第72話 青森めぐり桜吹雪編⑥
すうと息を吸い、見た目よりずっと重い剣を握る。
叩けば砕けてしまいそうなほど細身である刃は、外見とは裏腹に密度がぎっしりとある。かみ締めた歯のあいだから息をもらし、ググと身体の中枢からエネルギーを送ると、脈動するよう星くずの刃は輝きを増す。
ヒイイ……。
馬のいななき……いや、戦闘機のジェット音に近しいだろうか。
搾り出した気は貪欲に吸われ、刀身へ流星じみたきらめきが一条流れる。これは段階をひとつ上げたという意味がある。
両足は肩幅より開き、どっしり腰を落とさなければ安定しない。
柄を両手に握り、前方へしっかりと狙いを定める。気を充満させながらの作業は、なかなかの苦労を伴うようだ。
引き金を引くように柄にあるスイッチをカチリと押せば流星は放たれる。
一瞬だけ周囲は昼間のように明るくなり、長く尾を引いた閃光が遠くの岩壁へと飲み込まれた。
ズズ……!という地響きがここまで届くとは。
額を流れる汗をぬぐい、ふううと僕は大きく息を吐いた。輝きを失った星くずの刃だが、気を送ればまた光り輝くことだろう。
ひび割れた岩壁に触れると、ばらばら破片が落ちてくる。
薄暗い洞窟のなか、それを見上げるのは魔導竜ウリドラ、そしてエルフ族のマリーだ。
「わ、人くらいの穴になってる。溜めによって威力が変わる……というより速度が増しているのかしら」
「ふむ、その間は行動できぬな。おぬしは手数が武器なのじゃから相性が悪いかもしれぬのう。おまけに体力を削りやすい」
「そうなんだよね。魔力がいらないのは助かるけど、僕は気を練るのは素人だから」
などと試運転の星くずの刃を皆で検証しているところだ。
こういうとき僕以外の専門家、精霊や魔導の使い手がいてくれると調べるのも楽だ。そこへ野次馬として竜の子たちがのそのそ歩いてくるものだから、広く薄暗い洞窟でも賑やかに感じられる。
いや、光景に慣れつつあるけれど魔導竜の巣に滞在するなんて、あまり普通では無いだろうけれど。
きょとりと薄紫色の瞳をこちらへ向け、マリーは唇を開いた。
「気を練るといえば修道士が専門家かしら。たしか治療にも応用できるのでしょう?」
「らしいけど、僕は見よう見まねなんだ。前に教えてくれた人がいてね」
修道士はガタイが良く、己の筋肉を見せたがるのかもしれない。頼んでもいないのに教えてくれる変な人たち、という印象がある。ひょっとしたら彼らがこれを操れば……いや、刃のある武器は持てないという戒律があるか。
それをじっと見つめていたウリドラだが、ぽつりと呟かれた言葉には脱力してしまう。
「あの鍋と酒は最高じゃったなあ……」
ああ、真面目に調べてくれていると思ったら、頭のなかは青森へ旅立っていたのか。とはいえ魔導のマスターである彼女にとって、星くずの刃より鍋のほうが興味あるのは理解ができ……ないね。
「本当に凄かったわ。まさか魚があれほど複雑な味わいをしているなんて!」
「あれ、マリーさんも鍋のほうが大事なのかな」
まあ、黒猫から戻った反動というべきか、使い魔では話すこともできなかったからね。いかに美味しかったか、たっぷり気持ち良く過ごせたか、新幹線が速かったかと2人は青森の魅力について延々と語る。
となると退屈してきた僕としてはいわゆる「燃料投下」をしたくなる。
「そうだ、歩いて行けるところに温泉があるんだ。あのあたりは湯治という文化が昔からあってね、遠くからはるばる訪れる人も多いらしいよ」
「「はああっ!!?」」
わ、わ、首をガクガクされちゃった!
だってほら、初日だったから仕方無いでしょう。2人ともコタツで丸くなってたんだし。などと言っても、どこか女性というのは都合の悪いことを忘れる癖があるからね。プイとウリドラから顔を逸らされてしまったよ。
「で、でも……温泉って高いでしょう? あなたのお財布も心配なのに」
「ふふ、田舎を舐めてはいけないよ。300円と良心的だからね。黄緑色で気持ち良いし、戻ったら行ってみるかい?」
いく!と元気よく答えられたが……猫はさすがに駄目じゃないかな?
とはいえ本日は夢の世界も長期休暇であり、マリーのお手伝いをしにきた所が大半だ。
というのもこの遺跡には、なかなか珍しい構造強化術式なる術式が残されているらしく、覚えれば彼女の精霊魔術をより強化できるのでは、という期待がある。
なんて、別に成功を期待していないというか、今のままで十分だと思っているけどね。研究が失敗しても、それはそれで気にしないだろう。
そのあいだ僕は近くの川でのんびり釣りでもして過ごすと……。
「たわけ、夢の世界でまで遊んでどうする。ほれ、たらふく食って太るまえに剣の修行じゃ。新しい武器も拾ったばかりであろう」
などと思っていた僕が甘かった。
向こうの世界では可愛らしい黒猫だというのに戻るなりこれだ。
そんなこんなでマリーは楽しくお勉強を、僕はキツキツに絞られた雑巾のよう汗水をたらし――あれえ、扱いが違うんじゃない?――それから青森へと舞い戻る。
なんだか、こっちの世界のほうが慌ただしいなあ。
僕まで日本へ帰りたくなってきたよ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
がとっ、がらーっ。
雨戸を開くと気持ちの良い快晴が待っている。
くああと大きな欠伸をし、振り返ると少女、それに黒猫も同じ仕草をしていた。陽光に輝く布団、そして畳というのもたまには良いものだ。
「やあ、おはよう。今日もいい天気だね」
「んふふっ、青森2日目ね。おんせんっおんせんっ!」
にゃあ!と黒猫と共にガッツポーズをするが……猫はたぶん行けないよ?
さて、少々ややこしいがこの黒猫は使い魔であり、夢の世界から切り離された存在だ。なので夢のなかへ僕と一緒に戻ることはできず、首輪についている魔具を使用して召喚しなおす必要がある。
……けど、どういう理屈なのかよく分からないな。
「ほら、この猫ちゃんは核に術式が埋められているでしょう。だから魔具から離れられないの。眠るときは消灯するようにウリドラが術を切っているのよ」
「あ、そういうことか。なら失くさないよう気をつけないといけないね」
ちょうどそのころ、おじいさんから朝食に呼ばれた。
ああ、これが上げ膳据え膳というやつだね。すごく楽だけど申し訳ない……などと思いながら目玉焼き、ご飯、海苔、お味噌汁、という和風な朝食をいただいた。
ああ、田舎の味噌汁ってこんな味だったなぁ、なんてしみじみ思ってしまう。
「いってらっしゃい、きをつけてなー」
「はーーい」
タオルと着替えを入れた袋を持ち、僕らも大きく手を振った。
これから近所の温泉へと僕らは遊びに行くのだ。
田舎で過ごす連休というのはやはり良いね。こうして遊びに行くだけなのに、仕事のことを忘れられるのが大きい。
「あら、あなたはいつも夢の世界で仕事のことを忘れているかと思っていたわ」
「そういう目で見ていたのかな。もちろん僕は夢の世界へ仕事を持ち込まないタイプだよ」
やっぱり忘れてるじゃん!という突っ込みのように黒猫は「にう」と鳴いた。
どうやら朝の挨拶をする相手はもう一人いるらしい。木の柵ごしにやってきたのは、白と茶色の混じった子牛だ。
「あ、花ちゃんーーっ」
ぴこぴこと耳を揺らし、黒く澄んだ瞳を向けてくる。
少女よりずっと大きいけれど、可愛らしいぱちりとした瞳は子供のものだ。彼はできたての角を見せびらかすよう柵のあいだから近づけ、マリーはごしごしと周囲を撫でた。
ぶふふっ、という息は笑い声のようで、たまらなそうに耳をパタパタとさせている。
「かーわいいーーっ。あなたはとても素直で優しい子なのね。一緒に温泉に入れれば良かったのに」
「そのぶん撫でてあげれば喜ぶよ。子牛はね、耳や首の後ろが弱いんだ」
一緒になってゴシゴシしていると、やがて花ちゃんはたまらなそうな顔をする。とろんとした瞳、緩慢にのそのそ動く舌、そしてこすりつけたいのか頭を斜めにしてしまう。
「にゃああっ、やんっ、やんっ、かわいいーっ」
どうやら大きな身体とのギャップがあったらしい。
よほど堪らなかったのかマリーはぶるりと身体を震わせ「おふっ」と息を漏らしていた。とはいえ僕としてはそんなエルフさんを見ているのも堪らないけどね。
名残惜しそうに花ちゃんが尻尾を振るなか、僕らは出発を再開する。
昨夜は夜の散歩を楽しんだが、こうして快晴の小道を歩くとまた異なる姿になるらしい。
目にもまぶしい新緑と、どこまでも広がる畑地。
視界をさえぎるものがほとんど無いというのは、妙な開放感を覚えるものだ。てくてくとアスファルトを歩きながら、少女と黒猫は伸び伸びとした姿を見せてくれた。
「驚くほど昼間と夜で色彩が変わるのね。まるでアニメのようだわ」
「おや、あれはフィクションだけど、同じように思えてくれたなら嬉しいね。」
2人からご機嫌な様子が伝わってくると、地元民としては嬉しく感じるね。
雪化粧をした岩木山へ向かい、僕らはゆっくりと歩いた。
さて、170年もの歴史ある湯治の場、ということで建物はずいぶん古びている。
とはいえ少し変わったエルフさんは日本の「わびさび」なるものまで覚えつつあるので、嫌な顔をするどころか喜々としてひなびた戸を開く。
「わ、もう温泉の香りがする!」
「あれ、鼻が良いんだね。小さな建物のせいかな……。先に支払いを済ませてくるね」
温泉宿、というよりはごく庶民的な内装だ。
あちこちにある古びたものへエルフと猫は視線を移す。家庭的な椅子、提灯、古いビール自販機などを興味深げに眺めていた。
ここはもう完全に昭和だな、などと思いつつ受付へ向かう。
さて、試しに交渉してみたところ、意外にも受付のおばさんは応じてくれた。大人しい黒猫を見て、桶のなかでなら猫も温泉を楽しんで良いと言ってくれたのだ。
ちょうど人の少ない時間もあったろうが、珍しくも可愛らしい外国人旅行者へ、おもてなしの意味があったかもしれない。いや、ひょっとしたら単なる猫好きなのかもだけど。
そういうわけで……。
ざぼりと湯を分け、黄緑色のなかへ身を沈める。
湯治の地ということか鉄分を感じさせる匂いが漂い、とろみある湯へ腰を降ろすと「ざりっ」とした感触が尻にあった。
思わず、うふーっという声が出てしまうのは、恐らく落ち着いた温度、そしてクセの少ない浴感のせいだろう。
なみなみと張られた湯はタイルへ溢れ、その頼もしさにより深く身を沈めてしまう。シミなどの古びた様子ではあるが、いくらでも浸かってゆけという度量を感じさせるなぁ。
などと思いながら外を見ると、明るい窓の向こうに鮮やかな花をつけた樹木がある。
――やあ、桜か……。するとマリーも今ごろ眺めているか。
いや、古ぼけた外観にすっかりと騙された。
さすがは加熱、加水をしていない源泉掛け流しだ。これだけの贅沢はそう味わえないぞ。
などという嬉しい発見をしつつ、さらに奥へと身体を沈めてしまう。
まいったな、まさか半妖精エルフと過ごすうち温泉に目覚めてしまうだなんて。
ファンタジー世界で遊んでいたつもりが、いつの間にやら日本文化を味わいつつあるぞ。きつねに頬をつままれたような不思議な気持ちだ。
ふうーー、という息は浴室に響き、湯気へ溶けて消えていった。
さて、着替えてから外へ出ると、どやどや通り過ぎるおばさん達がいた。
口々に「めごいめごい」「なんぼめごい」と言っており、ほくほく満足げな表情をしているが……。
どうやら黒猫とマリーは相当に可愛がられたらしい。
桶にぷかりとお腹を浮かばせる黒猫は、撫でても何をしても瞳を細めて気持ちよさそうにする大人しい子だ。そこへ妖精じみた少女が加わると、ちょっとしたイベントじみた盛り上がりがあったそうだ。
湯あがりのマリーと並んで歩いているとき、その様子を教えてくれた。
「んふ、方言を教わっちゃったわ。あとね、遊びに来てねって言ってくれたの」
「たっぷり楽しめたようで良かったね。この辺りは温泉で繋がるところもあるから、しばらく暮らせば県民になれるかもしれないよ」
上機嫌で歩むエルフ、そして黒猫を見ていると僕も瞳を細めてしまう。
うん、うちのエルフさんはちょっと変わってるかもしれないね。
いつのまにか日本文化へ触れていたように、気づいたら日本中の温泉を巡っていたりするのだろうか。などと思いながら缶ジュースの蓋を、ぷしゅんと開いた。
さて、それでは地元の誇る観光地へ、そろそろ案内しましょうか。




