01:投じられた石は波紋を起こす
短編作品から連載化しました。よろしくお願い致します。
やや加筆などしていますが、5話までは短編の内容とほぼ同一です。
――この世のものは全て、星の神によって祝福されている。
花も、木も、水も、土も、風も、火も。ありとあらゆる事象には神の寵愛が込められている。
誰だって神に愛されて生きている。誰だってそう教えられているのに、そうである筈なのに。
「もうお前はこの家の子じゃないよ。出て行きなさい」
「待ってよ、お父さん!」
私は縋るように手を伸ばす。昨日まで私に温かな目を向けてくれていたお父さんは、まるで私が別人になってしまったかのように冷たい眼差しで見下ろしていた。
私の手がお父さんの大きな手で払われる。その痛みに小さく悲鳴を上げてしまう。それでも手を伸ばしてしまったのは、失いたくないと思ってしまったから。
けれど、求めた温もりを手にすることは出来なかった。
お腹に猛烈な痛みが走る。蹴られたのだと理解したのは咳き込みながら転がった後だった。
お父さんと呼ぶ声はもう出なかった。ただズキズキと痛むお腹を抱えながらお父さんを見上げることしか出来なかった。
「……アナタ、早く」
「……あぁ、わかっている」
家の中にいたお母さんがお父さんに声をかけた。私を見たくないとでも言いたげに頑なに視線を向けないお母さんに促されてお父さんが家の中に入った。
そのまま閉ざされた家の扉。まるで私を拒絶しているかのようだった。
「……寒いよ」
外の空気は身体の熱を奪っていくように冷たい。このままここにいても凍えて死ぬだけだと、宛てもなく歩き始める。
もう着ているものぐらいしか残っていない。今日は私の誕生日で、本当だったらこの日に生まれたことを祝福されていた筈なのに。
なのに全てを失った。唯一、服以外に手元に残った〝石ころ〟のせいで。
「……こんな石ころのせいで」
この世の全てのものは星の神によって祝福されている。
人は星の神によって祝福された世界で、自分と親和性のある物質を媒体にして力を授かることが出来る。
それこそが星の神が人に与えた祝福だと、皆がそう教わっている。
でも、例外があった。それがこの〝石ころ〟だった。
何の力も持たない、奇跡を起こせない石ころ。それは無価値の象徴。
だから親は私を捨てた。石ころでしかない私は育てる価値もないと。
本当は今日という日を楽しみにしていた。
私が授かる力はどんなものだろうと胸に期待を膨らませて――全てを奪われた。
私と親和性を示したのが、この無価値な石ころだったから。
誰からも見向きもされないで進んでいると、自分がそのまま石ころになってしまったかのように思える。
「……何が、祝福よ」
星の神は全てを祝福しているんじゃないのか。だったら、どうして無価値な石ころなんてあるんだ。
どうして、どうして。何度も問いかけながら歩いても、答えは見つからない。
温かかった思い出がどんどん冷えていく。心が凍てついていき、何も感じなくなっていく。
それでも、幸せだった私の心が叫ぶ。――こんな筈じゃなかったのに、って。
石ころを握り締め、大きく手を振り上げる。流れ落ちる涙と共に叫んで、私は腕を振った。
「――こんな、石ころ!」
石を捨てようとして大きく振った腕。――だけど、その腕を後ろから握り締められた。
「――捨てちまうのか?」
「……え?」
私の手を握ったのは大きな無骨な手だった。何度も豆が潰れて厚く硬くなった手の皮の感触を感じる。
振り向いてみれば、その手の感触と同じぐらい無骨な男の人が私を見下ろしていた。
髪は暗い赤銅色で手入れもろくにしていないのかボサボサだ。目は人を射殺せそうなぐらい鋭くて、鈍い銀色の瞳が睨んでいるように細められていた。
「……ぁ、ぅ」
知らない人に、それもとても恐ろしい形相の人に見つめられて私は何も言えなくなってしまった。
「おい」
「ひ……」
「捨てちまうのか、それ」
怖い顔のオジさん私と目線を合わせるように膝をついて真っ直ぐ見つめて来た。それでも視線は私より高いけれど、睨むような目付きは少し和らいだ。
「……だって、要らないもん」
「本当に要らないのか?」
「要らないって言われたんだもん……! こんな石ころ、要らないって……! こんなに選ばれた私なんて……!」
星の神の祝福によって親和性がある物質は導かれるように姿を現す。
そして現れた石ころを見て――誰もが凍り付いたような表情を浮かべた後、諦めたように息を吐いていた。
「私は、誰にも望まれてなかった……!」
「――いいや」
私を誰も受け入れてくれなかったと、そう吐いた言葉を男の人は否定した。
石ころを握った私の手を一緒に握ったまま、オジさんはこう告げる。
「こいつだけは、お前の下に来てくれたじゃねぇか」
「――――」
「皆に見捨てられたって言うなら、こいつだけは信じてやれよ。こいつが原因でも、こいつはお前を一人にしたかった訳じゃないだろうさ。お前を選んで現れてくれたんだ」
オジさんは私の頑なに握っていた手を解くように触れてくれた。私は握っていた石ころを改めて見つめる。
どこからどう見たって石ころにしか見えない。こんな物をどうやって信じろって言うのよ……。
「一緒に来るか?」
「……え?」
「この石ころが本当に無価値かどうか、一緒に探してやるよ」
そう言って男の人は懐に手を入れて、私のものよりも大きな石を取り出した。
「それって……」
「あぁ、そうだ。お前と一緒だ」
「……オジさんは、嫌じゃなかったの?」
「さぁな。嫌だろうが、何だろうが、俺はコイツに選ばれて、コイツは俺を選んだ」
石を握ってない手で私の頭を撫でながらオジさんは言葉を続ける。それはまるで慰めているようにも聞こえたし、励ましてくれているようにも聞こえた。
「これが神からの贈り物なら、きっと何か意味があるんだろう。そいつを俺たちが信じてやらねぇと、本当に何者でもなくなっちまうぞ」
「……」
「お前、死にたいか? このまま誰にもなれなくてもいいのか? 本当にお前は全部投げ捨てたいのか?」
言葉は出せなかった。だから代わりに捨てようとしていた石ころを強く握り締める。
……捨てない。この石ころを捨ててしまったら、お父さんやお母さんと同じことをするって事に気付いたから。だから捨てない。これしかないなら信じてみる。
「……オジさんは教えてくれるの?」
「オジさんはやめろ。……そうだな、一緒に来るなら師匠って呼べ」
「……師匠?」
「あぁ。じゃあ、行くか」
話は済んだ、と言わんばかりに師匠は私の身体を抱え上げる。まるで荷物を腋に抱えるような雑な扱いだ。
そのまま師匠は私の不満も気にせず歩き始める。そして、ふと思い出したように声をかけてきた。
「おい、チビ。名前は?」
「……チビじゃない。私の名前は――」
* * *
――川に石を投じれば、波紋が生じる。
その小さな波が起こす変化など些細なもので。
しかし、人は言う。蝶の羽ばたき一つですら、世界を変える、と。
では、この投じられた石が、その一つであったとしたら?
それを彼女自身もまた知らないのであれば――?
物語の始まりを、夜空に浮かぶ二つの月が見下ろしていた。