第88話 デザートには苺ショートケーキを
少し遅めの晩飯を黒猫は食していた。
専用の皿にはちんまりと白米、そしてウナギが乗っており、焼きたての贅沢な味を楽しむよう目を細める。
んはーと溜息を漏らす様子に、つい僕の頬は緩んでしまう。
こちらをじぃと見るのは「なにか?」と言いたいのかな。子猫の頭を撫で、それからテーブルの上へ視線を戻した。そこには近々訪れる予定の園内マップ、それに薫子さんの残してくれたメモがある。
あとは当日までにしっかり準備をすれば、エルフと竜は大型娯楽施設、グリムランドを楽しんでくれるだろう。
顎を指でこすり、ふーむと呻く。
「なるほど、入園直後にフリーパスを取りに行ったほうが良いのか」
フリーパスなるものはアトラクションを事前予約するもので、列へ並ばずとも乗ることの出来る仕組みらしい。
「こんなの知らなかったら、すぐに列へ並んでいたなぁ」
猫はウナギに夢中だし、エルフはまだお風呂にいる。誰も聞いていないというのに、ついひとり言を呟いてしまう。
うーん、同時に一枚しか発券できないので、並ぶ時間が短いものを選ぶと損をするのか。そしてマリーやウリドラの好みを把握しておくべきだし……。
いや、これは薫子さんから教えて貰えて良かった。
無理して計画を立てる必要は無いけれど、どうせ行くならしっかり楽しみたいものだからね。
などと考えていたとき、がらりと浴室の戸は開かれた。そちらを見れば、ほかほかと湯気の漂うエルフが満足そうな顔を浮かべている。
「や、おかえり。いただいた入浴剤は気持ちよかったみたいだね」
などと声をかけつつ、メモやマップを引き出しにしまう。
できれば当日まで事前情報を伏せておき、心から堪能してもらいたいからね。ある意味でサプライズになってくれれば良いけれど。
マリーはにまにまと笑みを浮かべ、こちらへ歩いてきた。
おや、僕からの問いに答えず、真っ白い首筋を差し出してくるのはどういう意味かな?
怪訝に思って見つめていると、エルフはしばし悩み、そして太ももの上へ横座りになった。
のしっと柔らかなお尻に座られ、少しだけ僕の心臓は騒がしくなる。白く輝くような髪、幻想世界を思わせる瞳がすぐ目の前にあり、ふわりと入浴剤の香りが漂ってきた。
あ、なるほど、入浴剤が気になるなら嗅いでみて、という意味だったのか。綺麗な鎖骨を見せられ、無意味にドキドキしてしまったよ。その……この角度だと膨らみも分かってしまうから。
「ん、すっきりした香りだね。ハーブ系なのかな」
「そうみたい。身体も温まるしとても良かったわ。あなたも入って来たらどうかしら」
楽しみたいのはやまやまだけど、その前に2人へ贈りたいものがあるからね。どうやら黒猫も綺麗にたいらげたらしく、ぐるぐると満足そうに喉を鳴らしている。
ならばちょうど良いかと少女の太ももと背中を支え、ひょいと椅子から立ち上がった。わ、軽いな。
笑みを浮かべたままマリーは「ひゃあ」と軽い悲鳴をあげ、そして首筋へしがみつく。見上げる高さになり、ぴんと何かに気づいたらしく笑みをこぼす。
「あら、確かお楽しみと言っていたものね。この世界のデザートは甘くて美味しいから楽しみだわ」
「期待に応えられたら嬉しいね。ウリドラ、甘いものは黒猫も別腹に入るかい?」
ビー玉のような瞳をこちらへ向け、返事代わりにぴょんとマリーのお腹へ乗って来た。そのまま「にう」と可愛らしく鳴いてくるけれど、僕の腕力的に遠慮してくれると助かるかな。
それに彼女の場合、胃袋が魔導竜へ通じているのではと思うくらい食せるので、心配の必要も無さそうだ。
「じゃあ取りに行こうか。マリー、冷蔵庫を開いてくれるかな?」
「任せてちょうだい。もうちょっと近くへ……よいしょ」
取っ手をつかみ、がぽりと彼女は冷蔵庫をひらく。
するとリボンで封をされた白い箱があり、伸ばした彼女の手がそれを掴む。落ちないようお腹の上へ乗せたのを見て、僕は背中で冷蔵庫を閉じた。
「んふ、何が入っているのかしらー。しっかり支えていてちょうだいね」
任せてと言いたいけれど、できるだけ暴れないようにね。
横支えのお姫様だっこになると、リボンを解こうと彼女らはクイクイ引っ張る。そうして箱を開けば、ふわりと甘酸っぱい匂いは周囲へ漂う。赤い果実の乗ったショートケーキを見て、わっと少女は声を漏らした。
「わ、わ、あまおう! 見てウリドラ、すごく大きいわ」
「にうにうーー!」
上機嫌そうにぱたぱた足を振っているのは可愛いけれど、これは気をつけて運ばないといけないぞ。もしバランスを崩したりでもしたら台無しどころじゃ済まされない。
頭にたんこぶを作り、さらにはケーキを台無しにしたら……あ、これはもう軽蔑されかねないね。
人知れず緊張しつつも少女と黒猫、そしてケーキを僕はそうっと運ぶ。椅子へ座らせるのは早々に諦め、ベッドへゆっくり降ろした。ふうーっ、冷や汗をかくなぁ。
「ねえ、この白くてふわふわしているのは何かしら?」
「それは生クリーム、洋菓子のケーキって言うんだよ。この世界には職人がいてね、あまおう好きのエルフさんは格好の餌食さ」
あら怖いと少女は呟き、くつくつ笑う。
有名なフルーツ店に行ってみたところ、ぎりぎり苺のショートケーキが残っていて助かったよ。白い箱からケーキを取り出し、持ってきた小皿へそれを乗せる。
「あ、すごいわ。側面にまで輪切りの苺が……わ、ちょっと、全面にあまおうがあるじゃないの! どうやったらこんな綺麗に飾れるのかしら」
「それが職人の技かな。さ、極意ともいえる味を楽しんでごらん」
マリーは興奮により頬を染め、勢い良く頷いてくる。
手渡したフォークでぷすりと大ぶりな苺を刺し、そして唇へ寄せ……さぷりっと瑞々しく千切れる音がし、彼女の眉はたまらなそうにハの字へ変えてゆく。
「あまぁーいっ。んーーっ、あまおうはやっぱりフルーツの王様ね。これがあるから夢のなかでフルーツを食べる気にならないの」
「果物には他に王様と呼ばれる物があってね、苺はさしずめお姫様というところかな」
もくもくと頬張り、彼女なりに王様の姿を思い浮かべていたかもしれない。とはいえ聞いて来ないのは、旬になれば僕が届けてくれると思ったのかな。……なんて、さすがにドリアンは口に合うか分からないや。
「でも、どうして買ってきてくれたの?」
「ずっと食べたがっていたからね。これはもう我が家のエルフさんへお届けしなければ、などと思いまして」
おどけて言うと、くすりと少女は微笑む。
「あら、その心遣いには感謝をしましょう。そうね、どうやってこの気持ちを伝えたら良いかしら」
うーんと悩みつつ少女は苺をもうひとくち噛む。そしてクイクイと袖を引いてきたので顔を近づけると――かぷりと唇を食まれてしまった。
じゅわりと甘酸っぱい果汁が伝わり、柔らかな唇から一滴したたる。あまりの事に僕の心臓は大きく跳ねた。
細い指は胸のシャツを掴み、そしてより近づくよう引き寄せている。
不意打ちにもほどがあり、今もぷるりとしたマリーの唇を感じているせいで目眩を起こしそうだ。驚く僕の視界には目を細めた少女がおり、もうすこし口を開けてと囁きかけてくる。
「うっ……く」
誘惑に負け、すこしだけ唇を開くと、かぽりと少女のものと重なる。
少女の唇の裏側にある感触に、かあっと全身の熱は高まった。それはいままで触れたことが無いほど柔らかく、甘く甘く、とろりと脳まで溶けてしまいそうなほど瑞々しい。
くらりとし、気がつけば僕はベッドへ倒れていた。
「……あの、マリーさん?」
「んふ、私からのお礼。気に入っていただけたかしら?」
気に入る、気に入らない以前に……甘くて美味しかったです、なんて言えないでしょう。外見は少女だというのに、年齢差が70年近くあるせいで弄ばれてしまうのか。
恨みがましく見つめたけれど、少女と黒猫は我関せずとショートケーキに舌鼓を打っていた。
「わ、なにこのクリーム。うわ、おいしっ! ウリドラ、あなたの小さな身体で食べきれるか心配ね。友達として助けてあげましょうか?」
「にうにう! にう!」
そんな様子を眺めながら、はああーと僕は人知れずため息を吐いた。
……まいった。うちのエルフさんが艶かしすぎて、僕はもう倒れそうです。あ、もう倒れてるんだっけ。
子猫と言い合うエルフの横顔は、それはもう綺麗な笑みを浮かべていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ぼやーっと呆けた頭で湯船に浸かっている。
顔が赤いのはのぼせたわけでなく、先ほど彼女から口付けをされたせいだ。
かぽりと触れ合う感触をなかなか忘れられず、つい唇へ触れてしまう。
――そういえば、マリーも初めてだったのかな?
人付き合いの少ない僕は初めての経験で、恐らく遅いほうだと思う。しかし彼女は人嫌いとはいえ普通の可愛らしい女性であり、経験していて何らおかしくない。人間の僕と過ごしている期間なんて、そう長くはないのだ。
苦悩と共に、ぶくくと湯へ沈みかけてしまう。
どこの中学生なのだろう、僕は。
いや、25歳になって気づいたことは、いくら年を重ねても人は大きく変わらないということだ。初めての経験なのだし中学生に近しい思考でおかしくない……と言い訳しておこう。
そのとき、がらりと戸の開く音が響く。
振り返ると曇りガラスの向こうにマリーらしき影は見える。風呂場には水滴の落ちる音がしばらく響き、それから少女はぽつりとつぶやく。
「ね、少しここにいても平気かしら?」
「もちろん構わないよ。どうしたんだい、珍しいね」
うん、と小さく返事をし、そしてマリーは曇りガラスの向こうで腰を下ろす。長雨によってすっかり夜は冷えるようになったので、お腹を壊さないかと少しだけ心配してしまう。
「ウリドラも寝てしまって少しだけ退屈なの」
「そっか。明日には合流できるはずだけど、面倒臭がりだから迷宮に入ってから来るかもよ」
くすりという笑い声が返ってきて何故かほっとする。先ほどから彼女の声は不安を含んでおり、お風呂の最中でなければ顔を覗き込んでいたと思う。
「……なにか心配ごとかな?」
図星だったのか、ぴくんと肩を震わすのが見える。
顔を合わせられないので気になるけれど……いや、違うのか。顔を見なくて済むから、マリーはここへ来たのかもしれない。
「あの、ね。聞きたいことがあって……」
「うん、なんだい?」
ほんの少しだけ見える影は、うんうんと苦悩するよう頭を揺すっている。なら僕は眠るようにじっとし、彼女からの声を待つべきだ。
女の子に勇気を出せるよう背中を押してあげたいけれど、今はまだ何を言いたいのかも分からない。
てんってんっという水滴の音はやがて止まる。
「その……、一廣は初めてだった、の?」
少しだけ目を見開き、それからぼぼっと頬は熱を持ちだした。ああ、これはマズイ。直に顔を合わせなくて助かったのは僕のほうだぞ。
というよりも嬉しい。そう尋ねてくれたのなら彼女もきっと初めての経験……かもしれない。
ずりり、と湯に沈んでしまいそうになりつつ、どうにか口を開いた。
「もちろん、僕はその……君だけかな」
「ふ、ふーん、ふーん、なら良かった。わ、やだもう、汗をかいてしまったわ」
曇りガラスの向こうで彼女は手を伸ばし、どうやら僕のタオルを掴んだらしい。ぽすんと顔をタオルへ埋め、こちらまで頭の蒸気が見えるようだ。
「言っておきますけれど、私たちの里にキスという文化はさほど根強くないの。何度も求愛をされたし、私がモテなかったわけではありませんからね」
「それは見ていれば分かるよ。あの勇者候補だって君を……」
思わず口ごもる。胸のムカムカは高まり、口調を荒げてしまいそうな予感があったから。そのような感情をマリーに伝えたくない。
「言ったでしょう、頭突きをしてやったって。ふふ、あの男『おぐーっ』と言っていたのよ」
気遣う声に少しだけほっとする。
どうにも僕はまだ臆病だ。ほんの少し波紋が広がっただけで、心は平穏でなくなってしまう。
「そのあたり中学生だな……いや、なんでも無いんだ。ありがとう、マリー」
「いいえ、礼を言う必要はないの。私にとって当たり前のことで、これからも変える気はさらさら無いわ」
なんとも頼もしいお言葉だ。半妖精ともなると僕の不安なんて簡単に掻き消してしまうらしい。
「どうやら僕らはお互い初めて同士らしいね。まあ、これからも初めてのことを開拓して行きましょうか」
「ええ、そうしましょう。あなたと探検するのはとても好き。それと、また一緒に苺を食べましょ」
うん、いまそれを言うのはどうなのかな。つい先ほど一緒に味わったばかりなのだし、思い出して互いにカーッと顔を赤くさせてしまうじゃないか。
そそくさと立ち去ってゆくエルフに、僕はブクブクと湯船へ沈んでいった。
ほんと、うちのエルフさんは魅力的すぎて困る。
頭のなかは彼女のことだらけになりそうだよ。




