03:月下の邂逅 後編
月を隠すほどの巨体を持つ獣が直立してテルヤたちを見下ろしていた。
恐らく元は熊だったのだろう。しかし、最早熊とも呼べない生物に成り果てていた。
その身体は人の身長の三倍にもなりそうな大きさで、その身体から突き出る石は最早、石ではなく宝石のように煌めく結晶と化している。
それが爪を覆い、頭部には角のような結晶が突き出ている。月の光を受けて淡く輝くのは晶魔という由来になった彼等の在り方をこれでもかと表している。
「……嘘、〝クリスタル級〟なんて……」
晶魔には段階が存在する。
まずは石のような突起物や一部が生える〝ロック級〟。
その石が鉱物のように変化してロック級を超える力を持つ〝メタル級〟。
そして、そのメタル級よりも上位とされるのが結晶の突起物を持つ〝クリスタル級〟だ。
クリスタル級ともなれば、歩く災害とさえ言える。結晶の効果なのか、身体も大きく巨大化し、魔法の減退効果も大きくなる。
クリスタル級の晶魔一体を撃退するのに大規模な軍が必要とされる程だ。テルヤの連れている手勢でどうにか出来る規模を超えている。
「メタル級では、なかった……!」
これは、もうダメだ。そんな諦観がテルヤたちの胸に浮かぶ。あれがこの一帯の主であれば勝ち目がない。
事前の調査で森の侵蝕速度から良い所、メタル級が主だと想定されていた。だから誰もがかすかな希望にかけたのに。
誰もが言葉を失っていた。その顔には絶望が浮かんでいる。誰かが力なく地面に拳をついた音が聞こえるほどに静かであった。
巨大晶魔がゆっくりと見下ろすようにテルヤたちに視線を向ける。無機質とも言える瞳でテルヤたちを睥睨している巨大晶魔は取るに足らないものを観察しているかのようでもあった。
どうしようもない程の圧倒的な差があった。だからこそ、逆にテルヤは覚悟を決めることが出来た。
「バーラシュ、撤退してください」
「テルヤ様……?」
「あれは私が倒します。その間に貴方たちは逃げてください。どこか、王家の手も伸びないほどに遠くへ」
「何を……」
「――王族として、命をかけてでもあれを仕留めます。私の命で釣り合えば良いのですけど」
「テルヤ様!」
自嘲気味に微笑んでから言ったテルヤにバーラシュは掴みかからんばかりの勢いで名を呼ぶ。そんなバーラシュを手で制して、テルヤは首を左右に振った。
「最後のワガママです、バーラシュ。……いいえ、〝お祖父様〟。私の大事な臣下たちをよろしくお願いしますね」
母の父と知っていながら、その呼び方を許されなかった。その呼び方をすればバーラシュが自分を止めないだろうことも知ってテルヤは口にする。
けれど、それはバーラシュの心を無惨にも引き裂く言葉にも等しい。バーラシュは息が詰まったように呼吸を止め、今にも叫びだしてしまいそうなのをギリギリで食いしばりながら堪える。
「何を言っているのですか、テルヤ様! 最後までお供させてください!」
「このまま貴方様を見捨てて生き存えたって、恥を背負うだけだ!」
「その恥を忍んでお願いします! ……ごめんなさい。私はこれ以上、貴方たちを失うような悲しみは背負いたくないのです」
弱い言葉だった。彼等の忠誠に応えられない弱音、それがテルヤの口から漏れる。
だから誰もが葛藤していた。テルヤへの忠誠や、死を恐れ生きたいと願う心が入り乱れる。
その間にテルヤは杖を構えた。最早、覚悟を決めた彼女は自分の命すらも光に変えて晶魔を討とうとしていた。
私が死ねばいい。そうすれば、きっと彼等はここから逃げてくれる。生きて欲しいから、自分の命をかける。理由なんてそれだけで良い。
(今まで、ありがとうございました――)
決して恵まれたばかりの人生とは言えなかったけど、それでも傍にいてくれた人は温かかった。その心に灯った温もりが熱く意志を燃やす。
テルヤが力を溜めたことに気付いたのか、巨大晶魔が身動ぎをして腕を振り上げた。あれで潰されれば五体が弾け飛んでしまうことは簡単に予想出来た。
それでもテルヤは目を逸らさない。今にも爆発しそうな光を蓄えた杖を向けてようとして――。
――空から、〝何か〟が落ちてきた。
その何かが着地したのと同時に、遅れて落下してきたのは巨大晶魔が振り上げていた腕だった。
切断された腕から一気に血生臭い匂いが広がり、テルヤは呆けていた意識を戻した。
「グォォァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
巨大晶魔が悲鳴を上げていた。千切れた腕を振り、痛みに耐えられずに身を捩っている。
その腕の断面を見れば、幾つか内部にも結晶が形成されているのが見える。それすらも〝綺麗〟に切断されてしまっている。
――馬鹿な、あり得ない。
テルヤがそう思ってしまうのは当然だ。何せ、クリスタル級の晶魔ともなればその硬度は並大抵のものでは砕くことすらも難しい。
なのに、それが綺麗に切断されている。それがあり得ない。あり得ない筈なのに起きてしまっている。
そのあり得ない光景を生み出したのは、空から落ちてきた〝何か〟だ。テルヤは改めてその姿を視界に映した。
――〝白〟。まず、認識したのはその色だった。
驚くことに、それは少女だった。手入れもどこか雑なざんばらに切りそろえられた白髪、それでも目元が隠れそうな前髪から覗いている瞳は血の色のような真紅。
格好も草臥れて薄汚れていて、まるで長いこと森に篭もっていたかのような格好だった。
そして、何より目を引いたのは――その手に握られているもの。
月の光を帯びて鈍く輝く銀色の片刃、その刃についた血を振り払うように少女が振るう。
「――大丈夫? お姉さん」
「え……?」
まるで緊張感のない問いかけにテルヤの反応は遅れてしまった。少女は驚いたテルヤの反応に気を悪くした様子もなく、穏やかに笑ってみせた。
「お姉さんはいい人みたいだね。途中から全部聞いちゃってたけど、うん。貴方は誰かを見捨てることはしない人だ。だったら、助けてもいいかなって思っちゃった。私、人を嫌いになることの方が多いんだけど」
「あの、貴方は――?」
「話は後でしようか。まずは、あれを片付けるから」
白い少女は気負った様子もなく、振り返って巨大晶魔と向き合う。
怒り狂ったように吼えながら残った腕を振り上げる巨大晶魔、先程よりも濃厚な死の気配がテルヤの身体を包んでいく。
なのに、不思議と恐怖に身体は震えなかった。巨大晶魔の脅威よりも目を惹くものが目の前にあったからだ。
白い少女はしっかりと地を踏みしめるように手に持った刃を構える。
月光を反射する刃は淡く光を纏い始める。まるで月の光を吸い上げているかのようにも思えるような光景。
――その光景に息を呑んだのも一瞬、少女の身体が〝ブレ〟た。
テルヤはその光景に既視感を抱く。それはいつぞや見かけた兎だった。ちょっと触れてみようと手を伸ばすと、勢い良く逃げ出していった姿。
その瞬発力を思わせるように少女が〝跳ねる〟。その勢いは目で追うのがやっとの速度だった。それは、まるで空に尾を引く流星のように。
次の瞬間、呆気ないという程の勢いで巨大晶魔の首が宙を舞っていた。
最後の断末魔すらもなく、地に落下した巨大晶魔の頭部が響く音だけが耳に届く。
光の尾を引き、遅れるように少女が着地する。そして立ち上がるのと同時に血を払った刀を腰に下げていた鞘に収めた。
そうして、改めて少女は月明かりに照らされながらテルヤの方へと向く。
「……貴方は、一体?」
「私? 私は――」
――イスタだよ、お姉さん。
白い少女は、そう名乗って人懐っこい笑みを浮かべる。
二つの月が照らす夜、二人の少女はこうして出会ったのだった。




