料理上手な猫
「ねぇ、これぐらいのサイズってもうとっても良いの?」
照り付ける太陽の下、頭にタオルを巻いて、手には軍手を身に付けてシュウは畑に出ていた。
「明日にはまたグンッと大きくなるので、頃合いが良さそうであればもう取っちゃって下さい」
同じく黒鉄も頭には藁の帽子、軍手、畑用のエプロンを身に付けて居た。とてもじゃないが生きていてこの方若い女の子がこのような格好をしているのをシュウは見た事がなかった。いや遠巻きに見れば畑作業をする祖母ぐらいの年齢の人にしか思わないだろう。
シュウ達が農作業をするのは胡瓜、茄子、トマトが三列並ぶ畑だった。透子が持つ土地を黒鉄が有効利用した結果がこれらしい。町からぐんと上に登った町の外れにはいくつもの農作業場や、畑があった。そのうちの一つを自家菜園として使っているのだ。
「自給自足」と言うのはこう言う事なのか。黒鉄に言われて手伝いの要求を受け入れたが、正直キツイ。歩くだけだったこの間のおつかいに比べて、立ったりしゃがんだりを繰り返し、おまけに少し遠くにある水汲み場から水をひいて何度もジョウロで水をやるのがとても面倒だった。
「シュウさんはお野菜はお好きですかな?」
「いやー、まぁ普通かな。食べれない事は無いんだけど」
「この子達は色んな使い道がありますからねぇ〜夏真っ盛りです」
疲れか、夏の暑さのせいか、変な気持ちになっているせいか頭がクラクラする。
「……ふぅ、疲れた」
身体がぐっと重くなる。
収穫した野菜たちは段ボールにドッサリと入れ込んだ。
「そうですね、この位あれば充分でしょう。お家に戻ってお昼にしましょう!シュウさん、今日もお昼は無いんですよね?」
「あ、うん、悪いな……」
祖母が老人会の集まりに度々顔を出す時には透子と黒鉄の家に行くのが日課のようになってしまったのだった。
ここに来て1週間経った所、何だかんだで向かいの家と言う事で黒鉄が呼びに来るのだった。特にやる事もないシュウも悪い気もせず、祖母もここに来て良い友達が出来たという事を喜んでくれた。
「こんなにたくさん取って、食べれるの?」
段ボールいっぱい、を二個。二人して農作業の格好のまま野菜が入った段ボールを両手に持って家に向かう。長靴で石畳みの道を歩くのは変な気分だ。
「家で食べる分はよかして、他にお裾分けしたり……あ、後はシュウさんのおばあちゃんにもあげたら良いかもですね」
「そっか、ありがとう。ばーちゃんも喜ぶよ」
黒鉄はニコニコと無邪気に笑って言った。
「一人だとあんまりたくさん持って帰れないので、シュウさんが手伝ってくれて助かりました。ありがとうございます」
「えっ、いや、そんな……」
大したことはしていない、そう言いたかったが上手く言葉が出なかった。久しぶりにお礼を言われた気がする事に戸惑ってしまったからだ。もちろん女の子と二人っきりで太陽の下を歩くのは初めてである。
「ふふ、これだけ採れれば色々作れるし、たくさん食べて下さいね」
「あ、本当に黒鉄が作る料理は美味しいよ!小料理屋とかに出てきそうな位に味付けとかもしっかりしててさ!」
シュウの言葉が止まる。
黒鉄がこちらを見ながら真っ赤な顔をして瞳を潤ませていたからだ。調子乗ったような事でも言っただろうか、口を閉じる。
「ご、ごめん、何か変な事言ったかな……?とっても美味しいて言いたかったんだけど、俺話すのも下手で上手く伝わるかどうか……」
言葉が上手く出てこない。黒鉄が猫の姿だったらもっと上手く、スラスラと言葉を並べられただろうか。
「いえ、あの、嬉しいんです……。そういう風に褒められたの、嬉しくて」
照れ隠し、とでも言うのだろうか。言葉が出ない分口をパクパクさせる黒鉄は例え農作業の格好をしていても純粋な女の子である。
「透子さんは、褒めてくれないの?」
「いえ、透子様も美味しい、美味しいって言ってくれます。ただ、何て言うか、わかんないですね。…純粋にシュウさんに美味しいって言って貰ったのがとても嬉しかったんですかね」
シュウの頬も、急激に暑くなった。夏だからだろうか。
変な空気にはなっていないだろうか、シュウはモゴモゴした口を動かしながら言葉も出ないまま黒鉄と早足で家に向かった。
「たくさん取れたな。ん、お前ら顔が赤いぞ?」
家に着いて、窓際で涼みながらテレビを見る透子が二人を見て言った。言われた黒鉄がモゴモゴしながら早足に台所に逃げて行き、残されたシュウは透子の隣に腰を下ろした。
「透子さんは家から出ないんですか?」
透子の白い肌を横目に見て怪訝な顔をした。
「私もまた身体が弱くてな。変に動かすとくたびれて何も出来なくなってしまうのさ」
まるで不健康男女が揃ったようだ。確かに透子は外には出ないのであろう、白い肌が目に焼きつく。それと同時に銀色の髪の毛もまた夏に似合わぬ、透き通った雪のようである。
「だから俺におつかいを?」
「まぁ、嫌だったら断わってくれても良かったんだ。小さなキッカケから物事は進んでいくもんさ」
「嫌じゃないです。むしろ、感謝したいのは俺の方で。正直言えばこんな田舎何もないと思ってたんですけど、透子さんと黒鉄のおかげで夏休みも退屈しないし」
きっかけを作ってくれた事を感謝したかったのかもしれない。
「なら良いんだ。シュウに会えた事は私も嬉しかったからな」
透子に名前を呼ばれるとくすぐったいような気持ちになる。お礼を言えて良かった。
黒鉄は愛用の割烹着に着替え、真っ赤になった自分の顔を鏡で見て言葉が出なかった。何て言うんだろうか、変な気持ちだ。心臓が爆発しそうになった。いらぬことを喋りすぎたせいだろうか。猫の癖に笑えるなぁ、誤魔化すようにそんな事を考えて黒鉄は台所に立つ。
言うなれば、料理は好きだ。食べるのは勿論ではあるが、誰かに共感して貰える一つである事。美味しいと喜ぶ顔がみたいと言う事。自分を認めてくれる人が居ると言う事。
取ってきたばかりの新鮮な野菜を冷水に浸けて、お裾分けの分を残し取り分ける。
油を火に掛けて、お湯を沸かす。
野菜を採っている時には既に何を作ろうか見当はしていたが、黒鉄はニマニマと透子とシュウが食べる様子を想像しながら包丁を握った。
昼時、食卓に並んだのは天ぷらだった。茄子とトマトの天ぷら。朝に収穫したキュウリは浅漬けにされている。天つゆは色濃く甘め、摩り下ろした大根が雪解けのように溶け込む。
「天ぷら……」
シュウはてっきり野菜炒めとか、サラダとかそんな感じのものを想像していた。黒鉄の料理は家庭的ではあるものの何だか小料理屋のように洒落ているのだ。
「天ぷらにすると野菜もたくさん食べれますし、せっかくシュウさんが採って来てくれたのだからちょっとは手の込んだものにしたいなぁって……あ、どうぞ、召し上がって下さい」
黒鉄が少しばかり顔を赤くして言った。
「天ぷらか、久しぶりだな」
透子が席に着いて天ぷらに箸を伸ばす。
夏の野菜は小振りのものでも肉厚で味が染みやすい。茄子の天ぷらを天つゆに浸けて頂く。カリカリッと衣が溶けた後、口の中に甘い天つゆの味がじゅわぁと溶け込んだ。大根おろしが甘い天つゆをまろやかにしてくれる。肉厚の茄子の甘みが引き立てて口の中でつゆが混ざり合う。祖母が作った素麺のつゆとはまた違って、まろやかで、天ぷらを美味しく食べるための天つゆになっている。旨すぎる。
油がちゃんと切れた天ぷらはサクサクで衣まで美味しい。
「とても……美味しいです」
シュウは思わず口を押さえて、黒鉄に言った。恥ずかし照れながらもヘラヘラと黒鉄は笑い、自分もまた天ぷらに手を付ける。
「はむん、………わー!やっぱり茄子は天ぷらですよね〜」
「黒鉄の作る天ぷらは最高だな」
透子が箸を進めて言った。
「えへへ、えへへへへへ」
褒められて上機嫌になる黒鉄。やはり透子の言葉の重みは違うのだろうか。
ご飯も、味噌汁も、浅漬けも美味しい。ご飯が進んで思わず飲み込んでしまうのを我慢して出来るだけ噛みしめる。飲み込むのがもったいない位だ。
天つゆがヒタヒタになるまで浸して、ご飯と一緒に食べる。飲めそうなくらい旨味があって、甘い天つゆ。
変わり種とも言うべきか、トマトの天ぷら。シュウは好んで食べないトマトではあったが、ほのかな酸味と甘い天つゆの調和がまたまろやかで美味しかった。
ご飯の味を噛み締めた時、透子が思い付いたように言葉を放つ。
「お裾分け用の野菜、まだ残っている分はあるか?」
「ええ、シュウさんが手伝ってくれた分多めに採れましたし、うちの分を少し減らしても充分足りますよ?」
「そうか、なら良いんだが。夏だしな……豆腐が食べたいと思ってな」
今まさに絶好の料理の堪能しているというのに、もう次のご飯の事を考えているとは透子は相当の食いしん坊だ。シュウは思った。まるでそう思ったのがバレたかのように、透子は光る銀色の瞳をこちらに突き刺す。
いや、バレバレなんだろう。
「お豆腐と言えば、正門さんのお豆腐ですねぇ。でも、もうお昼過ぎてますし、行くなら明日でしょうか」
黒鉄が部屋にある時計の針を見詰めた。もう1時に差し掛かろうとしている。
「豆腐ならスーパーとかに売ってるんじゃないんですか?」
シュウの言葉に二人は目を丸くした後、唾が飛ぶ勢いで透子が言った。
「豆腐はなぁ!生きた豆腐しか美味く無いんだぞ!」
「い、生きた豆腐ですか……?」
透子が息を荒くする。豆腐大好きか。
「手作りのお豆腐屋さんですよ。この町だと正門さんの所が一番美味しいですね」
黒鉄が一つ説明するように言う。
「あの、俺……お豆腐屋の豆腐とか、食べた事無いです。スーパーのお豆腐しか……」
シュウは息を潜めて、小さな声で呟く。
そもそも今時は肉だって豆腐だって魚もほとんどの人はスーパーで済ましてしまう人がほとんどだろう。
美味しい物が食べたい時には、レストランに行く。料理人でもない限り自分で素材を探しにあちこち行く方が珍しい。もしかしたら昔に母が作った料理や祖母が作った料理に手作りの豆腐が出た事が有ったとしても、それを覚えてはいない。それは食べた事がないと言うのが相応しい。
「手作りの豆腐ってのはな.、最高の豆腐って感じでな、美味しいんだ」
この人は、食べるのが大好きで、食いしん坊な癖に、食に関する意見を言うのがとても下手だ。
シュウは腹を抱えて笑った。澄ました顔をして説明する透子の姿が、どうにも上手く言葉を選べない小さな子供のように見えて、何だかそれがとても可愛いくて、可笑しかったのだ。
ケタケタと腹を抱えてのたうち回るシュウの姿を二人は呆然と見つめた。何が可笑しいのかわからない透子と、そんなにも無邪気な振る舞いをするシュウの姿に驚いた黒鉄と。二人は目を合わせると、シュウの姿を横目にふふふと上品に笑顔を合わせた。
「明日はお豆腐ですね」
黒鉄が透子に言うと、「そうだな」とまた澄ました顔をして言った。