第73話 青森めぐり桜吹雪編⑦
快晴の下、とろとろと軽トラは道を進んでいる。
さほど速度を出さないのは慣れないミッション車、それに前も後ろも空いているおかげだ。どうやら僕はのんびりとした運転が好きらしい。
半開きの窓から風がはいりこみ、少女の白く光沢ある髪をなでている。その彼女はというと、先ほどから黒猫とにらみ合いっこをしているが……どうやら棒状のチョコレートで遊んでたらしい。
猫は真剣な瞳で菓子を睨み、ゆらゆらと揺れるそれへ「ひゅんっ」と素早く引っかく……のだが残念ながら空振りに終わる。外れればやり直し、捕まえればひとくちもらえる、という趣旨だと理解できたのは市街に入ったころだ。
ふと少女が顔をあげたのは、車の窓から明るい色彩が見えたからだろう。
隙ありと黒猫はかじりつき、同時に少女は「わあ」と声を漏らした。
「うわ、あー……、桜……っ!」
「ギリギリ間に合ったかな。この時期に見ごろを迎えたばかりなのは珍しいんだよ」
今年の開花予測は例年と比べてずいぶんと遅い。そう教えてくれたのは、同じマンションに住む薫子さんだ。
そういえば助言として「楽しませるコツは着くときまで内緒にしておくこと」と言っていたかな。どうやら猫に夢中だったおかげで図らずもサプライズとなってくれたらしい。
エルフはぽかんと唇を開かせ、桜に負けないほどアメシスト色の瞳を輝かせる。
――ひょっとしたら幻想世界のお客様、エルフさんを待っていたのかもしれない。
前を走る車が花びらを散らせ、それにふわりと僕らの軽トラは包まれる。瞳を丸くして追う様子に、先ほどの考えはあながち間違いでは無いのかも、などと思えるほど可愛らしかった。もちろん、あんぐりと口をあけた黒猫もね。
「え、え、それじゃあ観光に来たっていうのは……!」
僕はにこりと笑い、当の駐車場へハンドルを切ることで問いかけに答えよう。
そういうわけで、幻想世界の住人たちは観光にぎわう弘前城にやってきたのだ。
「あっ、見て見て、岩木山ーっ!」
駐車場から降りると、家の方角には雪化粧をした岩木山、そして花びら舞う桜が広がっていた。なんてことない場所なのに、これほど雄大な景色を見せてくるとは。
となるとさすがに写真へ残さないわけにはいかないね。
「こっちを向いてごらん、2人とも」
「えーと、なにをしてるのかしら?」
まあとりあえず、ぱしゃりと行こう。
シャッター音に釣られて2人は近づき、画面をひっくり返して見せてあげる。するとそこには不思議そうに振り返るエルフ、そして黒猫が写っており「わっ!」「にう!」と瞳を丸くさせた。
「すごいじゃない。視覚投影に詠唱がいらないなんて」
うん、軽くずっこけかけるね。
なるほど、向こうの世界でも映像を伝える魔法があるから驚かないのか。主に偵察任務の為のものだけど。
などと考えていたが、なかなか2人は画面から離れない。どうしたのだろうと小首を傾げていると、2つの真ん丸な瞳がこちらを向いた。
「魔法と比べ物にならないくらい鮮明で綺麗だわっ」
「ああ、偵察目的なら画質はそこまで必要無いからね」
興味深々と覗き込む様子に「ふうん、なら楽しんでもらえそうだ」などと考える。とはいえスマホを買ってだいぶ経つというのに、ちゃんと撮影をしたのは初めてかもしれない。ほら、僕は基本的にインドア派どころかインドリーム派だから。
「こちらの世界ではこうして旅の思い出を残す決まりがあるんだよ。そういうわけで弘前城を散歩する2人を写しまくろうか」
「おーーっ!」
春の陽気がそうさせるのか、どこかウキウキとした高揚感を僕らは覚える。じゃれる黒猫を踏まないよう気をつけ、少女の手を繋いでから歩き出した。
さて、桜並木の続く通りは「桜のトンネル」と言われるだけあり、川を挟んでぎっしりと植えられている。あのボートに乗ればトンネル気分を味わえるけれど、これほど花びらが舞っているならば、どこにいても楽しめるに違いない。
気持ちよい快晴のなか、黒猫はきょろきょろと見上げつつ、どうにかマリーについてゆく。そんな忙しそうな様子を見て、思わずひょいと担ぎあげた。
「そうか、ごめんごめん。ウリドラにとっては初めての桜だったね。僕が運ぶから、ゆっくり景色を堪能して欲しいかな」
きょとりと黒猫は瞳を見開き、それから礼を言うように顎先へこしこしと額をこすり付けてくる。くすぐったくも、ふんわりと先ほど入ったばかりの温泉の香りが漂う。まあ、僕も同じ香りをしているだろうけど。
そういうわけで少女は僕のシャツを握ることになり、黒猫とおなじくらい辺りを見回しながら歩く。舞い落ちる花びらは桃源郷のように視界をピンク色に染めており、それに呑まれたようエルフの足取りはふらふらとしていた。
とはいえ、この景色では仕方ないだろう。一年のうちで最も美しい光景の中にいるのだから。
どこか夢見るような声で、少女は色づいた唇を開かせた。
「江東区ではとっくに散っているというのに……こんな色鮮やかだなんて」
「桜前線はゆっくり北上してゆくんだ。僕らが新幹線に乗ったから、彼らを追い抜いてしまったんだね」
そう答えると夢見心地に少女はうなづいてくる。
とはいえ少しだけ心配かな。瞳はとろんとしており、色素の薄い肌はほんのりと色づいている。どこかで休ませるべきか、などと考えているときに少女は空いているほうの手を横へ差し出した。
ざうっ……。
その光景に、僕と黒猫は目を見開く。
ほっそりとした手へ集うよう、色あざやかな花びらが舞ったのだ。ぶわりと渦状に舞い、桜色は見とれるほど濃い色彩へと変わる。
にう、という鳴き声に、少女はハッと我を取り戻した。ざあ、あ、と花びらは霧散し、人々も口々に「きれいだったわねえ」「つむじ風かな」などと言いながら通り過ぎてゆく。
安堵の息をそっと吐きながらマリーを覗きこむと、瞳には先程よりだいぶしっかりとした色彩が戻っている。
「いけない、精霊に触れすぎてしまったわ。でも、これほど近づいてくる子たちは初めて……」
そうだった、彼女はこの世界で極めて珍しい精霊使いなのだ。
春は人を狂わすというが、ひょっとしたら精霊らの仕業かもしれない、などと心のなかで思う。
さて、色鮮やかな小道を歩いていると、雅ともいえる光景が待っている。
なだからなカーブを描く橋は濃い朱色に塗られ、幾重もの桜の向こうに天守閣がある。風情のなかに雅があり、雅のなかに威風堂々とした城があり、けれどその景色は調和を生み出しているのは不思議だ。
「うあっ、素敵っ! ねえ、あれが日本のお城なのっ? とても目立つ綺麗な色をしているのね」
「そういえば夢の世界で見るものとだいぶ構造が違うなあ。さてお2人とも、記念撮影はいかがです?」
その一言に少女は嬉しげに振り返り、黒猫も慌てて僕の腕から飛びだす。そして少女は猫を抱きかかえ、そろって右手を突き上げるポーズを決めた。
可愛らしいそのポーズへ吹き出しそうになりつつシャッターを押すと、なかなかの絵に収まった。2人とも瞳が大きく白黒のコントラストがあるものだから恐ろしく写真うつりが良い。
さて、スマホ画面を確認していると、2人は橋から下を覗きこんでいたようだ。どうしたのかなと近づくと、揃ってくるりと振り返る。
「堀の作りが独特だわ。水を張っているし、塀の傾斜もゆったりしているでしょう。何か意味があるのかしら」
あれ、意外にもお城の構造へ興味を持っているのか。
そこでようやく思い出したが、彼女はついこのあいだ防衛陣を操り、大量の敵を殲滅したことがある。そのような経緯で城への興味は強いのだろう。
うーんと悩み、それから少女の手を取った。
それではエルフさんを連れて資料館へ行ってみようか。
天守閣にある資料館には、当時に使われていた刀、槍、火縄銃、それに鎧などが展示されている。まず驚いたのは、黒猫が日本刀の展示コーナーにべったりと張り付いたことだ。じいいーっと熱く見つめているものだから、鼻のあたりでガラスが曇っている。
「あ、ウリドラは刀に似た武器を使っていたっけね。ひょっとしてあれは自分で考えて改良したのかい?」
そう尋ねてみると、にうにうと黒猫は頷いてくる。
しかしよく開発をする猫さんだ。そういえばアリライ国にいる猫族も魔石からアイテムを精製しているのだし、何か通じるものでもあるのかな。
と思いきや、エルフさんは火縄銃をじいいーっと熱く見つめていた。
あれ、おかしいな。女性2人なのだから、もっと華やかなものへ注目すると思ったのに。
「銃が珍しいのかな……って、ああ、向こうの世界では珍しいに決まっているね」
「ええ、概念からまるで異なるわ。造りは単純だというのに、構造だけで威力を高めているなんて」
う、うん、なんだか怖いことを言い出したぞ。
もう少し困らされたのは、大砲まで展示されていたことか。エルフと黒猫の見つめる瞳の真剣なこと真剣なこと。時折ちらりと目を合わせては、うんうんと頷きあっているが……。まあ、気にしないようにしよう。
それからようやくお城の模型へとたどり着いたのだが……。うわ、眼の色が違う。
「分かったわ、だから水堀があったのね。敵を一箇所へ集中させ、そこを叩いていたの。守るのに頼りないとさえ思えたのに、日本の城は意外にも効率的だわ」
「にうにう」
「ええ、この構造を支えているのが遠距離火力ということね。がらあきの場所は、ここを攻めてください、殺しますのでという意味だったのよ」
うん、良く分からないうちに精霊魔術師さんが目覚めようとしている気がするな。気だけで済むと良いんだけど。
こくこくと肯定する黒猫さんが、なぜかとても怖いよ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
たっぷりとお勉強をしたあとは、美味しいものを食べるべきだろう。まあ、先頭には「図らずも」という言葉が加わるけれど。
運良く開いていたベンチを陣取り、桜舞い散るなか屋台の食事を頬張る。ふわりと時おり風が吹くと、それがまた新しい花びらを運んできた。
ほう、という息に振りかえると、少女はたこ焼きを口へ運ぶ姿勢で静止させている。きっと春の残す最後の光景に見入っているのだろう。
「綺麗ねえ……桜って、怖いくらい綺麗」
「そのぶん見入ってしまうね。ほら、のんびりしているものって見慣れてしまうから」
そう答えるとマリーはしばらく見上げてきたあとに、ぱくりとタコ焼きを食した。黒猫はというと、とっくに食べ尽くしており、彼女の膝に丸まりぐるぐると満足げに鳴いている。
ぼすんと少女は肩を当て、そして頭を乗せてくる。そのあいだもずっと僕を見つめているものだから、年甲斐もなくどぎまぎとしてしまうのを感じていた。
「……顔にソースでも付いているのかな?」
「いいえ、あなたを見飽きないか試していたの。一廣さんほどのんびりしている人はいないでしょう?」
時々、彼女は僕の名を「さん」付けで呼んでくる。
それが心臓をドクンと鳴らすことを知っているのだろうか。こうして吐息さえ届くような距離で、とても効率的に少女は囁いている気さえする。
きっと春の陽気のせいだろう。
ほっそりとした肩を抱き寄せ、つい薄紫色の瞳を覗きこんでしまった。
「……はじめて日本を過ごしたとき、こんな景色の中だったわ」
「そうだったね。とても綺麗な季節だった。あれからだいぶ経った気がするなぁ」
くすくすとエルフは笑い、もう少しだけ身体を寄せてくる。
「でもね、あれからとても変わったの。あなたを知るたびに楽しくて、ふふ、見飽きるなんてできないわ」
いや、それはこちらの言葉だよ。
小さな女の子と思っていたけれど、日を追うごとに胸のなかを大きく占めてゆく。仕事に行こうと迷宮に行こうと、いつでも彼女のことを想うほどだ。
「だから不思議。同じ桜だというのに、これほど違う景色だなんて」
ね、そう思わないかしら……。
そのように彼女は耳元へ囁いた気がした。
視界いっぱいにアメシスト色の瞳があり、どうしようもなく見とれてしまう。
と、鮮やかに色づいた唇へ、花びらが一枚乗った。
「あ……」
こぼれた吐息が、どこか遠くから聞こえた気がする。
桜の舞い散るなか、輝かしいとさえ思える少女がなぜか瞳を閉じてゆき……。
ふわり……。
ひどく柔らかな感触に包まれ、それが彼女の唇だということに気がついた。遅れてするりとエルフは首筋へ抱きつくと、より深く僕たちは密着をする。華奢な身体は唇のように柔らかく、いつもより熱を放っているようにさえ思えるほど。
桜とエルフ、甘い香りに包まれて僕は夢でも見ているのかと思ったものだ。




