時間だから、おじさんと会ったことがないのも納得できる。

 

「それにこの店、あの兄ちゃんの道楽だろ? 本当に料理を提供してるようには見えないけど」

「まぁ……」


シェンから店を営業していることは他の人には内緒にして、と言われているのを思い出し、あやめはおじさんの言葉に有耶無耶に返事をした。

 

「この店が明るいうちに開いてるの見たことないよ。それに19時を回ればこの辺を通る人は全くいないから、客足も見込めたもんじゃない」


おじさんの話は、あやめが相槌を打つ間もなく続いていく。

 

「実際俺が夜にここを通って電気がついてたこともあったけど、客が入ってるとこ見たことないしな。店先に営業時間も営業日も書いてない。ましてや、あの片言の兄ちゃん日本人じゃないだろ?」


おじさんが連ねるネガティヴな言葉に、あやめは思わず息が詰まる。

 

あやめの前ではいつも何事もないように笑っているシェンだけど、日本に来てからずっとこういう好奇の目に晒されて続けていたんだろうか。

 

「気さくな兄ちゃんだとは思うけど、どうも入りづらくてなぁ……向こうも店の宣伝してくるわけじゃないし」

 

おじさんの言葉を聞いてあやめはシェンと初めて会った時のことを思い出した。


(そういえば私も最初はシェンさんのこと、怪しんでたなぁ……まるで遠い昔のことみたい)


思考を逸らしかけていたあやめは、そこで重大なことに気づく。

 

「え!? シェンさん、じゃなかったお兄さんと話したことあるんですか?」

「ああ。たまに掃除に来た時に偶然会えば話すさ。つい最近だと一週間くらい前かな? スーツ着た厳つい男と一緒にいたのを見たよ」

「え?」

 

途端にあやめの脳内は疑問符と焦りで埋め尽くされる。


(シェンさん、何かやばいことに巻き込まれちゃった!?)


顔色を悪くしたあやめに気づかず、おじさんは腕を組んで記憶を探りながら話している。

 

「普段兄ちゃんがぶらぶら歩いてる時って一人だからさ、不思議に思って覚えてたんだよ。それにそのスーツの男、雰囲気からしておっかない感じだったしな」

「そ、それで!? そのお兄さん、何か言ってましたか!?」

「あ、あぁ。なんでも家族に呼ばれたからちょっとお出かけしなきゃならないとかなんとか……」

 

「まあ、スーツの男に急かされてすぐ商店街の外まで歩いて、高級そうな車に乗り込んじまったから俺にも詳しくは分からないけどよ」


あやめの圧に若干たじろぎながらも、おじさんは当時の状況を伝えた。

 

そしてその後、周りに誰もいないのにわざとらしく声を潜めて好奇心が詰まった声であやめに囁いた。

 

「それにしても、あの兄ちゃん一体何者なんだ? こんなところで一人でぶらぶらしてるし、無職だろ?」

 

「もしや、あんたのヒモかい?」そう言って面白そうに笑うおじさんに、いつものあやめなら戸惑っていただろうが、今はそれどころではない。

 

「決して私のヒモではありません」とだけきっぱり断言したあやめは、状況を教えてくれたお礼を簡潔に述べてその場を後にした。



 


おじさんから、シェンが連れ去られたという話を聞いた帰り道。あやめは頭を悩ませていた。

 

避けられていないのは分かったが、おじさんが見たのは厳つい男に急かされているシェンの姿。

 

なにかまずいことに巻き込まれたんだろうか。

 

(でも家族に呼ばれてってことは、誘拐とかではないはずだよね?)


定時退社出来て、いつもより疲れは溜まっていないはずなのに、あやめの足取りは重い。

 

(シェンさんの家族ってことは海外だろうか? 中国語をよく使ってるし、中国に帰ったのかな? でも待って。じゃあ厳つい男や高級な車って?)

 

心配でどうしようもなくなって、あやめは人通りの少ない道端で立ち止まり、思わずスマホを取り出した。


メッセージアプリを立ち上げたところでふと、あやめはシェンの連絡先を知らないことに気づいた。

よくよく考えてみれば、あやめはシェンについて知らないことばかりだ。

 

おじさんが言ってた仕事に関しては、中華料理屋シンフーが当てはまるだろう。

でもそれだって、客はほぼあやめだけのようだ。

 

しかし、過疎地だとしても中華料理屋を構える程のそこそこ広い土地と建物を所有している。

その財源は一体どこから?

 

おじさんは片言な日本語だから海外の人だろうと言っていたけど、本当はどうなんだろう? あやめの前で中国語を話すことがあったから中国の人だと思っていたけれど、それも推測でしかない。

 

それに片言だとしても日本語をあんなに上手に操っている時点で頭は相当良いだろう。

それなのに、なぜこんな辺鄙なところに一人でいるんだろう?

 

そもそもあんなに料理上手なのに、忙しいのが嫌なだけでお店を隠すだろうか?

 

人が美味しそうに料理を食べているのを見るのが幸せだと言ったシェンが、人にご飯をふるまうことを面倒がるだろうか?


(私って、シェンさんのこと本当に何も知らないんだ……)

 

考えれば考えるほど深みにはまってしまったあやめは、スマホを片手にショックで立ち尽くした。

 

そこからどうやって帰ったのか記憶は定かではない。

せっかくの定時退社なのに、家に帰ったあやめはただいまの挨拶もせずベッドに倒れ伏した。



 


◇◆◇




 

店は閉まっていると分かっていても、「今日こそは開いてるんじゃないか」という一縷の望みにかけて、あやめは残業帰りの疲れた足で中華料理屋「シンフー」に向かい続けた。

 

おじさんと話した日から一週間ほど経った火曜日の22時。

残業終わりで心にぽっかりと穴が空いたまま、あやめの足は商店街に向かっていた。

 

あやめがシンフーまであと五十メートル程の距離に近づくと、店先で蠢く人影のようなものが目に入る。

 

(一体誰!? もしかしてシェンさんを連れ去った厳ついスーツの男!?)

 

あやめの足が恐怖で竦む。

がくがくと震える足で進むことも戻ることも出来ずその場で立ち止まっていると、その人影がこちらに気づいたように顔を上げた。

 

「あやめ?」

 

ひどく疲れ切ったその声は、確かにシェンのものだった。


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