いまさら婚約破棄ですか?
「エレナ・サザンクロス!今日この時をもって貴様との婚約を破棄する!」
王立学院の卒業パーティーの会場のど真ん中でサザンクロス侯爵の娘であるエレナ・サザンクロスに声高々と宣言しているのは、この国の第3王子であるハルク・エクステルである。
その隣には、ドレイク男爵令嬢のミーシャが、ハルクに腰を抱かれながら青ざめた顔でエレナを見つめている。
「ハルク様、このような場でするような話では……」
「貴様!逃げようとするのか!」
「いえ、その様な事は……、後程、陛下と我が父を含め話し合う事に致しませんか?」
「貴様がその様な往生際の悪い女だったとはな!ミーシャにした悪行、言い逃れ出来ると思うなよ!!」
パーティー会場はざわざわと混乱しているものの、貴族の教えを学んだ中には高位の2人のやり取りに割って入ろうとする者などいるはずもなく、生徒達は遠巻きに様子を伺っている。
この場を納めなければならない教師達は、事の重大さを理解しているからこそ、どう動くのが最善策か答えが出せず、その場を動けなかった。
エレナはチラリと周囲を見渡し、この場をどう納めようかと思考を巡らせていた。
幼い頃に結ばれたこの婚約を、ハルクが初めから嫌がっていることにエレナは気が付いていた。
だからと言ってエレナの方から解消出来る訳もなく、ハルクの方から解消を申し出てくれれば快く承諾するつもりでいたのに、一向にその気配もなく、かといって歩み寄ろうとする気配もなく、お茶会やパーティーのエスコートなど婚約者の義務だけを嫌そうにこなすハルクに愛情など持てるはずもなく、どうせ結婚しなければならないのならば、この国のため国民のためにこの身を捧げようと考え、王家に嫁ぐ為の厳しい教育を頑張った。
マナーから始まり教養や政治。さらには周辺国の情勢・言語・マナー、覚えること身に付けることの多さに四苦八苦し、先に教育を終えている第1王子や第2王子の婚約者方に教えを請いなんとか王立学院在学中に教育を終えることが出来、卒業後はハルクと2人で外交等の公務につくことになっていた。
エレナはあれこれと思案しつつも、ハルクをしっかりと見据えていた。
思い込みの激しいハルクが、身に覚えのない悪行とやらを「やましいから目を逸らした」とか、「悔いているから目を逸らした」とか言い出しかねないからだ。
「いい加減に罪を認めろ!ミーシャの身分を見下し嘲笑った事、貴様の取り巻きどもに命令して孤立させた事はわかっているのだ!しかも、それだけではない!階段から突き落としたのを私がこの目で見たのだ、言い逃れは出来まい!潔く罪を認め、ミーシャに謝罪しろ!」
エレナは内心、思い込みの激しいハルクにウンザリし始めていた。
ミーシャをチラリと見ると青ざめた顔で震えていた。恐怖を感じているのだろう。
エレナに向かい必死にすがるような眼差しで首を横に振っている。
「ハルク様、わたくしは身分を見下した事などございません。高位の、しかも婚約者がいる男性に話し掛けるのは淑女として礼儀が欠けると忠告したことはございますが……それはわたくしの勘違いだったと判明した時に謝罪させていただきましたわ。それに、彼女が孤立しているのは、休憩時間の度にハルク様が来られてミーシャさんと話をしている友人達を押し退け、ミーシャさんを連れ去るからではございませんか?ハルク様が学院におられない時はわたくしも含め友人達と楽しく過ごしておりますわよ。」
「なん…だと…!?そんなはずが……」
驚いている事に驚くエレナと周囲の生徒達と教師達。青ざめた顔ながらも必死にエレナの言葉を肯定するため首を縦に振るミーシャ。
ハルクが男爵令嬢を側に置いている。まるで、婚約者のような扱いをしている。と、学院で噂が広まった時、エレナはハルクに「ご自分の立場を考えた行動をして下さいませ」と忠告し、噂の男爵令嬢であるミーシャを探しだし忠告しに行った。
ミーシャはそんな噂になっている事に驚き、噂になってしまった事を涙ながらに謝罪した。
そして、ハルクに近付くつもりはない事、身分の低い自分はハルクを拒絶することが出来ず、やんわりと断っているにも関わらず気が付いて貰えない事を吐露し、エレナに助けて下さいとすがり付いた。
そんなミーシャに対し、エレナは誤解していたことを謝罪し、涙を流す彼女を抱き締め自分がいる時は助けると約束した。
エレナは次の日から早速ミーシャを自分の側に置き、周りの友人達にも事情を説明してガードを頼んだ。それでも、ハルクに強引に連れて行かれることが多々あった。
学院の生徒や教師達は、ハルクと一緒にいるミーシャを見かけると、最初のうちは礼儀知らずの女という目でミーシャを見ていたが、それが間違いだと徐々に広まり、次第に気遣うような眼差しへと変わっていった。
更にエレナは国王と彼女の父に、ハルクが1人の女性徒に執拗に付きまとい、その生徒が困っていると報告し、ハルクに注意してくれるよう頼んでいた。
再三の注意にも聞く耳を持たず、結果このような事になってしまっているのだった。
「な、なら、階段から突き落とした事はどうなんだ!しっかりこの目で見たのだから言い訳は出来ないだろう!」
「はぁ…本当にハルク様は一体何を見ていたのでしょうか?あの日起こった出来事は、階段の踊り場から3段ほど上った所で、上の階から下りてくるハルク様に気が付いたミーシャさんが慌てて引き返そうとして、後ろを歩いていてまだ踊り場にいたわたくしとぶつかり、踊り場で転んでしまったというのが真実ですわ。」
「そ、そんな事はない!貴様は倒れているミーシャを見下ろして嘲笑っていたではないか!」
「いいえ、わたくしは嘲笑ってなどおりません。怪我が無いか聞き、立ち上がらせようとした所で、ハルク様がわたくし達に駆け寄り、わたくしに一方的に暴言を吐き、彼女を抱き上げ医務室へと走り去った。が真実の出来事でございます。」
「貴様はまだそんな言い逃れを!」
ハルクに腰をガッチリと捕まれているミーシャが、必死にエレナの言葉を肯定しようと首を縦に振り、ハルクの言葉を否定しようと首を横に振っている。
会場にいる全ての人が呆れた表情でハルクを見ている。
おそらく、それに気が付いていないのはハルク自身だけだろう。
「いい加減にせぬか!!」
威厳のある声が会場に響き渡る。
それと同時に会場内の全ての人が一斉に臣下の礼をとる。
いや、その声に驚いているハルクと、腰をガッチリ捕まれていて身動きが取れないミーシャだけがそのままの姿勢で国王を迎えていた。
「面を上げよ」礼をとっている会場内の人々に国王は声をかけ、エレナへと近付いた。
「エレナよ、愚息のつまらない行いに巻き込んでしまって申し訳ないな。苦労をかけた。」
そう言って、エレナに頭を下げた。
「いえ、陛下、頭をお上げ下さい。わたくしの力不足でこのような事になってしまい、申し訳ありません。」
エレナは、ハルクに対し何度も「限度をわきまえて下さい。」「彼女の立場も考えてあげて下さい。」と話をしたが全く聞く耳を持たず、2人の仲を引き裂こうとしている邪魔者という認識を持たれている事を訂正出来ず、このような事になってしまったことを謝罪した。
「父上…陛下!そんな女に謝る必要などありません!」
「ハルク、なぜお前は思い込みを正そうとしない?現にお前の隣にいるその者は嫌がっているではないか?」
「…!?」
国王の言葉に驚き息を呑み、隣のミーシャを見るハルク。
それに対し「今更!?」と心の中で驚く周りの人々。
青ざめた顔のミーシャを見て怯んだハルクだったが、国王へと顔をむけた。
「で、ですが、ミーシャは私との時間を楽しんでくれていました。それは思い込みなどではありません!」
「そうか?なら、その者に確かめてみよう。そこの者、確かミーシャと申したな?不敬には問わぬ、思っていることを述べよ。」
「あ、あの……わ、わたしはドレイク男爵が娘…ミーシャと申します……あ、あの…わたしは…私は…」
ミーシャは自分の腰をガッチリ掴んでいるハルクの腕を気にし、なかなか話し出せずにいた。
「陛下、よろしいでしょうか?」
「なんだ?何か言いたい事でもあるのか、エレナよ?」
「はい、まずはミーシャさんをハルク様から離して差し上げないと、話をしにくいのではないかと思いまして。」
「うむ、それもそうだな。ハルクその腕を離せ。」
国王からの命令では離さないわけにもいかず、ハルクはギロリとエレナを睨み付けミーシャを解放した。
「ミーシャさん、こちらへ。」
エレナが迎えるように小さく両手を広げ声をかけると、ミーシャは小走りで駆け寄り抱き付いた。
小刻みに震える彼女を落ち着かせようと抱き締め、慈しむように頭を撫でる。
2人の姿をまるで絵画のようだと周りの人々は思った。
しばらくして落ち着いたミーシャは、取り乱してしまった事を国王に謝罪した。
「ハルク様、不敬にあたると思いこれまでお伝え出来ませんでしたが……はっきり言うと迷惑です。エレナ様に虐められてなどいなく助けて貰ってます。と何度話しても『あんな女を庇うミーシャは優しいな』とご自分の思い込みで物事を決め付け、更に婚約者がおられる身でありながら、私に言い寄る事を軽蔑しておりました。どうか今後、私に関わらないで頂きたいとお願い申し上げます。」
「っ…!?」
ハルクは、声も出せない程驚愕ていた。信じていた物が自分が作り出した幻だったとようやく理解し、顔面蒼白となりその場に崩れ落ちた。
「ハルクよ、わかったか?全てはお前の思い込みだ。そして、それを正そうとする周りの者達の進言にも耳を貸そうともせず、自分の事しか信じない者など人の上に立つ資格などない。国境警備隊として心身共に鍛え直し、信頼関係を築く事、話しに耳を傾ける事の大切さを学んでこい。」
「……承知致しました。」と消え入りそうな声で答えたハルクから視線を外し会場を見渡した。
「皆の者、ハルクがこのような騒ぎを起こし申し訳ない。卒業パーティーは後日、王家主催で開催するので、本日はこの時をもって解散とする。
そして、エレナよ、婚約は破棄ではなく、そなたに非がない事をしっかりと明記し解消とする。これまですまなかった。」
「陛下、お心遣い感謝致します。これまでありがとうございました。」
「それでは、ハルク行くとするか。」
会場を後にする国王一行にエレナを含む会場の人々は礼をとり見送る。
国王が去った後、しばらくはざわざわとしていた会場だったが、エレナやミーシャに
「お疲れさま。」
「毅然とした態度、素敵でした。」
「よく頑張りましたわね」
「ご苦労さん」
「婚約解消、おめでとう…でいいのかな?」
など、声をかけ1人、また1人と次々と帰路についていった。
「ミーシャさん、わたくし達もそろそろ行きましょうか」
「はい、エレナ様……あ、あの……少しで良いので私にお時間頂けないでしょうか?」
不安そうな顔のミーシャに、どうしたのかしら?と思いつつエレナは快く承諾し、庭園へと移動した。
「改まってどうされたのです?」
「あ、あの、エレナ様はこれからどうなさるのでしょうか?」
「わたくしですか?屋敷に帰りますが?」
「……いえ、あの、そうではなく、婚約を解消なさった後ということをお聞きしたくて……。」
「あぁ、そうでしたか、おそらく父の後を継ぎ侯爵として領地を治めることになると思いますわ。」
「あ、あの、お願いします。私を侍女としてエレナ様のお側に置いて下さい。」
頬を赤らめうつむき加減にそう言うミーシャを不思議そうに見るエレナは、なぜ?と問う。
「ハルク様に声をかけられ、断ることも出来ず、嫌という態度も取れず、皆から距離を置かれ、私物を隠す悪戯をされるようになり、凄く孤独で苦しかったんです。
それをエレナ様は助けて下さいました。皆の誤解を解き再び友達と話せるようにして下さいました。
エレナ様の優しさ公平さ、そして凛とした佇まいなど全てにおいてお慕い申しております。一生お側でお仕えさせて下さいませ。」
それはまるで恋の告白のようであった。
エレナは不思議そうに
「友達ではなくて、貴女はわたくしの侍女になりたいのですか?」
と、問いかける。
「はい、私はエレナ様の侍女になりたいのです。学院を卒業してしまった今、身分が違う私が友人でいる事がエレナ様にご迷惑をおかけすることになるかもしれません。
ですが、私は貴女様のお側にいたいのです。私の我が儘だとわかっておりますが、離れたく無いのです。
なので私は侍女として、いついかなる時もエレナ様のお側でこの身の全てをもってお仕えしたいと考えております。」
「そう…そうなのね…わかったわ。あなたがそこまで言うのならそうしましょう。」
エレナは、熱烈な告白に照れながらも嬉しく感じる自分に戸惑っていた。
「ありがとうございます!」
晴れやかな笑顔で礼を言うミーシャを見て、これまでの困った顔ではなく、やっと笑顔が見れて良かったと思い、微笑みを返す。
ミーシャはエレナの前に跪き
「私ミーシャ・ドレイクはこの身の全てをエレナ様に捧げます。そして、一生貴女様のお側にお仕えする事を誓います。」
そう述べるとエレナの手を取り、そっと指先に口付けを落とした。