前半
「裁判長、彼女は殺しなどやっていません」
「えっ、そうなの?」
弁護人の反対弁論に、私は大変驚いた。
刑事さんの話を聞く限り、被告人 の前田 加奈子が、被害者の滝沢 雄一を殺害したので間違いなさそうだと思ったのに。
弁護人は情状酌量の線で攻めてくるかと思ったが、まさか無罪を主張するとはね。
今日は娘の誕生日で早く帰りたいから、あまりややこしい話にしないでほしい。
「彼女には犯行が不可能だと証明する証拠が、【42個】存在しています」
「えっ、そんなに!?じゃあ、絶対にやってないじゃん」
私の思いは変わった。
これだけ証拠があるなら、きっと前田加奈子は罪を犯してないんだろう。
そんなことより、娘は今日で3歳になる。
その為、今晩は妻のママ友や、私の同僚や後輩たちを呼んで、盛大なパーティーを行うつもりだ。
妻が手によりをかけたご馳走を机に並べることは、容易に想像がつく。とても楽しみだ。
「まず一つ目は……」
「あっ、ちょっと待って弁護人」
「何でしょう?」
「ここで全部紹介するつもり?」
「はい、そのつもりですが」
「それでは、時間が掛かり過ぎてしまう……ランキング上位のものだけ紹介なさい」
「ランキング……失礼ですが、裁判長。【ランキング】とは何でしょうか」
「君が思う、【この事件に最も関係ありそうな証拠】ベスト3だけを紹介してくれたまえ」
「は、はあ。分かりました」
よし、時短できた。
42個もあるのに、全部紹介されたのでは日が暮れてしまう。
裁判員たちが怪訝な目で私を見てきたので、鋭い目つきで睨み返してやった。
ざわざわと煩く騒ぎ立てる傍聴席に対しては、木づちを全力で叩いて”静粛に!”と一喝してやった。
「さあ、準備は出来ましたか?弁護人」
「はい、ではまず【3位】の証拠ですが、それは【凶器の包丁】です」
「おー、1位っぽいのに3位なんだね」
「はい。実はこの包丁、彼女の指紋が付いていません」
「えっ、じゃあ彼女はその包丁触ってないってことじゃん。絶対やってないね、これは」
私は、ごほんと一つ咳払いをした。
「それでは、判決へと移ります。15分の休廷の後、被告人 前田 加奈子の……」
「手袋を付けて犯行に挑んだのでしょう」
刑事さんが不機嫌そうな顔で、私の判決に割って入ってきた。
刑事さんの顔がとても怖いので、私は弁護人の方を向いた。
すると、弁護人が不敵な笑みを浮かべているので、私は安心する。
どうやら、弁護人はそんな反論が来ることをちゃんと想定していたようだ。
「そんな手袋なんか、犯行現場である彼女の部屋や、持ち物などからは発見されていない……と、そちらが仰ったはずですが?」
弁護人はドヤ顔だ。少し腹が立つ。
ちょっと刑事さんを応援したくなった。
弁護人と刑事さんの言い合いが始まる。
「手袋でなくても、包丁の柄に指紋を残さない方法など、この世に五万とあります」
「例えば?例を挙げて仰ってください」
「何か布を巻くなり、スーパーの袋で包むなりすればいい。後から拭き取ったということも考えられる」
「確かに、その通りですね」
”えー、認めちゃったよー”と私は内心びっくりしてしまった。
しかし、弁護人は余裕な表情を崩していない。
もしかして、元々こういう顔なのかな?
「では、次に第【2位】の証拠ですが……」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って、弁護人」
「どうかしましたか?裁判長」
「今のが【3位】?」
「はい、今のが【3位】です」
「えっと、今のが【3位】だとすると、1位と2位に全然期待が持てないんだけど……」
「裁判長、安心してください。3位と2位の間には、物凄い差があります」
「どのくらいあるの?」
「幼稚園児が30分で作った【公園の砂場の砂山】と、【エベレスト】くらい差があります」
「おー、凄い差だ。じゃあ、頑張って」
頑張ってって言っちゃった。
ちょっと弁護人を応援してるのが、周囲にバレてしまったかもしれない。
「続いての証拠は、加奈子さんの部屋にあった【カレー】です」
「カレー……ですか?それがどうして、被告人が犯行を行っていない証拠になるんです?」
「このカレー、実は犯行当日の晩御飯としてつくられたものなのです」
「ほうほう」
「しかし、果たしてこれから人を殺そうという人間がカレーなど作るでしょうか?」
「それは、確かに。量はどのくらいあったのですか?」
「このカレーは10人前程度の量があり、三日程度の【カレー生活】を見越していたのでしょう」
「あちゃー、人殺しをする人間が作る量ではありませんねぇ」
「しかも【辛口】です」
「辛口……これは事件に関係がありますか?」
「いえ、ありません」
「では、言わなくてよかったです」
弁護人の態度には少し腹が立つが、これは決定的な証拠だ。
人を殺そうという人間が、悠長にカレーを作ろうなどと考えないだろう。
私はカンカンと木づちを叩いた。
「それでは、判決へと移ります。15分の休廷の後、被告人 前田 加奈子の……」
「突発的な犯行だったんでしょう」
またしても、不機嫌そうな刑事さんから横槍が入った。
めっちゃ邪魔してくるやん。
しかも、ばっちり的を得てるし。
そりゃ、突発的にムカッとして被害者を刺したんなら、カレーを作っててもおかしくないよな。
私は弁護人を鋭い目つきで睨んでやった。
しかし、弁護人は笑いを堪えるのに必死といった様子で、にやにやと刑事を見ている。
”おっ、なるほど。弁護人の罠に刑事さんが、まんまとかかってしまった……ということか”
私は、ほっ と安心して、弁護人の反論を待った。
「では続いて第【1位】ですが」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、ちょい!」
「どうしましたか?裁判長」
「え、さっきから何なの君?」
「どういうことでしょうか?もしかして、怒ってらっしゃいますか?」
「いや、怒ってるよ。なんでさっきから、ちょっと反論されただけで、後ろに引いちゃうのよ?」
「それは、裁判長。見ての通りですよ」
「へ?」
「刑事さんの言ってることを聞いて、裁判長はどう思われました?」
「ん……いや、”的を得てるなぁ”と思ったよ」
「裁判長……私も全く同じ気持ちです」
私は弁護人に持っていた木づちを投げつけようかと思った。
私が、独身なら突発的に投げちゃったかもしれない。
だが、私には大切な妻と子供がいるので、それは出来かねる。
よし、決めた。前田は有罪だ。
この弁護人は全然信用ならないぞ。
「では、改めまして、第【1位】の証拠ですが……」
「いや、君もういいよ」
「は?……と、申しますと」
「もう判決に移ろうと思います」
「待ってください、裁判長!」
「判決に移ります。被告人、前田 加奈子は……」
「待てと言っているだろう!」
弁護人が立ち上がり、叫んだ。
私はびっくりして椅子から落ちそうになった。
ー後半へー