不死の林檎~死にたがり騎士と殺したがりの賞金稼ぎ~
冷たい物言わぬコンクリートに囲まれた空間、壁は苔や蔦で覆われ窓ガラスは長い年月で向こう側の景色を映し出すことが出来なくなってしまっている。
大きな執務机や本棚は雨風にさらされ風化しひび割れ碎け見る影も無くなっている。このビルの一室で唯一形を保っているのはダイヤルのついた大きな金属製の金庫のみだ。
金庫の前には一人の少年がしゃがみ込んで金庫にピッタリと耳を張り付けて、その手はダイヤルを慎重に回している。
カチリ、カチリと音が数回なり最後にガチンッという音が鳴ると同時に少年が金庫から耳を離す。
灰色の髪に隠れた同じく灰色の瞳は好色な輝きに満ちている。まだ子供ともいえるほど若い少年は勢いよく金庫を開けると頭を突っ込まんばかりに中を覗きこむ。
中には端が多少欠けた紙の束が幾つも入っている。少年は束を一つ取るとパラパラと枚数を数えるような動きをするが、溜め息を吐くと宙空に投げ捨てる。
帯紙がほどけ紙がはらはらと舞う、印刷されているのは大昔に『天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず』と名言を残した偉人だ。
「クソッ、こんなもん一圓にもなりゃしねぇよ!」
悪態をつきながら少年は札束をどんどんと金庫から放り投げていく、やがて札束の奥からお目当ての物を見つけたようだ。
瞳を三日月に曲げながら見ているのは金の延べ棒だ。金塊の重さは一キロ程だろう。
大事そうにファー付きの白いジャケットの内に金塊をしまうと、立ち上がって首を左右に曲げ間接を解す。
「久々に良いもんが手に入ったな」
足で金庫の扉を乱暴に閉めると床に置いてあったロープを壁から剥き出しになっている鉄骨に結びつける。
窓を肘で砕き開けロープの端を外に垂らした所で扉の外から大勢の足音がドタドタとこちらへと向かってくるのが聴こえてくる。
軽く舌打ちをしジャケットの内に手を入れ抜き払ったのは銀色に鈍く光る拳銃だ。
慣れた動きで扉に銃口を向けると躊躇い無く引き金を続けて数回引く、安全装置は当然付けていない。
空気をハンマーで殴ったような低音が鳴り響き、扉の外から「ぎやっっ!」と押し潰したような呻きが聞こえる。
少年は素早く窓から身をのりだしロープを掴むと窓辺りを蹴って外に飛び出した。
「ひぃゃっほーーー!!!」
悲鳴というより喚声をあげながら高さ十数メートルのビルを地面へと向かって降下していく。
地面まで数メートルの所でロープを離し転がるように受け身を取ると直ぐに起き上がって駆け出す。
少年は植物で覆われ、崩壊しかけているビルの森の中を走り去っていった。
† † †
武骨な金属の塀に囲まれた街『大風見』、木造、煉瓦、コンクリート造りの建物が乱立し、道には車や馬車が行き交い屋台も立ち並び呼び込みの威勢の良い声が飛び交っている。
大通りから外れた裏路地の薄汚れた小さなに灰色髪の少年が入っていく、看板には『古物商・アンテイク』の文字がある。
「おいジジイ!まだくたばってねぇよな!」
入るなり大声で呼ぶというより怒鳴るように声をあげる。
店内は全面に棚が並びカメラや時計、野球のトロフィーのような物まで乱雑に置かれている。
店の奥からモノクルを着けた白髪の老人が杖をつきながら危なげなく歩いてきた。
「叫ばんでもまだ耳は遠くなっとらんわい!クソガキが!!」
知的な雰囲気とは裏腹にドスのきいた恫喝を返すと、カウンターの椅子に腰かける。
「ちっ、まだ生きてやがったか。死んでたらこの店売っぱらっちまおうと思ったのによ」
「聞こえてるぞクソガキ、何しに来やがった」
「何って俺は客だよ、客。ほれ」
老人と軽口を叩きながら懐から金塊を取り出す。金塊をカウンターに置くと老人は途端に眼光を鋭くしモノクルの位置を修正すると金塊を隅から隅までじっくりと観察し始める。
少年も邪魔をせず口を閉じ、それを黙って見つめている。
やがて、モノクルを外すと老人はフゥッと息を吐くと口を開いた。
「混ざりもんなしの純金じゃ、ざっと三百万圓ってところだな」
「よっしゃ、売った。ついでに二百万圓分は金じゃなくて弾でくれ」
「またか、バカスカ射つからすぐに金欠になるんじゃよ、貴重なんじゃから少しは節約せんか!」
ぶつぶつと文句を言いながら老人はカウンターの下の金庫から札束と弾薬の詰まった箱を二箱、少年に受け渡した。
少年は札をざっと確認すると弾丸を箱から取り出して一つ一つ丁寧に傷や凹みが無いかと点検し始める。
老人はそんな様子を呆れまじりの目で見ながら言う。
「のうアッシュ、お前さんいつまで賞金稼ぎなんてやるつもりだ?お前ほどの腕ならビル漁りでも充分食っていけるじゃろ」
老人の少年に向けられる眼差しには確かな憂懼が見え隠れしている。
アッシュはその眼差しを鼻で笑い飛ばすと弾薬箱を懐にしまい込む。
「ジジイ、あんたが好きでこの店やってるように俺だって好きで銃振り回してやってんだよ。そいつは余計なお世話ってやつだ」
「…ふん、わしも歳を食ったの。お前さんに諭されるとはな」
「シッシッシ、ボケないように気を付けた方がいいぜ」
アッシュは独特な笑いを漏らしながら額に皺を寄せる老人を尻目に店を後にした。
† † †
街の路地裏を赤い髪を逆巻きながら一人の女性が疾走している。なだらかな曲線を描く身体に褐色の肌がエキゾチックな雰囲気を纏っている。
何より目を引くのは彼女の背中にある一振りの剣だ。分厚く長身である彼女と同じ程の刃渡りを持つ大剣だ、女の筋力で振ることができるとは到底思えない代物だが褐色の肌に刻まれた大小様々な古傷が彼女が歴戦の戦士であることを物語っている。
荒い息を吐きながら空を切りながら走る彼女の後ろを柄の悪い男達が罵声を浴びせながら追いたてている。
「ハァハァ、しつこい連中だ」
後ろをついてくる集団に忌々しい顔をした彼女は百メートル程前方に工事現場があるのを見つけて、しめたと目を光らせる。
工事現場の横をすれ違い様に壁に立て掛けてあった大きな角材の山を思いっきり蹴飛ばし崩す。
角材は木屑を巻き上げながら狭い路地裏を塞ぎ男達の行く手を阻んだ。
暫くいりくんだ路地を右へ左へとランダムに走り、やがて足を止めるとビルの壁にもたれ掛かる。
額から伝った汗が胸元を濡らしている。息を整えながら目の前の壁を見るとそこには、一枚の貼り紙がしてある。
赤い髪、傷跡、褐色の肌、貼り紙に描かれている人物像はそれを見つめている女性と同じだ。
貼り紙の上部にはWantedの文字、下部には一千万圓と書かれている。dead or alive、指名手配書だ。
指名手配書に書かれている名前は彼女の名前だ。アイビーと書かれている。
落ち着いたアイビーは壁の手配書を剥がして投げ捨てると周囲を警戒しながらまた薄暗い路地を歩き始めた。
ふらふらと歩いていくうちにとある廃ビルに当たった。どの階も人の気配は無いようだ。アイビーは用心しながらビルの中に入っていき背中の剣を床に下ろして柱に寄りかかり滑り落ちるようにして床に座り込んだ。
「早くこの街を出たほうがいいな、だがいつまで逃げられるか…」
視線を床に落とし静かに剣の柄を握りしめる。
窓から差し込む日が徐々に傾いていき空が茜色に染まっていく、アイビーの赤髪が茜に染まり鮮やかさを増す。
空の鮮やかさを眺めながらアイビーは剣を杖代わりにゆっくりと立ち上がる。滝のように流れていた汗も引いて呼吸も整っている。
彼女が立ち上がった瞬間に空を撃ち鳴らすような音がビルに響き渡る。それとほぼ同時にアイビーは大剣を盾のように身体に添え、急所を隠す。
衝撃、大剣に重い手応えがかかり床に小さなひしゃげた金属片が落ちる。銃弾だ。
「おい、あんた本当に人間か?銃弾防ぐとかマジかよ」
ビルの柱の影から出てきたのは灰髪の少年アッシュだ。彼は驚愕に満ちた瞳でアイビーを睨みながら銃口を向けている。
「……」
「だんまりかよ、あんた賞金首のアイビーだろ、俺は賞金稼ぎのアッシュ。それにしても美人薄命とはよくいったもんだよな俺も残念だよ、あんたみたいな美人が今日で死体袋に詰められるって思うとな」
アッシュは路地裏に貼られていた指名手配書をひらひらとさせている。十代半ば程のアッシュの容姿に油断したのか警戒を緩め大剣を構える手が少し下がった。
「銃を下ろせ少年。それは子供のおもちゃじゃないぞ」
だがアッシュはそれを見逃すほど三流ではない、大剣から僅かにはみ出た額に狙いを定め躊躇いなく銃弾を撃ち放つ。
「クソアマッ、子供って言うな!」
銃弾はアイビーの額を見事に撃ち抜いていた。明らかに即死の筈だがアッシュは銃を下ろさずアイビーに向けている。
アイビーは頭に銃弾を受けても剣を落とさず今だに立ち続けていた。
アッシュは嗅ぎ慣れた硝煙の香りを感じながら仁王立ちを続ける彼女を見つめている。
「おいおい、マジかよ…こんなん嘘だろ」
アッシュは頬をひきつらせながら銃を握りしめる。銃口の先に立つ人物の頭から撃ち込まれた筈の銃弾が再生を始めた傷口に押されて出てきたのだ。
そしてアイビーは頭を撃たれた事を気にも介さず盾代わりにしている剣を構え直す。
「人より丈夫に出来ていてね、私を殺せるものなら殺ってみたらどうだお子様?」
「ッ!!上等だよ!!!」
涼しい顔で小馬鹿にされたアッシュは額に青筋を浮かべ引き金を何度も引く、銃声が滑らかに旋律を刻むように鳴り響く、熟練の早撃ちだ。
銃弾が宙空を引き裂きながらアイビーの身体を破壊し血飛沫を撒き散らす。だが致命傷の銃痕も血潮も直ぐ様ビデオの逆再生のように巻き戻しになる。
身体に何発も銃弾を受けながらも彼女はアッシュに向かって瞬く間に距離を詰める。
何処にそんな力を秘めていたのかと驚愕する程の速度とキレで大剣がアッシュの首目掛けて振るわれるが、すんでの所で上体を反らすようにしてかわす。
そのままバク転をしながら距離をとり銃を乱射する。アイビーは銃弾を数発受けながら剣を構えアッシュに向かって突進してくる。
大剣は小柄でアクロバティックな動きをするアッシュをなかなか捉えられずビルの柱や壁を抉っていく。
だがそれはアッシュの銃も同じ事だ、致命傷を負わないアイビーに銃弾は決定打とならず彼女を貫通、外した銃弾もビルの柱や壁に撃ち込まれていく。
「クソッ!しぶてぇな!!弾だってただじゃねぇんだぞ!!」
「だまれ、私とて多少むず痒いんだ。男のくせにガタガタ言うんじゃない」
着々と減っていく替えのマガジンと残弾数にアッシュは歯軋りをし、アイビーの顔面へと銃を撃ち視界を撹乱しながら今度はアッシュが距離を詰める。
アイビーの眼前五センチ程のところに銃口が突きつけられる。それも二つ、視界を塞いでいる内に懐からもう一丁取り出したのだ。
だが、引き金を引こうとした指が硬直する。アイビーの剣がアッシュの首の薄皮一枚に当てられている。
「…なんで止めやがった」
アッシュが横目で剣を見据えながら苦々しげに唇を噛み締める。
「子供は殺さん主義だ」
その言葉にアッシュの唇から血が滴り落ちるが引き金を引こうとはしない。短気だが短絡的ではないからだ。
「子供って言うな。…どうして死なねぇ」
「私にも分からん、死ぬ方法を探しているのだがなかなか見つからなんだ」
「あ?死にてぇのかよ?」
「少年も何年も生きていれば分かるさ。愛しい人を見送り続けるのは…辛い…」
彼女の瞳に揺れるのは悲壮と哀惜。二人の眼光が睨み合うように、絡み合う。
どちらかが口を開こうとしたが銃声に遮られる。アッシュの銃ではない。
二人が同時に音がした方へと視線を送るとそこにはアイビーを追っていた男達が刀剣や散弾銃で武装している。
「おいこのアマァッ!!今度は逃がさねぇぞ!!」
男達が唾を飛ばしながら罵声を浴びせてくるが、アイビーは涼しい顔をしたままだ。男達はアイビーの横にいる灰髪の少年にも気付いたようだ。
「てめぇ二丁流じゃねぇか。何してやがんだ!」
「ちっ、九龍組か…てめぇらこそ何だ!この女は俺の獲物だぞ失せろ!!」
片手の銃を九龍組に向ける。アイビーを気にしつつも九龍組を睨み付ける。
互いの眼光がぶつかり合い、緊迫した空気が張りつめる。息苦しくなり呼吸が段々と荒くなっていく。アイビーも互いの出方を伺っている。
「構うことはねぇ二丁流もやっちまえ!!!」
九龍組の連中は掛け声と同時に銃やクロスボウを斉射する。
アッシュは犬歯を剥き出しにして迎え射つ。全身が穴だらけになるイメージが頭を過るがアイビーが自分の体を盾にアッシュを庇った。
「っ!、何すんだてめぇ!!? 」
「理由は特にないさ、目の前で子供に死なれては目覚めが悪いからな」
アイビーの言葉にアッシュ一瞬茫然とするが、歯を剥き出しにして獣のように笑う。同時にアイビーに向けていた銃も九龍組に銃口を向け鉛玉を吐き出していく。
「だぁかぁらぁ!子供じゃねぇって!!!」
二丁から放たれる鉛が一人また一人と敵を撃ち抜いていく。九龍組の弾幕も同時に薄くなる。
「クソッ、ふざけやがって!」
「ふざけているのはお前達だ」
悪態を吐きながらマガジンを交換しようとした男は胴から鮮血を飛び散らせながら絶命した。十数メートルの距離を一瞬でアイビーが駆け剣を一閃したのだ。
二メートル近い刀身は一度に三人を撫で斬りにし、返す二の太刀で更に二人を切り殺す。
「他愛もないな」
「俺も忘れんなや!」
アイビーに九龍組の連中が集中している間にアッシュも接近し驚異の早撃ちで五人を射殺する。
太刀が肉を斬り、銃弾が骨を穿つ、ほんの数秒で十人以上いたマフィアは全滅していた。
アイビーが剣を払い血を拭っている横でアッシュは使えそうな銃を嬉々として死体から剥ぎ取っている。
血が付いたショットガンのポンプを引きながらアイビーに声をかける。
「なぁ、あんた傷は平気なのか?」
「大事ない、もう塞がっている。少年こそ怪我は無いか?」
「少年じゃねぇアッシュだ」
「分かったアッシュ、怪我はないか?」
「あぁ、平気だよ」
アッシュはショットガンだけでなくライフルなども物色している。アイビーは剣を背負うとアッシュに背を向けビルから去ろうとする。
「ではさらばだアッシュ、私は失礼させてもらう」
「おいおい、待てよアイビー。俺は賞金首と美人は逃がさない主義なんだよ。あんたはダブルスコアだ、逃がさねぇよ」
アッシュはライフルを構えチャンバーを引き薬室に弾薬を装填する。
アイビーが背中の剣に手をかけゆっくりとアッシュの方へと振りかえる。
「私は旅の途中なんだ、邪魔されるわけにはいかない」
「あぁ、死ぬための旅だろ?」
「そうだ、不死身から有限の存在になるための方法を探している。邪魔するなら骨の一二本は覚悟してくれ」
アイビーの口調が液体窒素のように絶対零度となり殺意が剣気があふれでる。一触即発の空気かとなったがアッシュは不敵な笑みを浮かべライフルの銃口を天井へと向けた。
剣に手をかけたままの彼女は状況が分からないのか怪訝な表情で額に皺を寄せている。
「俺も連れてけ!」
「…はっ?」
思わずアイビーの口から間抜けな声が出る。
「今のままじゃお前を殺せないからな。お前が不死身じゃなくなる方法を探してやるよ、そして俺がぶっ殺してやる」
「…なんだそれは?滅茶苦茶もいいとこだぞ?」
「シッシッシ!いいんだよお前は永遠の命を終わらせたいんだろ?俺はお前を殺して賞金を手に入れたい!簡単単純じゃねぇか!」
アッシュの独自理論に呆れながらもアイビーは背中の剣から手を離した。
「…勝手にしろ」
「あぁ、勝手にどこまでも付いていくからな。覚悟してろよ」
ビルを出ていくアイビーの横をアッシュが銃を肩に担ぎながら並んで歩く。
アッシュは気付いていないようだが今まで涼しげな表情で感情を表していなかったアイビーの顔は僅かに、ほんの僅かに微笑んでいた。