落ちた。
「よっ」
その青年はそんな掛け声と共に、マンションの防護柵を軽々と乗り越え屋上に出た。
最初にこの柵を乗り越えた時には一苦労したのに、今では全く障害にもならない。「防護の役をしてないな」と苦笑いを浮かべつつ。自分も知らぬ間に成長したものだと、青年は時間の経過をしみじみと感じた。
青年が住むこの古びたマンションは、屋上に出る扉は当然鍵が掛けられていて、普段は屋上に出ることはできない。のであるが、背丈を超える防護柵を乗り越えて仕舞えば、屋上に出ることができた。
青年は少年だった時から、事あるごとにそれを行なっていた。
そう、事あるごとに、である。
最初に屋上に出たのはこのマンションに来てすぐのことであった。
元々は田舎に住んでいた青年であったが、小学生の時に台風の大雨で自宅の裏山が崩れ、被災した。寝ていた時に自宅が土砂に押し流されて生き埋めになってしまったのだ。
幸い青年は二階に寝ていたためすぐに助けられて無事だったが、一階に寝ていた両親は残念ながら助からなかった。
保険金が下りたのでお金には困らなかったが、住む家が無くなってしまった。両親と暮らした思い出の土地であるため、建て直しも考えたが、いつまた裏山が崩れるかわからない土地に住む気にはなれず、仕方なく、都会に住む母方の祖母のマンションにお世話になることになった。
住み慣れた田舎を離れ、慣れない都会生活はストレスだった。祖母は優しく接してくれたが、それでも気を使う。ふと空を見上げると、田舎に比べて都会の空は狭かった。
「マンションの屋上なら空が見渡せるかな」
小学生の少年は屋上への防護柵をやっとの思いで乗り越えた。
こうしてマンションの屋上は、青年の気晴らしの場所となった。
学校で田舎者といじめられた時。
彼女にふられた時。
祖母が亡くなった時。
青年はマンションの屋上に上がった。
祖母は青年が大学生の時に亡くなった。心臓発作だった。
祖母のマンションは青年が相続した。今はこの古びたマンションに一人暮らしである。
大学を卒業した青年は、ある職業を目指したが、その夢は叶わなかった。
その職業はお天気キャスター。テレビなどで解説をしながら天気予報を伝える仕事だ。
両親を災害で亡くしているためか、広い空を見上げていると気が安まるためか、気が付いたらそれに憧れていた。
気象に関する勉強を重ね。容姿も人並み以上であったが、お天気キャスターへの道は非常に狭いものだった。
それでも青年は諦めきれず、アルバイトをしながら、気象に関する勉強を続けた。幸い、お金は両親が残してくれた保険金がまだあったし、住むところも祖母の遺産の古びたマンションがあった。そのため生活に困ることはなかった。
そして今日、十回目になる気象予報士の資格試験の結果が届いた。不合格だった。
「流石に他の仕事を探すべきか」
マンションの屋上で空を見上げながら青年は呟いた。
そこに一陣の風が吹いた。
青年が手にしていた、不合格通知が吹き飛ばされた。思わずそれを掴み取ろうとして手を伸ばす。
そこにさらに強い風が吹いた。
「何だ、この強風」
伸ばした手を元に戻して、髪を押さえ、通知が飛ばされた先を確認する。
「何だあれ、吸い込まれている?」
通知が、いつの間に現れたのか、目の前の黒い亀裂に吸い込まれていった。
「こんな気象現象聞いたことないぞ」
自分が吸い込まれそうになっているのに、青年は逃げることもせずに興味深げにその現象の観察を始めた。
「明らかにあの亀裂に吸い込まれているな。どういう仕組みなんだ。竜巻とは違うよな」
恐れもせず、もっとよく見ようと亀裂に近付く青年。そこに、どこか、工事現場から飛んできたのだろうか、ブルーシートが青年の後ろから覆いかぶさった。
「あ、おいなんだ。あぶな」
その言葉を最後に、青年はブルーシートと一緒に亀裂に吸い込まれ、暗い穴の中に落ちていった。
カクヨムに、主人公が女の子バージョンを掲載中
あたし、お天気キャスターになるの!
https://kakuyomu.jp/works/1177354054895120358