第二十三話 「破壊者の最期、」
暗い…
寒い…
ここはどこだ?
全身を満たす液体のようなもの。明かりも無く暗闇が広がり続ける空間。
そんな絶望を視覚化したような場所に俺はいた。
手には命綱のように握り締められた帯のような形のものに烙印が張り巡らされている。
この烙印の形…紛れも無い真の物。
そうか…ここがアレスの『内』か。ここのどこかに吸収された桜井がいるはず、そしてその彼女を救出し、アレスを弱体化させ、消滅させる。
(桜井…どこだ?)
そもそも生きている保証も無い。ただ信じているだけ。
アレスに吸収されてから時間は経っていないが、奴は多大な霊力を桜井から吸収しただろう。…いや、まてよ?桜井はそこまで霊力は無いはず…
不意に俺の頭には誰かの声が思い出された。
―――人間を一人、丸ごと霊力に変換する。
つまりこの空間を満たす霊力は桜井そのもの?
もしそうなのであれば、桜井救出なんてできない…どうする、こうしている間も真はアレスを押さえつけるため、霊力を消費しているだろう。
一刻も早く打開策を考えなければ…しかし、桜井はもう…
そんな絶望的な意識の中、俺はもう手に握られた烙印を強く締めるしかなかった。
***
「京平…まだか?」
真は一人、アレスを服従させていた。
京平の体はあるが意識が無く、その意識はアレスの『内』にある。
烙印を通じて送っているが、いつ途切れるかもわからない、危険な状態だった。
「ゴェァ、キジャヴォァ…」
そのアレスは、もはや人型だったとは思わせない姿をしている。無理やりボール型に丸めたような固まりとなり、縛り付けている烙印の中でビクン、と痙攣している。
「グォォォ、キエタクナイ、キエタクナイ、キエタクナイ、キエタクナイ、キエタクナイ、キエタクナイ、キエタクナイ、キエタクナイ、」
アレスの塊からゾンビのような腕が飛び出し、地面を這いずり回る。
やがて真のほうへ向かってくる。
「黙れ!」
真の命令はまだ受け付けない。
普通、烙印では体に変化は起きないはずだが、アレスの霊力が安定しないため、奇妙な形に変形してしまっている。
「ヤメロ、キエタクナイ、ヤメロ、キエタクナイ、…」
――京平、早く、早く戻ってきてくれ…
一人じゃ…寂しい、心細い。―――
***
暗い、絶望しそうな空間の中、俺は意識を集中させていた。桜井に。
桜井を思い受けべろ…この空間を満たしているのは彼女の霊力、すなわちこれは彼女そのものだ。ここに真の烙印の力、絶対服従でこの霊力を操作する…桜井を再構成しなければならない。しかし人を記憶で一から百まで創るのは無理だ、それならば『思い出』を使う…俺の体、心が覚えている彼女を思い出せ…
桜井、
優しい瞳、
艶があり短い髪、
握っていると暖かい手、
俺を安心させてくれる透き通った声、
そして何より、俺や他の友人に向けていた気持ち、
俺が…俺のすべてが覚えている彼女の思いがとめどなくあふれてくる。
そうだ…彼女、桜井優希はそういう人間だ。
俺の手は、絶望のような…大事なものを失ってしまったような空間の中、自分自身の大事なものをその手で掴んだ。
***
「もう…限界か…?」
真はもう十分以上も一人でアレスを拘束していた。
命令はまだ受けない。アレスはそれでものた打ち回り、もう人型とは認められない体を振り回し、飛び出た一本の腕で真の足を掴んだ。
「離れろ!」
真は烙印を通して命令するより、自身の足で蹴り飛ばした方が早いが、それをすれば烙印の拘束が途切れる可能性があるので、アレスを離す事ができなかった。
そんなアレスの体が、ブクブク沸騰する水のように膨張し始め、黒い煙を上げ始めた。
彼の胴体であった場所から、人型が浮かび上がり、分離を始める。
浮かび上がったのは、子宮の中の胎児のように体を丸めた桜井の姿であった、と同時に後ろにもたれていた京平にも意識が戻り、彼が無事桜井を救出できたことを意味していた。
「京平!、」
無事に帰ってきた彼は、少し疲れたような、でも得意げに笑っていた。
***
俺はあの空間で、桜井の手を掴み必死で引っ張りあげた。
それだけだった、烙印を頼りに脱出し、意識が元の場所に戻ってすぐまた真に霊力を送り始める。桜井は、完全にアレスの胴体であった場所から吐き出され、意識は無い様だが命は無事みたいだった。ちなみに吸収されたからと言っても服も無事である。
「ォォオォォォオオオ!!!」
アレスは掴んでいた真の足を離し、ゴロゴロ転がり始めたかと思うと、死に掛けた虫のようにビクン、と痙攣し始め、さらに叫び続けた。
桜井も救出し、アレスを構成する霊力もなくなり始めている。
もう時間の問題だ。
「消えろ」
真は静かに唱えたが、まだ効かない。
よほどアレスのこの世に対する執着心が強いようだ。
もともと霊であるのだから、この世にはいないはずだが、霊力で自身を体を構成し存在しているらしい。
「キエタクナイ、キエタクナイ、キエタクナイ、キエタクナイ、キエタクナイ、キエタクナイ、キエタクナイ、キエタクナイ、キエタクナイ、キエタクナイ、キエタクナイ、キエタクナイ、キエタクナイ、キエタクナイ、キエタクナイ、キエタクナイ、キエタクナイ、キエタクナイ、」
アレスはもう自我を失い、ただの本能的意思だけで抵抗しているようだ。
それでも叫び続けるのは正直すごいと思った。
「イヤダ、アイタイ、アイタイ、アプロディタニアイタイ、キエタクナイ…」
アレスの言葉からは、自我の残滓のようなものが零れ落ちている。
どうして彼が、人間を吸収して莫大な霊力を得ようとしていたのか、そんなことは俺にはわからない。同情することも無いが、なんとなくだが悟った。そう、悟っただけ。
「消えろ」
真が一言。
それだけで、アレスは動きを止めた。
「ォォォォォオオオオオオ……」
最後に獣のような雄たけびを上げ、アレスは終わった。
まるで石膏像のように固まった。
「終わった…のか?」
俺は真を離す、すると真はその場に倒れこんだ。
「大丈夫…すこし、力を使いすぎたようだ」
真は、敵を失い、元の…子供の姿に戻った。
終わった。
精神的に長かった戦いを終え、俺はもう気が抜けていた。
その瞬間。
「ォォォォォォ!! コロス、コロス、コロス!!」
アレスが、動き出した。
まだ奴は完全に消えたわけではなかった。それなのに真と俺は烙印を解除し、終わったと思い込んでいた。そして真はもう力が使えない、それにアレスが動いているのに、真は子供のまま、アレスはもう敵意が無いのかもしれない。ただ本能のまま暴れるだけ。
「真、おい! 真!!」
俺の叫びも虚しく真は起き上がることすらできない、そうしている間にもアレスはこちらに向かってくる。もう俺しかいない。
俺は、先ほどアレスの顔を殴った。その時は効いていた、それならば今でも十分効くはずだ。
少しは喧嘩に自信があるんだ。もう殴り合いしかない。
「くらえぇぇぇ!!」
俺は序所に元の人型に戻りつつあるアレスの顔面らしき部分を殴った。
拳が壊れるぐらいに本気を出して。
「コロスコロスコロス!!」
アレスは確かに顔が割れ、効いてるはずだが、体勢を変えず俺に殴りかかる。
彼の拳は重く強かった。
疲労感がある俺は耐え切れず、そのまま倒れこむ、その隙にアレスは俺に覆いかぶさり、そのまま殴り続ける。これほど重いパンチは初めてだ。体中を何度も殴られ、意識が無くなってゆく…
もう…ダメだ。
殴り返す力も…無い。
終わるのか…?
アレスが、顔のような部分を開き、黒い煙の中に俺を吸収しようとする…
―――その刹那。
黒い閃光がどこからか突き刺した。
それはアレスの胸元に、ちょうど俺に当たらず突き刺した。
喰らったアレスは真後ろに吹っ飛び、灰のような物になって消えた…と思う。
…俺の意識も闇に落ちていった。




