第91話 ウリドラさん、キムチ鍋ですよ
木の椀へ白飯を乗せ、そして取り皿や箸、お茶のペットボトルなども配る。配膳のあいだもワイワイ賑やかなのは、日本でも夢の世界でも変わらない。
「あ、やっぱり冷えてるわねぇ。どうにかこちらでもホカホカご飯を食べれないかしら」
「となると炊くしか無いのう。しかし手間も増えるじゃろ」
まあ、それもこれもテーブルにキムチ鍋があるせいかな。鍋にしては匂いにパンチがあり、鋭敏な嗅覚をしたエルフは「辛い? 酸っぱい? ん?」などとクンクン嗅ぎながら不思議そうな顔をしている。
「そうだねぇ、ちょっと時間がかかりすぎるかな。保温式のお弁当箱もあるみたいだよ」
くつくつ煮える鍋には、たっぷりのにら、白菜、豆腐、もやし、そして豚肉と体力のつくものが浮いている。ツンとした香りはキムチの素によるもので、味噌ベースのスープと混ざって具材へ染みてゆく。
辛いもの好きなウリドラにとっては舌なめずりする匂いらしく、食事を待ちきれない様子で挨拶をした。
「うむ、それではいただこうかのうー!」
「いただきますーー」
わしわしと箸に取り、そして熱々スープを注ぐ。
普段食べる鍋は優しく食べやすい物だとしたら、こちらは多少のパンチある味わいかもしれない。とろりと染み出す辛さに舌は驚き、そして豚肉や白菜の甘みにほっとする。味噌により味の深みは増し、飲み込めばただ辛いだけの料理とは異なることに2人は驚く。
「んわっ、辛っ、おいしっ、くたくたの白菜おいしっ」
「くーーっ、豚肉と合うのう。はふはふっ、コシヒカリうまいっ!」
辛い辛いと文句を言いつつも、ついスープまで飲んでしまうのがキムチ鍋かもしれない。舌先にジンとした刺激を覚え、それでも喉を通り過ぎると口が寂しくなり、つい次を箸で運んでしまう。
「あー、ビール飲みたいー、絶対合うのにー」
「それを言うてはならぬ。わしはずっと我慢しておったのじゃぞ。ああ、想像してしもうた……」
うぬーと女性陣は苦悩の顔を見せるけれど、こればかりは流石にねぇ。いちおう魔物の住む古代迷宮なのだし控えておこうよ。
熱々の食事を摂っていると、いくら古代迷宮には空気循環の仕組みがあるとはいえ暑くなる。手ぬぐいで浮き出る汗をぬぐうマリーを見て僕は声をかけた。
「ちょっと扉を開けてくるよ。涼しくなると思うから」
「ええ、そうしてちょうだい。ああ辛い。ん! 椎茸美味しい!」
ああ、椎茸は香り高くて世界でも有名だからね。
ときどき海外の料理番組で「シータケー」などと呼ばれ、なにやら違和感を感じなくもない。少し前に調べたことがあるけれど、思っていたより世界に広まっていて面白い。
さて、満足そうに食すウリドラは、なんとなく顔色が戻りつつあるように見える。今は汗を浮かべた健康的な肌色をしており、食事により血行が良くなったのかもしれない。
2杯ほど食し、お茶を飲んでからマリーは口を開く。
「それで、どうしてウリドラは顔色が悪かったのかしら? また育児に疲れてしまったの?」
「ふむ、その話は人の身にとって少々ややこしいぞ」
かつかつ白飯をかっ喰らい、そして「おかわり」とこちらへ差し出してくる。椀を受け取り、雑炊に使おうと思っていたご飯をよそう。
「普通の竜であれば、卵から孵して栄養を与えるだけのはずよね」
「ふむ、下級種のことか。あれは竜よりも爬虫類に近く、生物として世の理に成り立っておるからな」
となると魔導竜はまた異なる存在なのだろうか。
なんでも精霊に近しい存在であり、竜核なるものを体内に秘めることで、この世界に身を置いているそうだ。さらには竜核なるものには独自の世界があり、それぞれ異なる人格を……などと、もう僕にとっては異次元の会話だよ。
しがないサラリーマンである僕は、もくもく鍋をいただいていよう。
「あ、そういう事なのね。私は半妖精だけど、あなたは純粋な妖精に近しいという事かしら」
「近しいのう。いくら巨体であろうともわしらは飛べる。それは世の理に沿っておらぬ。しかし実在している以上は真実じゃと言える。要は世界を騙す技を、わしの子らに与えておったのじゃ」
ふうーん、と僕は気のない返事をした。
謎の多い彼女だけれど、話を聞けば聞くほど謎は深まるばかりだよ。と、ウリドラは何かを思い出したらしく、箸をこちらへ向けてくる。
「そうそう、おぬしに言うておくことがある。今までずっと猫じゃったから言えなかったが……」
「うん、なんだい?」
黒猫とはいえ表情豊かなせいで、だいぶ伝わっていた気もするけどね。
しかしウリドラはみるみる表情を険しくしてゆき、僕はビクンと背筋を震わせた。い、一体なにを言いたいのかな?
「わしは寛容じゃから最初は笑うておった。可愛いものじゃとな。しかしのう、ぬしらを思えばこそ言うておくべきである」
ずうんという迫力に、僕の浮かれた気分は吹き飛んだ。
美しい女性は黒いオーラを放ち、三白眼で見下ろしてくるのは素直に怖い。おもわずぐびりと喉を鳴らし、そしておそるおそる口を開く。
「は、はい、なんですか?」
「…………甘すぎる」
ん、ひょっとしてキムチ鍋のこと?
確かにはまろやか仕立てだったけれど……。
聞き間違いかなと小首を傾げた瞬間、だんっ!とウリドラはテーブルを叩き、鍋は数センチほど浮いた。ひぃっ、と僕らは悲鳴を上げて抱きつき、ガタガタ震えてしまう。
「甘すぎるわ! なんじゃ、ぬしらのやりとりは! わしがいつも眉間に皺を寄せておったことにさえ気づいておらぬじゃろう!」
あ、そう言われると視界の端で黒猫がむっすりしていたような。思い返してみると、様々なシーンでそんな顔を見かけたかも……。
「隙あらば口付けばっかりしおって! あっちでもこっちでも、食後のデザートなる時なんて」
「きゃあきゃあ! やめてえ!」
「そのときの映像を入手しておる。どれ、映像化魔法で再生してくれるわっ!」
「きゃああーーーっ! いやあああーーーっ!!」
抱きつかれた状態で悲鳴を上げるものだから、僕の鼓膜を突き抜ける勢いだ。
もう恥ずかしいどころではないし、魔物はびこる古代迷宮はギャアギャアと実に騒がしい。ようやくお説教から解放されると僕らは床に崩れ落ち、はーはー荒い息を吐いていた。
「す、すみませんでした、ウリドラ様。僕らは調子に乗っておりました」
「うむ、分かれば良い。ああ、ようやっと文句を言うことが出来てスッキリしたぞ」
うーんと伸びをし、彼女はにこやかに笑った。
はああ……一歩も動いていないのに、とんでもなく疲れた。
さて、食器洗いはとても楽だった。
この古代迷宮は人の住める環境らしく、水路や水源はあちこちにあり、さらには下水だってある。地上とは比べ物にならないくらい整った循環をしていることに驚かされる。
となるとエルフは水の精霊を最大限に活用し、食器洗い機のように水流で綺麗にしてしまう。
「はあ、皿同士がぶつからないなんて手際が良いもんだねぇ。前にもやったことあるの?」
隣に座っていた少女は、くるりとこちらを見る。時間が経ったことで顔の赤みは消え、いつもの表情を取り戻しているようだ。
「ええ、あなたのマンションでやってるわよ」
「ああー……そっか、洗剤がまるで減らないのはそれか……」
とってもエコではあるけれど、僕の日常生活はどんどん幻想的な光景に変わっていくね。まあそれも嬉しい変化かもしれない。退屈しきっていた日本だけど、それを少女はあっさりと覆してしまう。
国内旅行もご近所付き合いも、そしてグリムランドもそうか。エルフと竜を楽しませようと考えているうち、いつしか彼女たちから楽しみを与えられていることに気づく。
賑やかな食事や日常なんて、とっくに諦めていたというのに。
「水といえば、近所には水族館もあってね、そこには大量のマグロ……海の魚がいるんだよ」
「あら、どうしてわざわざ魚を見たがるのかしら。それに江東区は海に近いでしょう」
まあ確かに魚を見る施設なんて想像できないか。
補足しようと口を開きかけたが、それを止めるよう少女の指先は押し当てられる。
そしてアメシスト色の瞳と共に囁かれた。
「んふ、いつもみたいに内緒にしてちょうだい。そして水族館で私を驚かせて」
それくらいお安い御用ですよ、エルフさん。
にんまりと互いに笑みを浮かべ、どこかウキウキしながら肩を寄せあい食器洗い機……じゃなくて精霊のお仕事を眺める。
休みの日は着々と予定で埋まり、エルフと遊ぶ時間は増えるばかりで楽しみだ。
とそのとき、部屋のテーブルに置いていた魔具から砂嵐に似た音が響いた。ザザ、ザザ、と雑音を流し、そして男性の野太い声が響く。
「こちらブラッドストーン、協力戦線の各隊は応答してくれや。ぼちぼち行動開始するぜぇ」
「こちらアンダルサイト。感度良好、ブラッドストーンを追従中。アメシスト隊はまだどこかで遊んでいるの?」
あっと、僕も応答しないといけないのか。
洗い物はマリーに任せ、わたわた戻って応答をする。
「こちらアメシスト。お皿を洗い終えれば出発できます」
くつくつと魔具からは笑い声が響き、それから待ち合わせ場所を決めた。
さあて、それでは第2層を攻略してやりましょうか。
アンデッドひしめく空間らしいけど、荷物をカバンへしまう僕らは鼻歌混じりに部屋を後にした。




