第81話 気巧
やあ、お金持ちの家のベッドは違うねぇ。
身をもぐりこませるとさらさらのシーツが待っており、ふかりと心地よく沈む。羽毛布団らしきものは驚くほど軽く、保温も通気も良さそうだ。
先に感触を味わっていた待っていたマリーは「凄いでしょう」と笑みを浮かべており、思わずこくりと頷いた。
「いいね、お金持ちの家は」
「いいわね、高級ベッド。もし許されるなら、あなたの部屋へ持ち帰りたくなるほどよ」
くすくすと少女は笑い、それから枕へ頭を埋めた。
天井にいる弱々しい光源は光の精霊によるものだ。蛍のように明滅しているのは、もうすぐ僕らが眠りにつくことを知っているに違いない。
「ふふ、凄かったわねぇ、ドゥーラさんの剣幕。まあ、階層主を倒して来いなんて言われたら私だって腹が立つわ」
そうマリーが囁くと、僕らの小さなため息がちょうど重なった。
どうやらサウザンド家へ嫁ぐ条件がそれだったらしい。強者を求める家柄らしいが、ついこのあいだ彼女らは救出される側となり、まさかそれが婚約の障害になるとは思いもしなかった。
家柄については問題ないが、汚点を持った者を歓迎できない。
そのような態度を見せる統主に、晩餐を終えるなりドゥーラは席を立つことになった。出て行けと言わんばかりの態度を見せられれば退室せざるを得ないだろう。
「……協力かぁ。それ自体は楽しみだけど、問題は僕らの正体を知られないことだね」
「そうねぇ、現の世界へ行ける事は極秘ね。のんきに寝ているけれど、あなたもそうよ、ウリドラ」
布団をめくれば、くぴくぴと寝息を立てる黒猫が現れる。
そう、彼女は魔導竜の使い魔であり、あと2日もしない間に本体と合流することになる。もしも古代迷宮以上に強大な竜だと知られたら面倒なことになりかねない。強い力を持つ者は、それだけで影響を与えるものだ。
しかし黒猫はわずかに瞳を開き、こちらをちらりと眺めてくる。その態度は「問題ない」と言っているようで、僕らは少しだけ安心することができた。
「ふうん、ウリドラがそう言うなら安心できるわ。あなたが言うことは大抵は本当になるもの」
さて、と少女は手を伸ばす。
この世界から去るときには黒猫のスイッチを切るという日課があるのだ。しかし珍しく黒猫はそれを嫌がり、するりと布団の奥へ隠れてしまった。
「? どうしたのかしら。今夜はそのままが良いの?」
「あ、ひょっとしたら迷宮の時のように寝床を守ってくれるのかな?」
「にうー」
どうやらそういう事らしい。
怪訝にこちらを見る少女へ、ウリドラへ代わって説明をしようか。なに、もし間違っていても彼女が訂正してくれるだろう。
「ほら、ここは来賓用の離れだけど、起こしに来たりする人の目があるからね。どうやるからは知らないけれど、僕らが眠りについても隠してくれるんじゃないかな?」
ちらりと黒猫を見ると、こっくりと頷いてくる。
迷宮でもそうだ。僕らの存在は魔具を通じて各隊、それに本部へ伝わっているのだが睡眠中はウリドラが情報操作をしてくれている。
「やっぱりあなたは優秀なのね。こちらいらっしゃい、ウリドラ。ぐりぐりしてあげる」
やれやれという顔をして近づいてくるが、猫好きマリーの撫で撫でレベルは高い。ぐふふ、ぐふふとだらしない声を漏らし、黒猫はたまらなそうにのたうちまわる。きっと竜の寝床でもウリドラはくつくつ笑っているだろう。
まあ、そんな2人の態度を見ていれば鈍い僕にも分かるかな。
あと少しで子竜は落ち着き、そしてエルフと竜は再会する。娯楽施設へ遊びに行く約束もしているし、楽しみで楽しみで仕方ない、という風にじゃれあっているのは微笑ましい。だからきっと、竜はエルフを守ってくれているのだ。
「どれ、僕も撫でてあげようか。……わ、おなかあったかいなぁ」
ごろごろと喉は鳴り、無防備なおなかを撫でさせてくれる。ふわふわの毛並みは顔を埋めたくなるほどだけど、一応と人妻なのだし控えておこう。
「なんだかんだ言ってウリドラは過保護だよねぇ」
本来、このような体質なのだし他の人との交流は避けるべきだろう。なのに「そんな必要は無いよ」と黒猫は促してくる。ぱちりと開かれた瞳には知的な輝きがあり、子猫とは思えぬ懐の深さを感じさせた。
さて、ぱっと開かれた両手にはどのような意味があるだろう。
「あれ、ひょっとしてもふもふさせてくれるの? ええと、それじゃあ失礼して……」
ぽすんと顔を埋めると、ふかぁと柔らかな感触が待っている。
うわ、これ気持ちいいなぁ。お日様の匂いがするぽかぽかな温もり、それに子猫ならではの柔らかさは癖になりそうだ。小さな爪のついた手でしっかりと抱えられ、ぐるぐると機嫌の良さそうな振動が伝わってくると僕の眠気を誘ってしまう。
「明後日、ウリドラに会えるのは楽しみだよ」
思わずそう呟いてしまう。
にうと鳴くのは「私も」という意味だろうか。
たぶんそういう事なのだ。いつの間にやら母性を身につけた竜は、僕らと過ごすことを心待ちにしており、それを壊されないよう守ってくれている。甘え続ける気は無いが、さほど心配する必要も無いだろう。
「さて、そろそろ寝ようか。だいぶ夜更かしをしてしまったからね」
「はーい、そうしましょ」
開放された黒猫はすぐ近くで丸くなり、そしてマリーはギシリとベッドを鳴らして近づいてくる。顔の横へと手を置かれ、見上げる少女は淡い光に輪郭を輝かせていた。
しかしいつもと異なり、なかなかマリーが抱きついてこない。
いつの間にやら外にはさらさらとした細かい雨音が響いており、思わず互いに見つめ合ってしまう。不思議に思い見上げると、形の良い唇から囁かれた。
「夢のなかだと小さくて可愛い」
そう言い、ゆっくりと身を重ねてきた。
どきどきしながら彼女を待ち受けていると、のしりと少女の胴体は触れ、そして柔らかな腕から抱きつかれる。しっとりとした髪は鎖骨の上へ零れ落ち、感触へ目を細めているうち太ももが乗ってきた。
ああ、色気が強い。
艶のある肌といい、まっすぐに見つめる瞳といい、こう密着されると胸の鼓動はなかなか収まらない。と、その心臓へと少女の胸は押し当てられた。
「おやすみなさい」
「おやすみ、マリー。と言っても日本で起きるだけなんだけどね」
くすりという笑みに耳元をくすぐられた。
やがて光の精霊が消え去ると、僕らの思考はゆっくりと鈍りだす。
夢から目覚めるというのは独特の感覚があり、身体の輪郭が崩れてゆくように思える。とろりと溶けるそれは現実の世界へと旅立つ儀式かもしれない。
腕の中にある柔らかな感触を覚えつつ、それさえもひどく曖昧なものへと変わる。
とぷんと沈むようにして僕らは日の光のなかで目覚めてゆく。
さて、長いこと夢の世界で過ごしたせいで、目覚めるともうお昼だった。
夢の中で働いているせいか黒猫はずっと眠りについたままで、ならばと僕らはのんびり読書をし、アニメ映画をBGM代わりにして余暇を楽しんだ。
これからやってくる平日、そして夢のなかで過ごすため準備をするのはいつもの日常だ。とはいえ今夜は珍しくお弁当の必要は無いだろう。王族の主催する祝賀会があり、まずまず美味しいものをいただけるはずだ。
そういうわけで早々にエルフから手を引かれるままベッドへもぐる。
ああ、もうひとつ珍しいのは、夢の世界のほうがより快適なベッドという点かな。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ええと、説明が難しいな。
僕はいま東屋の隣にある岩へ、星くずの刃を支点にした逆立ちをしている。片手倒立と言うのかな? 空いているほうの手は腰へ回し、バランスを取るため両脚はゆらゆらと揺れる。
慣れない体勢に腕は震えているものの、ここは現実ではなく夢だ。
転んでも痛くないし、疲れさえ大して感じ取れない。おまけに20年近く過ごしたせいで恐怖心は一切無く、ゆったりとした心構えで修行に励まされていた。
「んー、なんか知らんがお前はずいぶん落ち着いてんなァ」
「ええ、どうも。ぼんやりしていると良く言われますが、顔つきのせいですかね」
などと逆さになった男、ゼラの顔を見上げる。
彼は「うーん」と唸りながら周囲をぐるりと回った。
「若いくせして動けると思ったら、ずいぶん鍛えてある。きっと良い師匠でもいたんだろうな」
あ、ぼんやりしている点についてはスルーなんだね。まあ師匠が魔導竜だという点は僕もスルーするけれど。
「それで、気功というのは曲芸で身につくのです?」
「ん? ああ、これはお前がどれくらい鍛えられてるか見るためで……ほら、脚をそろえてみろ」
おっと、難易度を上げてくるなぁ。
ぐいと容赦なく姿勢を変えられ、自然と背筋をぴんと反らしてバランスを整える。やあ、夢じゃなかったら泣き出しそうだけど、ほらどうせ夢だからねぇ。
別に朝から曲芸をしたかったわけでなく、新しい武器、星くずの刃に慣れようと素振りをしていたところ彼から声をかけられた。
この武器はいわゆる「溜め」をすることで高エネルギーを遠方へ飛ばすという特殊効果がある。しかし僕にとって気功は素人であり「持て余している」というのが現実だ。
「ま、気功を覚えるにはまず己の身体から覚えることだ。俺もよくこうして親父から吊るされてたっけ」
そう言い、彼はあごをボリボリと掻く。
ゼラの気功は僕よりずっとレベルが高く、まだまだまともに扱えない僕へアドバイスをくれるらしい。師匠であるウリドラは人体に関しては興味無いらしく、気功などというよく分からないものを教えることは出来ない。
ぽたぽたと垂れる汗の先、床にはちんまりと見上げてくる黒猫がいた。少し離れた東屋ではマリーが本を読んでおり、ときおりこちらを眺めてくる。
「その武器を見て思ったんだが、気功を覚えるにはぴったりの触媒だと思うぜ。すぐに結果が伝わるからな」
どういう意味だろうと見上げると、にまりと楽しげな表情を見せた。
「ちょっとさ、その状態で発動させてみろよ。弱めに制御すればさ、浮けるんじゃね?」
うわー、けっこうアバウトだこの人。
珍しいものを見たがるようなわくわくした顔をしているし、僕を見て楽しむ気に違いない。
まあいいや、とりあえず済ませないと開放してくれなさそうだしね。
ヒィ――……。
ごくごく弱い気を送り込むと星くずの刃は輝きを生む。
気力ごと抜かれてゆく感覚があり、流れる汗の量は増す。柄が滑りそうなものの、どうにかそっと発動することが出来た。
「よい、しょっ……うわわっ!」
刃から流れ出た威力により、ぐんと身体は宙へ浮く。
少量に抑えた威力ではあるが、このような体勢ではバランスを整えるのは難しい。しかし倒れて休むことは許されないらしく、ゼラの太い腕に掴まれて宙吊りにされてしまった。
彼はリンゴらしき果実をボリボリと食しながらこちらを覗き込んでくる。
「……どうも」
「ああ、じゃあ続けようや。そんでとりあえず浮けるトコまで行ったら飯にしよう」
ええー、めんどくさいなぁー。
しかしこの押し付けがましい暑苦しさは、どこかで見たことがあるぞ。そうそう、最初に僕へ気を教えようとした修道士がそうだった。彼らは嬉々として鍛え上げてくるのだ。まるで熱血体育教師のように。
「ん、もうちょいだ。気を一定にして吐き出してみ。できるできる、カズヒホはできる」
おほおー、本格的にめんどくさくなってきたあー。
だいたい気とかいう存在自体、ふわっとしているんだ。能力値にさえ載っていないし、存在自体を怪しむ人は数多い。そんな良く分からない存在のために時間を使う者は少ないのだ。
「ふんッ、ぐぅーーッ……」
「お、お、浮けそうだ。頑張れ頑張れ」
ぐううと身体は持ち上がり、一呼吸のあいだだけ浮くことができる。とはいえ呼吸が止まると気功も止まる。すぐにガスッと刃は岩へ食い込んだ。
ぜえぇぇーっと息を荒げつつゼラを見上げた。出来たよね、開放してくれるかな?という願いを込めて。
「よし、次は10秒を目指そう。できるできる、すぐにできる」
おっふ!
思わず白目になりかけ、それを見てエルフは腹をかかえて笑った。




