2話 引きこもりと友達と過去②
……ここは、どこだ?
何もない、白と黄色の世界に僕一人だけいる。
僕は、ある一点をぼーっと見つめていた。
けれど、その先に何かがあるわけでもない。
そして自分の右手に視線を移した。
その白く弱々しい手のひらには真っ赤な血が、染み付くように、べっとりと付いていた。
不思議な感じがした。
何故だか、涙が溢れてきた。
透明なのに透き通ってない、そんな涙だった。
それは静かに左手に落ち、ひとつ、ふたつ、どんどん溜まっていった。
思わず、左手のひらを見た。
何かが映っている。
瞬きや口の動きから、そこに映っているのは紛れもなく自分なんだと悟った。
けれど、これは僕じゃない。
僕のように見えて僕じゃない。
「ーーお前は誰だ?」
誰もいない、音もない、白と黄しかない部屋で、僕の静かな叫びは誰に届くこともなく消えていった。
*****
目が覚めると、ポカポカと暖かい空気が俺を包み込むと同時に、右脚の脛あたりに強烈な痒みが襲ってきた。
え、痒い、掻くのだるっ。
でもこれは掻かずにいて耐えられるレベルではない。
どうしよう。
例えるなら怪我したところが瘡蓋になりかけてるとき×4倍くらい。
結構かなりめっちゃ痒い。
あーもー仕方ない。掻くかぁ……。
ゆっくりと腕を伸ばし、右脚の脛までもっていくと、爪を立てて2回くらい掻いてみる。
ん? これ、まさか。
「やっっぱ蚊じゃねーかよ!! ふざけんなよ! あったかい季節はまだ始まったばかりなんだから後2ヶ月くらいは大人しく冬眠してろよ!!!!!」
余力を使い果たして、蚊への不満を叫び散らした。
はー、スッキリした。
じゃあ寝るか。
……ん? 待て、ここはベッドじゃないじゃないか。
一瞬、思考が停止する。
「やばい、めんどい。
帰るのクソだるい。
いやだるすぎだろ。
は? なんでこんなところまで来たんだよ俺。
馬鹿なのか? いや馬鹿だな。
もう辛すぎだろ……。
何年生きてきたんだよ、行きが辛ければ帰りも同様に辛いことくらい普通わかるだろ。
なんでこんなところまで来ちゃったんだよ。馬鹿なの? ねえ馬鹿なの?
まじでだるい。めんどい。動きたくねーよぉ」
なんていう、支離滅裂すぎて後で聞いたら黒歴史でしかないレベルの独り言を世に放ってしまうほどには、俺の精神はやられていた。
もうしんだ。俺の心しんだ。ブロークンマイハート。
「今日はここで一晩過ごそうかな」
なんていうその場凌ぎの意味不明な提案にすがり、俺はこのまま寝ようと決心した。
ーーそのとき。
「え、あれ朝柳くん? かな?」
どこか聞き覚えのある、鈴や雪を連想させられるような涼しい声がどこからか聞こえた。
そんな声質に反して、声色は心配と困惑が混ざったみたいだった。
ここはとても静かだ。あちら側の会話が鮮明に聞こえた。
「ええ、月夜くんのこと? 何言ってるの。月夜くんはもうずっと前から会ってないのよ。どこか遠いところに引っ越したんじゃなかったの?」
「いや、だって、ほら。そこにいるの、朝柳くんだよ! 絶対! ちょっと待ってて、お母さん。私行ってくるね!」
「いいけど、もう暗くなってきてるから気を付けなさいよ」
やばいやばいやばいやばいやばい。いや、やばい。
なんで見つけちゃうんだよ。ってかなんでこんなところにいるんだよ!?
どうしよう? ここから逃げるか?
否、このタイミングで逃げるのは不自然にもほどがある!
だったらどうする?
……人違いだと言って適当に誤魔化そう。うん、それが一番だ。
ふぅー。大丈夫、落ち着け。俺は朝柳月夜じゃない。
足音が近づいてきたな。よし。
「ねえ、もしかして朝柳く……」
「俺は田中吾郎だ」
「えぇ? あの、もしかしたら朝柳くんじゃないかな。君」
「……」
知らね。寝よ。
「えっと、寝てるのかな? なら仕方ないかー。
絶対起きてると思うんだけどなー……」
完全無視もここまでくると心が痛い。
そのうえ彼女のスカートがヒラヒラして、その僅かな隙間からおパンティーが見えそうで、なかなか目を閉じさせてくれないのだ。
ああ、神様、お願いです。たった少しだけでいい。風邪を強めてください。お願いです。
……って、何考えてんだ俺。
こんなこと考えてる暇があるなら今置かれている最悪な状況を打破するために頭使えよ。
そして彼女は俺の目が開いていることに気付いているみたいだ。
これはもう、答えるしかないか。
そこで俺は、3年ぶりに彼女の顔を見た。
登場人物紹介❷
女の子の母
profile
とある女の子の、優しく寛容な良い母。
月夜は小さい頃に何度か会ったことがあるが、親密度は低い。
次話も乞うご期待!