02_モンスター
秋葉原の町は、見る限り完全に破壊し尽くされており、まともなものは何一つ存在しない。音らしい音もなく、ただ、傾いた看板が時々風に揺れてキィキィと卑屈な泣き声を上げていた。
(ここは本当にアキバなのか?)
そんな疑問が頭に浮かんでくる。どこか別の場所ではないだろうか、と。……こういう時、漫画やアニメの主人公なら、瞬時に「ここは異世界だ」と判断するだろう。冒険の支度すら始めるかもしれない。が、残念ながらカズトはそこまで楽天的ではなかった。現実と空想世界とを混同するような阿呆ではなかった。どちらかといえば現実主義者だった。将来の夢が「穏やかな老後」と言い切れるくらいに。そんなふうに現実を直視していたからこそ、夢の世界である漫画やアニメを娯楽として余すところなく楽しむことができたのだ。
そんなカズトにとって、目の前の現実はあまりにも非常識だった。リアル過ぎてむしろリアリティを感じられないくらいだ。
(……もしかして市街戦を模したテーマパーク?)
新作ゲームか何かのキャンペーンで大掛かりなセットを組んだのかもしれない、とすれば。そう思って、彼は咄嗟に後ろを振り返った。入った時と同じ店のドアから出てきたつもりだったが、もしかしたら別の出入り口から出てきてしまったのかもしれない。暗かったから気付かなかっただけかもしれない。それでテーマパークの中に紛れ込んでしまったのかもしれない。
「…………」
しかし、視界に入った地下へと続く階段は明らかに見覚えがあった。他の建物と同様、酷く痛んではいるが入った時と同じ階段だ。それに、彼も薄々感づいてはいたが、いくらなんでも東京のど真ん中でこれほど大規模なテーマパークなんて造れるはずがない。金持ちのゲームメーカーでもここまではできないだろう。でも、じゃあテーマパークでないとするとここは……
その後もカズトは、大地震かもしれない、不発弾が爆発したのかもしれない、どこかの国のミサイルが誤射されて飛んできたのかもしれないなど、頭の中であらゆる可能性を考えていたが、どれもこれも自分自身を納得させることはできなかった。大体、秋葉原の町がこんなにも滅茶苦茶になっているのに、何で自分は気付かなかったのか? その疑問がどうしても払拭できないからだ。
そんな時、
ズズズ……
今までほぼ無音だった廃墟の町から、何かの動くような音がかすかに聞こえてくる。秋葉原の駅の方からだ。非常に小さな音だったが、重い物を引きずっている時などに発せられるような音だ。
(人か!?)
カズトは一瞬そう思って期待したが、しかし、どうもおかしい、ような気がする。何となく不自然な感じがするのだが、よくわからない。ただ無性に嫌な予感がしてならなかった。
ズズズ……、ズズズ……
その間にも、音は少しずつ大きくなってきている。動きが早いのか、その音にはスピード感があった。たぶんもう少しで大通りに出てくるのではないだろうか。
「…………」
カズトは得もいえぬ恐怖を感じ、知らず知らずのうちに身構えた。
その直後、音の主と思われる大きな物体が、崩れかけたビル群の間から勢いよく飛び出してくる。
「な、なんだ!?」
その物体の異様な姿に、カズトは一瞬目を白黒させた。
それは……異常にでかい蛇だったのだ。胴の太さがドラム缶ほどはある。全長は15メートルほどはあろうか。ただ、その蛇の異常さが大きさだけでないのは、遠目で見てもすぐにわかった。なんと蛇の頭の部分に、女神のように美しい人間の上半身がくっ付いていたからだ。
(ラミアー!?)
その姿を見て、カズトはすぐに記憶の中にあるゲームのモンスターを思い出した。人間の上半身に、蛇の胴体。ラミアーと呼ばれる蛇女のことを。よくファンタジーをモチーフにしたゲームに登場する結構有名なモンスターだ。カズトもゲームの中で何度か煮え湯を飲まされたことがある、あまり出くわしたくない強敵だ。ただ、ここは現実の世界。そんなものがいるはずはない。
(やっぱりテーマパークか)
その蛇女は手に長い槍を持ち、うねうねと動きながら辺りを見回している。何かを探し求めているかのように。そして、あるものを見つけると、動きをぴたっと止めて凝視した。
そのあるものとは……道端に立ち尽くしていたカズトだった。
彼もこの時、蛇女のことを「よくできた作り物」ではないかとまじまじと観察しており、当然、二人? の視線が重なり合う。
すると次の瞬間、女神のように美しい蛇女の顔が、悪魔のそれのように早変わりした。目が異常なほどに釣り上がり、口が耳の辺りまでぱっくりと裂けたのだ。さらにその口元にはビロビロと動く先が二つに割れた長い舌が!
「うわっ」
その形相に、カズトは一瞬腰が抜けそうになってしまった。「本物かもしれない」そんな思いが頭を過ぎり、それによって生み出される恐怖が全身を麻痺させていく。でもまさか。
そんな動揺しているカズトめがけ、蛇女は猛然と動き出した。蛇の胴をうねうねと激しく動かし、道に停まっているつぶれた車を跳ね飛ばしながら。
「な、何なんだ!?」
もうカズトは訳がわからなかった。まだあれが本物かどうかは判断できていない。もう少し近付けばわかるかもしれない。が、蛇女の迫力は凄まじい。何もかも吹き飛ばしながら突進してくる。感じ取れるのは……強い殺気。どう考えても自分に危害を加えようとしているのは明らかだった。
「……っ!」
カズトは身の危険を感じて二、三歩後ずさりした後、我慢できずに身を翻し、蛇女とは反対の方向に向かって全力で走り出した。逃げ出したのだ。
「シィィィ! シィィィ!」
蛇女はカズトの後をうなり声を上げながら猛烈な速度で進んでくる。カズトは何度か振り返って確認したが、その度に蛇女との距離が明らかに縮まっているのを感じて焦った。このままじゃ簡単に追いつかれる。
「くそ!」
カズトは走りながら左右を見渡し、どこか逃げ込める所を必死に探した。店の中でも、ビルとビルの隙間でもいい。とにかくあの蛇女が入り込めなさそうな狭い場所を。
すると、彼の右前方におあつらえ向きな細い路地を発見する。あの細さなら絶対に蛇女は入ってこれまい。
(とりあえずあそこへ!)
そう思って、その路地に進路を定めようとした瞬間、
「!?」
カズトはそのまま前方に吹っ飛ぶようにしてすっ転んでしまった。道端に落ちていたコンクリートのブロックに思いっきりつまずいたのだ。
「い、てぇ」
転倒時に強打した左肘を押さえ、カズトは悲痛な叫び声を上げる。普段、普通に生活していれば意外に気付かないかもしれないが、アスファルトは人間よりずっと堅いのだ。が、彼には痛がっている余裕さえ与えられなかった。背後に強烈な殺気を感じたからだ。
「っ!?」
恐る恐る振り返るとそこには柱のようにそびえ立つ巨大な黒い影が。蛇女だ。頭を大きくもたげ、鋭い眼光でカズトを見下ろしている。ビルの二階の高さほどはあろうか。
「ひぃぃぃ」
カズトはそのあまりの威圧感に立つことさえできず、尻餅をついたまま後ずさりした。どうしてこうなってしまったのか、ここは本当に秋葉原なのか、この蛇女は何なのか、カズトはまったくわからない。もう理性が追いつかないのだ。ただ、自分が今かなり危険な状態にあることだけは本能的にはっきりと理解できた。体の震えや、激しい心臓の鼓動を通して。
やがて、蛇女は物干し竿のように長い槍をゆっくりと振り上げる。カズトを串刺しにでもするつもりなのか?
「う、うそなんでしょ? 何かの間違いなんでしょう? もう止めてよこんなの!」
カズトはたまらず蛇女に訴えた。が、蛇女はまったく動じない。槍をめいっぱいまで振り上げ、そして、何の躊躇いもなく、カズトの頭上に勢いよく振り下ろした。
(やられる!?)
反射的に両手で頭を押さえ込むカズト。
「グワァァァン!!」




