第77話 カツカレーですよ、エルフさん
いつの間にやら外はとっぷりと暗く、僕ら2人と黒猫1匹はキッチンに立っていた。マリーはエプロンを着ており、ポッケについた猫のワッペンがまた可愛らしい。
換気扇が回るなか、しゃわしゃわと油は気泡を吹いていた。そこへ浮かんでいるのはきつね色をした美味しそうなとんかつだ。
「わー……」
感心するような声は、僕の後ろから聞こえてくる。
跳ねる油に注意しているのだろうけれど、がしりとしがみつかれると暖かくて仕方ない。すこしだけ脇を開き、彼女にもちゃんと見れるようにしながら揚げてゆく。
ここ最近は料理の仕方を教えつつ、出来るものがあれば実際に作ってもらっている。
「あ、あ、匂いがしてきたわ。ほんのり色づいてきて美味しそう」
「揚げ物は温度と水分、あとは中まで火が通るよう気をつければ大丈夫かな」
前に彼女へカツ丼を食べてもらったことはあるが、こうして作るのは初めてか。豚肉は比較的安く、またレパートリーも多いので素晴らしい食材だ。
泡が細かくなるころには表面がカリっとし、そしてぷかりと浮いてくる。ふんわりと漂う匂いは確かに美味しそうだ。
振り向くとマリーはごくりと唾を飲み込むところだった。頭に乗せた三角巾が可愛らしく、ぽんぽんと触れてから料理箸を差し出す。
「上げてごらん。揚がった感触が箸から伝わってくるから覚えておくようにね」
「わ、分かったわ」
少しだけ緊張しつつも、言われたとおりとんかつを上げ、そして丁寧に油を切る。揚げ皿へ乗せると、こちらへぱあっと笑みを浮かべてきた。
「やっぱりマリーは上手だね。頭が良いからかな?」
「んふ、私は覚えるのが好きなの。料理の場合はなんでも好き。すごく優しい匂いがするから」
実際、向こうの世界で自炊慣れしていたこともあるせいか、彼女は料理がうまい。箸の扱いにも慣れると、元からある「人より優れた嗅覚」によりメキメキ腕を上げているのを互いに感じていた。
そして勉強などと異なるのは、上達するほど味を楽しめるということか。
さて、ざくざくと手早くとんかつを刻み、そのひとかけらを味見用として食すことにしよう。すこしだけ冷ますと指に持ち、少女へ差し出せば「あーん」と形の良い唇を開いてくれる。
じゃくり、じゃく……。
パン粉の風味、そしてふっくら柔らかに揚がった肉が千切れてゆき、旨味を含んだ良質な油が口内へ溢れてゆく。焼いた豚肉は甘く、そして心地ちよい歯ごたえのおかげで少女の瞳はきらりとした輝きを生んだ。
「んんーーっ! おいひっ。んはっ、おいひいーっ!」
ぎゅっと目をつむり、そのような顔をされれば豚肉も喜んだに違いない。
はい、と僕が差し出したのは白ワインの入ったグラスだ。これは調理した者への特権というべきか、出来立ての最も美味しいおかず、そして白ワインという組み合わせを楽しめるという意味がある。
くいっと少女は白ワインを含み、ぷあっと満足そうな顔を浮かべた。
「んふ、料理をしてこんなに得をした気になれたのは初めて。癖になりそうで困るわぁ」
「全部食べたら困るけど、少しだけだからね」
にうにうと足元から黒猫がしがみついて来るので、とんかつを小皿へ乗せて床へ置く。かつかつと美味しそうに食べてゆくが、決して普通の猫にはあげないようにね。
彼女は魔導竜ウリドラの使い魔であり、何を食べても健康を阻害することは無い。ついでに言うと、トイレの必要も無いので根本的に猫や動物とは異なる。
「さて、それじゃあ本番だ。マリー、ご飯をよそってくれるかな」
「もちろんよ。ついに私たちの夕飯が出来上がってしまうのね」
うん、少しオーバーだけど気持ちは少しだけ分かるかな。
お皿にはほかほかのお米がよそわれ、そして受け取った僕は先ほどのとんかつを上へ乗せる。これだけでたっぷりご馳走ではあるが、今夜はもうひとつ乗せるべきものがある。
どきどきと高揚した表情で、マリーは鍋の蓋を持ち上げた。そのなかにはわずかなスパイスが香る液体があり、しっかりトロみが出るまで煮込んである。
おたまですくい、その茶色い液体をかけてゆくと……。
「ああっ、もうっ、私の好きなカレーとカツが組み合わさるなんて……っ! 贅沢っ! とんでもない贅沢よ、これは!」
「にうにうにう! にうにう!」
大興奮の彼女らが言ったとおり、かつて2人を楽しませた食事を組み合わせた――そう、カツカレーが生まれてしまったのだ。
うん、幻想世界の住人たちがぴょんぴょんと小躍りしている姿を見ると、なぜかとても嬉しくなるね。とはいえ我が家のエルフと猫は、少し変わってると思うけど。
かたんとテーブルへカツカレーを乗せると、ふわんと良い香りが漂った。
とんかつを引き立てるようカレーにはじゃがいもを入れておらず、少しだけスパイシーな味付けをしてある。引き締まった辛さのあるほうが楽しめる気がするからね。
「いただきまーす!」
お水と白ワイン、そしてスプーンを配ると僕らの夕飯は始まる。
ちなみに黒猫も同じテーブルへ座り、お皿にちんまりとカツカレーが乗せてある。
ざくり、とエルフは出来立てのとんかつを食す。先ほどと違い、たっぷりとカレーの絡んだカツだ。後味程度にピリッとした辛味があり、ふっくらとした甘みあるライスと混じる。
「んふっ、んふっ……」
もぐもぐと咀嚼するあいだ、少女は上機嫌そうに微笑んでいた。にんまりと目を細め、そして僕を見上げて来るのはきっと満足しているのだろう。
「おいしっ! もう、やだもうっ、私も一緒に作ったと思えないわ。濃い味のカレーが染み込んで、噛むたびに旨味がやってくるの」
こういう感じよ、こういう感じ、と身振りをつけて味が運ばれる様子を教えてくれると、僕としてもにまにましてしまう。いや、きっと誰が目にしても頬が緩んでしまうかな。
「ふふ、良かったね。辛かったりしない?」
「少しだけ。でも良いアクセントになっていて私は好き」
にこりともう一度笑い、少女は次のカツへと手を伸ばす。黒猫もかつかつとたまらなそうに食しており、可愛らしい子たちが舌鼓を打つ様子を楽しませてくれる。
最近気がついたが、どうやら僕はこの食事時というものを前よりずっと楽しんでいる気がする。以前はお惣菜を買って帰ることも多かったが、家に待つ2人を考えると多少の手間があっても苦にならないようになった。
こくりと水を飲み、それから口を開く。
「カツカレーもそうだけど、組み合わせることで生まれ変わる料理って多いんだ。鍋なんて組み合わせが多すぎて何種類あるか分からないかな」
「ねえねえ。また今度、迷宮に行ったら作ってみましょう。私も手伝うから」
そのように僕らは迷宮での昼食作り準備をしている最中だ。
迷宮攻略をお休みしているあいだ、向こうで調理用の鍋などを用意してある。あとは具材や調味料をこちらから運べば出来るだろう。
「いや、初めてのアウトドアが夢の世界、しかも古代迷宮とはね」
「ほんと楽しみだわ。古代迷宮ってとても綺麗だし、場所によっては眺めが良いでしょう? そこで鍋を突付けるなんて贅沢だわぁ」
そ、そうなのかな。そうかもしれないけど、僕は魔物や他のメンバーの目が気になって仕方ないよ。
僕がそのように呟くと、にうにうと黒猫はあきれ顔を見せてくる。
「あ、そうか。ウリドラがいれば魔物を寄せ付けないか。そうでなくともマリーの石壁でどうにかなるし……」
「そうよ、私たちの美味しい食事を邪魔する者なんていないの。もし居たら吹き飛ばしてしまうから」
おっ、女性陣が頼もしいなぁ。
なら僕も腕によりをかけて食事作りに集中させてもらおうかな。
「じゃあ2日後、古代迷宮で鍋パーティーだ。期待しててね」
やっほう!と両手バンザイをする2人の可愛いことと言ったら……。少し前は過保護だなんだと怒られていた気もするけれど、こういうのは別に構わないんだね。
まあもちろん僕も、彼女らを楽しませたい気持ちでいっぱいだけど。
うん、カレーとワインもなかなか合う。
ずるりと椅子から半分だけお尻をはみだし、エルフはとろんとした瞳を天井へ向けている。たっぷりの食事、そしてお酒を楽しんだせいで、ぺろりと少しだけお腹を覗かせている状態だ。
少女はそれほどお酒に強くないが、それでも味が好きらしい。そのせいで普段なかなか見れないだらしない格好を僕は楽しめる。
とはいえお風呂が炊けたと声をかけなければいけない。
このまま眠りについても構わないが、できればさっぱりしてから夢の世界へ向かったほうが良いだろう。
ためらいつつも、ちょんとマリーの肩へ触れる。
するといかにも眠そうな瞳で、くるんとこちらを見上げてきた。
「マリー、お風呂はどうする?」
「ん……はいる」
だっこして、と両手をこちらへ伸ばしてきた。
いつの間にやら少女も甘えることへためらいが無くなったのは、きっと僕も楽しんでいることを知っているからだろう。
そして僕もまた、いつの間にやらためらう事無く少女を抱き上げており、半お姫様だっこというべきか背中と太ももを支えて身を起こす。すると少しだけマリーのほうが背が高くなり、ぽやんとした顔で抱きついてくる。
しかし、マリーは軽い。それほど鍛えていないので助かるけれど、ふわりとした軽さにいつも驚かされる。
洗面所へ向かい、頭をぶつけないよう注意をして戸をくぐった。
「あとは自分で出来るかい、マリー?」
「ん、平気よ……」
ありがと、という意味だったかもしれない。ちょんと唇を重ねられ、不意打ちを受けた僕の心臓は跳ね上がる。
どうやらマリーはこちらの反応を楽しんでいるらしく、ときどきこういう悪戯をする。
くつくつと笑う少女は床へ降り、そしてバイバイと手を振ってきた。戸を閉める間際には、するりと黒猫も後を追う。きっと2人でこれから入浴を楽しむのだろう。
「…………」
一方、取り残された僕はというと、誰の目も無いならばとベッドへ倒れこんだ。ぺたりと触れた頬はやはり熱く、そしてふわふわと宙を漂う水の精霊へ僕はつぶやいた。
「まいった……」
あの青森旅行以来、こうして思い切り手玉に取られている。
とはいえ、それが嫌かと聞かれれば首を横へ振る自分も居た。節度ある関係を築こうとしていたが、我が家のエルフさんはそれを易々と乗り越えてしまう。
手を引かれるまま、僕はどこへ辿り着くのだろうか。
ただ、そのような未来さえ楽しみにしている自分もいる。
尾ひれを振り、ちゃぷんと鳴る水の精霊は、まるで「楽しみなさい」と囁いているよう聞こえた。
くるくると黒猫の鳴くなか、少女は本を読んでくれた。
薄暗いダウンライトに部屋は染まり、耳ざわりのとても良い声がまた眠気を誘う。
窓の外からはまだ雨の音が伝わってくる。とはいえ、そのような音を聞きながらの読書というのも悪くは無い。
僕の胸へと少女の頭は乗り、さらさらの白い髪がこぼれ落ちていた。
幻想世界の住人は、声までもが綺麗なのだろうか。
耳にスッと入り、その心地良さに目を細めてしまう。ある意味で、とても贅沢な寝かし付けをされているかもしれない。
ときおりこちらを見上げて来るのは、僕が眠りについたか確認するため。
そのときにも色づいた唇で物語を読んでくるので、参ったの意味で背中をぽんぽんと叩いた。
「んふ、それじゃあそろそろ寝ましょう。カツカレーとても美味しかったわ」
「こちらこそ。また一緒にご飯を作ろうか」
そう囁くと少女は頷きつつ本を近くへと置き、ぎしりと身を寄せてくる。
すでに身体に力が入らないほど僕は眠い。
少女から抱きつかれ、その温かさと柔らかさはさらなる快適な眠りへ誘ってくれるだろう。
と、前髪を触れられたと思えば、そこへじんわりとした熱が伝わってくる。なんだろうこれはと思う間もなく耳元へ囁かれた。
「おやすみなさい、一廣さん。続きはまた夢の世界でね」
うん、おやすみ、我が家のエルフさん。
寝かしつけがとても上手で驚きましたよ。
さらさらの髪ごと抱き返しつつ、僕らは静かに夢の世界へと沈んでいった。




