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02:月下の邂逅 前編

 夜の空には二つの月が浮かんでいる。一つは古月、一つは新月。

 古月は昔から人が見上げれば空にあったもの。そして新月はいつしか現れたもの。

 この二つの月が浮かぶ夜、人は脅威に晒される。


「距離を保て! 近づけさせるな!」


 緊迫した声が響いた。二つの月の明かりによって照らされ、視界に困らない程度の闇に包まれた森。そこに立ち入った人々は緊張と焦燥をその顔に浮かべていた。

 彼等の手には杖がある。それは星の神によって祝福された人の力を行使するための媒体であり、その杖から様々な奇跡が起こる。


 火が吹き荒れ、水の鞭が唸り、風の刃が舞い、木の根が槍のよう伸びていく。これぞ星の神より人が授かった奇跡の技、魔法である。

 自然のあらゆる力を身につけ、それを力として行使する人。その先には人の脅威がいた。


 獣だ。しかし、その姿は異質である。

 元は狼だったのだろう。しかし、その体には生物にはあるまじき石が突起のように生えていた。

 そんな異質の狼の群れは人に近づこうと森の中を疾走する。それを近づけまいと人は魔法を放つ。これはそんな戦場だった。


 この異質なる獣は、空に浮かぶ新月が現れた頃から確認されるようになった人類の脅威である。

 その名を〝晶魔(しょうま)〟。石の突起を身に生やした姿を持つ、世界を蝕む獣であった。


「晶魔どもめ! この森をこれ以上、侵させはしない!」


 若き青年が義憤を込めて叫んだ。よく見れば、この森の木々にもおかしな面があった。

 木々の内側から突き出るように、それこそ晶魔と同じような石が生えている。これこそが晶魔が世界を蝕む獣と言われる由縁だ。


 晶魔は夜になると活動し、世界を蝕み、自身と同じように世界を塗り替えてしまう。

 生物も、土地も、自然すらも。あらゆるものに石で出来たような突起が生えてくるのだ。そうなるとどうなるのか?

 晶魔の石は、魔法の効果を打ち消していく。世界の奇跡を蝕み、無に帰すもの。だからこそ人が討ち倒さなければならない脅威であった。

 

「アルダイン! 前に出すぎだ! 減退範囲に入れば死ぬぞ!」


 義憤に燃える青年、アルダインに声をかけるのはこの森の中に入った者たちの中でも最年長であり、白髪すらも目立ち始めた老人だ。

 老人の名はバーラシュ。この森の中に入った者たちに指示を出す指揮者である。


「バーラシュ隊長! しかし!」

「――アルダイン、気が逸るのはわかります。ですが、どうか冷静さを忘れないでください」


 そんなバーラシュの隣に並び、杖を構える少女が一人。

 夜の闇に浸したような黒髪に、黒髪によって映える美しい白い肌の少女。

 穢れを知らぬような少女の瞳は古月めいた金色、その目が見据えるのは晶魔の群れ。


「光よ」


 少女の小さな呟きと共に放たれたのは、無数の光の槍だ。その光は晶魔を射貫いていき、脅威を退けていく。

 その圧倒的なまでの力に周囲から勢いに満ちた熱狂の声が上がる。突出していたアルダインもまた、手を上げて少女を讃えている。


「――テルヤ様、大丈夫ですか?」


 ただ一人、バーラシュが案じるように少女――テルヤへと声をかける。

 テルヤはそっと息を吐く。浮いてきた汗を誤魔化すように手の甲で素早く拭った。


「バーラシュ、私は大丈夫です。皆もよくやってくれています」

「えぇ、指揮は十分です」


 ですが、と。十分と答えながらもバーラシュの表情からは緊張が消えていなかった。いや、そこには諦観すらも滲みそうになっていた。

 それを隣にいるテルヤは強く感じていた。バーラシュにそんな態度を取らせている理由も、全てわかっているからこそ。


「……とても残酷なことです。彼等には謝っても謝りきれません。やはり夜に攻めるのは無謀だったかもしれません」

「そう仰ってくれますな、テルヤ様。私たちは覚悟の上でここに来ております。晶魔の活動は主に夜、この一帯の主を捜索するのに労力を使うならば夜にこそ動き、遭遇と共に一気に叩かなければ我らの戦力はジリ貧であったでしょう。どの道、我らは可能性に賭けることしか出来ぬのですから」

「……ありがとう、と私は言うべきなのでしょう。だからこそ、残酷なのです」



 ――私は、彼等に死ねと命じなければならないのですから。



 その呟きを拾ったのは、隣にいたバーラシュだけである。その呟きでバーラシュが顔を顰めた。彼の心中は目を覆いたくなるほどの無念に満ちていた。

 テルヤ、正式な名をテルヤ・アークライト。彼女はこの森を領地に持つアークライト王国、その第二王女という貴き身分に位置する者であった。


「……国王陛下がご健在であれば、このような事を許される筈がないのです」

「バーラシュ、そうは言っても父上も人の子。永遠に玉座に座れる訳ではありません。お体を崩し、床に伏せるのはいつか起こりえた事。そして父上が動けなくなれば遅かれ早かれこうなってはいたでしょう」

「しかし、これでは死罪と何も変わりありません。この晶魔に侵された森の規模を考えれば、到底テルヤ様の手勢だけでは攻略は不可能です」


 晶魔の厄介な所は、晶魔によって侵された土地は魔法の効果が減退する。しかし魔法でなければ晶魔の撃退は難しい。

 晶魔の領土となってしまった土地を開放するには、土地の主となった晶魔を取り除き、長い時間をかけて侵蝕された影響を除去しなければならない。

 解放してもすぐ元に戻る訳でもなく、しかし放置すればじわじわと人の領域を侵される。だからこそ晶魔の討伐は人類にとって急務であった。


 それでも晶魔に侵された土地というのは生まれてしまう。この森もその一つだ。この森の開放のためにテルヤは自らの手勢を引き連れて訪れた。

 それが、どう考えても勝ち目のない戦いであっても。テルヤには引くことは出来なかったのだ。


「……私は兄上たちには毛嫌いされていますからね」


 寂しそうにぽつりとテルヤは呟く。彼女は第二王女という肩書きを持つものの、その立場は王族の末席も末席であり、輝かしいものとは言えなかった。

 国王が人として最も愛した妾が生んだ子。母が平民であり、身分を持たずにいたことがテルヤの冷遇へと繋がった。


 王には複数の妻がおり、その子として兄が三人、姉が一人いた。親が異なり、ましてや平民の子であるテルヤを冷遇するのは悲しくも自然な流れであった。

 彼女を唯一庇護していた国王が病に伏せって倒れた後、テルヤに下されたのは王族の責務を果たせという兄たちからの策謀であった。


 ――曰く、この土地に住まう晶魔を撃退し解放せよ。でなければ王族の資格なし、逆らうならば王族を詐称した罪人として首を落とす、と。


「……どの道、テルヤ様と共にあると選んだ我々はテルヤ様が断った時点で共に貴方を担ごうとした反逆者として処刑されていたでしょう。口封じも兼ねて」

「……えぇ。だから、せめてわずかな希望でもかけるしかなかった。もしこの森を開放出来れば、ここ一帯の領地を私が貰い受けると約束させました。なんとかここさえ切り抜けられれば、そう思っていましたが……」


 現実はどこまでも残酷だった。兄たちの情報を信用していた訳ではなかったけれども、予想以上に侵蝕が進んでいた森の中は魔法の行使を妨げる。

 迎撃ではなく、攻略であるからこその負担の大きさ。それは魔法という奇跡を起こす力を磨り減らしていく。

 テルヤの活躍に熱狂しているのは、彼等とてわかっているのだ。この先に希望などないのだと。それでも忠誠を尽くした姫に恥ずかしくないようにと彼等は声を上げる。


「……私はとても残酷な女です。私などに宛がわれなければ、或いは」

「出会いは王の采配だったのやもしれません。しかし、私どもはテルヤ様に仕えられて幸せでございます。だからどうか、我らを哀れむのはお止めください」

「……わかりました、バーラシュ。せめて、最後まで胸を張りましょう。この国を守る王族の一員として」


 テルヤは気丈にも微笑み、バーラシュは頷き一つで彼女の強がりに答える。

 ……そんな彼等に救いの手は訪れない。現実はどこまでも残酷で、一人が力尽き、また一人、また一人と歯が抜けていくように崩れ落ちていく。


「やらせません!」


 そんな傷つく人を前にして、テルヤは心動かさずにはいられない。罪悪感と生来の優しさ、そして忠義に報いたいと言う思いが彼女に限界以上の力を引き出させる。

 テルヤの力は〝光〟。単純にして絢爛、そして圧倒的な力を持つ光は晶魔たちを一斉に蹴散らしていく。

 テルヤの杖から放たれた光線は晶魔の群れを射貫き、薙ぎ払い、殲滅していく。襲撃の波が途切れたのを確認して、テルヤは傷ついた者たちへと駆け寄った。


「アルダイン! 大丈夫ですか!」

「……申し訳ありません、テルヤ様……私は、どうやらここまでのようです……」


 晶魔によって痛撃を受けたアルダインの出血は酷い。即死はしないだろうが、このまま処置もしなければ死は回避出来ないだろう。

 アルダインだけではない。誰もが傷つき、限界に達してもおかしくはない。全滅は最早、秒読みに近かった。


(せめて、せめてここ一帯を統べる主を撃退出来れば撤退をして、そこから突破口を見いだせるのに……!)


 そんな願いをテルヤは抱く。それは縋るような希望であり、同時に彼女たちの望みを絶つ絶望であった。

 ずしん……と、その音と振動をテルヤは感じ取った。続けて響き渡る音にテルヤはばくばくと鳴り響く心音を誤魔化せずに顔を上げた。



 ――月が隠れ、闇が世界を満たしていく。そこに立っていたのは大きな、とても大きな獣だった。




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