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第85話 納豆、ですよ……エルフさん

 

 目覚めるなり僕らは珍しく顔を見合わせ、「ふう」とため息を吐いた。引き続き日本では小雨が降っており、ベランダからは雨宿りのスズメらしき鳴き声が響いている。


「あー、もう。精神的に疲れたわぁー……目覚めすっきりなのに疲れたぁー」

「ああいう場はこれから遠慮しようか。僕らにはまだ少し早いみたいだ」


 そう提案をすると寝ぐせをつけたエルフは力無く頷き、甘えるよう肩へぐにゃりと頭を乗せてくる。寝起きの体温を覚えつつ、彼女の背をぽんぽん叩いて慰めた。


 昨夜、夢の世界で英気を養うための歓待を受けたのだが……やはり注目を受けると面倒で仕方ない。食事を楽しむ間もなく声をかけられ、おまけに外見は少年少女なのでお酒も気軽に楽しめない。


 これでもし僕の能力、日本と往復できることを知られたら……うん、恐ろしくて考えたくも無いね。

 と、そのときキッチンからピーピーとお米の炊ける音が響いてきた。


「さて、言い伝えによると朝ごはんを食べれば妖精さんは元気が出るらしいね。一緒に試してみないかな?」

「お米たべたい……あとふりかけ。目玉焼きとベーコン、お茶もあると嬉しいの」


 長耳を垂らし、ぐりぐりと甘えてくる少女は可愛らしい。青森旅行以来、朝食にも炊飯器の活躍することが増えてきた。日によってはパンへ変わるが、どうやらエルフさんは米の甘みが好きらしい。


 ぺたりとフローリングへ降り、そしてキッチンに向かう。

 今日は月曜日であり、月曜日であり、月曜日なのだ……おっと、僕まで元気が無くなるところだったよ。


 せめて夕飯には美味しいものを作らないといけないね。

 夢のなかでたびたび少女はフルーツを求めていたし、デザートがあっても良いと思う。そして元気の出る料理といえば……。ぴんと浮かぶものがあったので、帰り道には材料を仕入れるとしよう。


 かちんと手鍋に火をつけたとき、ふと別のことを思いついた。


「そういえば、火の精霊サラマンダーはこの世界でもコンロ代わりにできるのかな」

「うーん、どうかしら。少しだけ気性が荒いから心配だわ。もう少し慣れてからにしたいわね」


 ひょこりとベッドから降り、こちらへ歩きつつマリーは答える。黒猫はベッドに丸まっており、向こうの世界で僕らを隠すという仕事をしているので今日は1日静かだろう。


 ふむふむ、もしも火の精霊サラマンダーを操れたらすごいぞ。ガス代をかけずに、なんと角煮を作れてしまうのだ。


 などと思いながら大根を刻み、だしの溶けた手鍋へ入れてゆく。くつくつしてきたら味噌を入れ、ふわんと優しい匂いが部屋へ漂い始める。


「んー、いい匂い。青森を思い出すわー」

「思ったよりマリーは和食が平気だよね。今まで遠慮していたけど納豆はどうかなぁ」


 じゃっとベーコンを油に落としつつ尋ねると、テーブルに座る少女は怪訝そうに首を傾げる。


「ナットー……? 分からないけれど、どんな食べ物なのかしら」

「僕用に買ってあるけれど、見てみるかい」


 そう言うと、少女は先ほどまでの不機嫌さをいくらか晴らした顔で近づいてくる。うさぎ耳のついたスリッパ、そして空色の可愛らしいパジャマ姿だ。


 しかし、愛らしい顔はヒクリと引きつる。腐った豆である豆腐……ではなく小鉢に入れた納豆を目にしたからだ。


「無理っ、無理っ、これは絶対に無理っ! えぇーっ、なぁにこれ。さては魔よけの一種かしら?」

「えーと……確かに豆は魔よけにも使われるけど、日本人の愛する食事だよ」


 まあ、苦手な人もいるし、地域によっては食さない所もあるけれど。とはいえ、和食を堪能しているエルフは常日頃から「日本人は味への熱意が異常」と言っているほどなので、半信半疑……よりも数歩ほど好意的に傾いている。


「……美味しい、の?」

「んー、人によるかな。苦手なら食べなくて良いんだよ」

一廣かずひろは食べる、の?」

「開けちゃったからね、もちろん食べるよ」


 ベーコンと目玉焼きをお皿へ移しつつ答えると、マリーはしばし悩んだ。そして決死の表情で口を開く。


「たた、た、食べてみるわ!」

「え、心配だなぁ。一口食べてみて、無理なら諦めて良いからね」


 両手を握りしめ、少女はこくりと頷く。けれどこればかりは味への反応が予想できなくて心配だ。せめてもの匂い消しに卵としっかりと混ぜ、そして青ネギを散らす。こうして食卓にはごく一般的な朝食は並ぶことになったが……平気かな?


 少女が箸につまむと、とろーり糸が垂れてゆく。

 おうふ、と頬を引きつらせたのは、どう見ても腐っているし実際に腐ってるからだ。


「ご飯にかけて食べるんだけど、少しだけ試すようにね」

「これを私の好きなお米に、かける……? ひょっとしてとんでもない過ちを犯そうとしているのかしら」


 いや、これは見ているだけで緊張するね。

 どっく、どっく、と心臓が響くなか、とろーり腐りたての納豆はご飯へちょんと乗せられ……ああ、大丈夫かな、心配だな。


 そわそわしつつ見守っていると、マリーは箸に乗せた納豆ご飯を近づけてゆく。黒猫なんてさっきまでテーブルの椅子に丸まっていたのに、瞳を見開いて少女を見上げているからね。


 もし猫が話せたなら「それを、食べる、だって?」と言っていたと思う。こちらをバッ!と向いてきたのは「まさか貴様、裏切ったか!」という意味なのかな。猫語は分からないけど別に裏切ってないからね。


 どっく、どっく…………ぱく、りぃ、っ。


 マリーは目をつむって口のなかへ放り込み、じっくり咀嚼してゆく。ぱっと口を押さえ、椅子からガタリと立ち上がりかける様子には魔導竜、そして僕でさえ冷や汗をドッと流した。


 のだが……。


 んぐ、んぐ、という咀嚼をするたび、少女の眉はいつもの形へと戻ってゆく。不思議そうに味を確かめ、天井を見上げたり、納豆の小鉢を覗き込んだりしてからようやくゴクンと飲み込んだ。


「あれ、ん? 腐ってる、けど、んー……普通に美味しいわ」

「え、ああ、そう、良かった。良かったねぇ!」


 いやぁーー、ひと安心だ。

 あのままトイレまで駆け込ませていたら、会社に行っている間も罪悪感で堪らなかったからね。


「どうしたのかしら、2人ともそんなに汗をかいて?」

「ん? うん、気にしなくて良いんだよ。最初から口に合うと思わなかったからさ」


 ふうんと不思議そうな顔をしつつ、白米に半分ほど納豆を少女はかけた。どうやら朝食のひとつとしてエルフさんに認められたらしい。よかったねぇ、小粒納豆君。


「なにかしら、味わい深いけれど妙に粘りとコクがあって……あら、匂いが気にならなくなってきたわ」

「食べると匂いに慣れるらしいよ。それじゃあ僕もいただこうかな」


 ちらりと黒猫を見ると、ぶぶぶと首を左右に振られてしまう。いらないという意味らしいけど、さすがに猫へ納豆は無理じゃないかなぁ。ほら、口の周りをベタベタにしてしまうだろうし。


 そういうわけでウリドラには、ふりかけを乗せた白米、そしてベーコンエッグをお皿に乗せている。かつかつと美味しそうに食べ、特に卵の絡んだベーコンには目を細めている。けれど、これは使い魔だから許される食事だ。


「納豆を使ったレシピは幾つかあるんだけど、僕はそのままが一番好きかな」

「んー、匂いだけ気になるけれど、すごくお米と合うわねぇ。あ、お味噌汁おいしー」


 ずず、と納豆とお味噌汁に目を細めるエルフというのも珍しいかもしれない。まあ、我が家のエルフさんはどこか変わっているからね。


「今朝は起きるのが遅れたから、昼食は自分で作れるかな?」

「もちろん構わないわ。このあいだ教わったオーブン料理を試してみたかった所なの。子猫ちゃん、栄えある試食第一号はあなたよ」


 ぴっと指を向けられた黒猫は嫌そうな顔をし、もそもそと小鉢に顔を突っ込んだ。




 靴を履き、そしてくるりと振り返る。

 残念ながら僕は働かないと2人を養っていけないのだ。残念だけど。


「じゃあ行ってくるね。あれ、ひょっとしてマリーはこれからお風呂かな?」

「ええ、もう人間臭くて無理。あ、もちろんあなたは特別枠だから安心してちょうだい」


 バスタオルを手にした少女は、どうやらよほど祝賀会が嫌だったらしい。とはいえ日本でも人と過ごす事は多く、そこまで嫌がるところはあまり見ない。

 不思議に思っていると彼女の方から打ち明けてくれた。ただし、心から驚かされる内容だが。


「あのザリーシュとかいう男から求愛されたわ。言おうか悩んでいたけど、あなたには伝えておこうと思って」

「はあっ……! えっ、あの派手な人から?」


 こくりと頷かれ、出勤時間を忘れるほど僕は動揺した。

 もちろんマリーは魅力的であり、そのような告白を受けることはあるだろう。しかし相手は僕の倍近くものレベル保有者だ。もうひとつ、恥ずかしそうに打ち明ける言葉により、僕はもっと驚かされる。


「あんまりしつこいから、私、頭突きしてやったのよ」


 思わずクラリとした。

 まさか我が家のエルフさんが、未来の勇者に頭突きをしてしまうだなんて。そうか、だからあのときマリーはバルコニーから駆けてきたのか。


 いつものマリーでほっとしたものの、事態はそう単純に済まなそうな予感もある。考えごとをしながら僕は小雨の降る通勤路を歩き続けた。


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