第70話 青森めぐり桜吹雪編④
ちょっと来て、ちょっと来て。
そのようにエルフさんから手招きをされ、古民家の奥へと向かう。
子供のころ過ごした家には独特の匂いが染み付いており、きしきしと音を立てる廊下、夕闇のうっすらと伸びる影と、どこもかしこも懐かしい。
すたすたと歩く黒猫はすっかり我が家きどりで、おすましした顔をこちらへ向けていた。しばらく歩くと、なにげない扉の前でエルフと黒猫の歩みは止まる。
「……ここがどうしたの?」
「しっ、声を小さくしてちょうだい。私たちの勘では、ここにいると思うの」
ここに何がいるのかな?
任務中のように真面目な顔でこちらを見上げてくるエルフと黒猫。そして古びた扉をみて、ぴんと浮かぶものがあった。
「ああー……。なら静かにしないといけないね。僕が開けてあげたいところだけど、大人だから隠れてしまうかもしれないよ」
「やっぱり駄目なのかしら。せっかく見つけたというのに」
しょんぼりとした顔をしているのは、とある物語の影響だろう。古民家の奥には不思議な生物がおり、そして物語を魅力的にしていたものだ。
涙を浮かべる少女の鼻先へ、ぴんと人差し指を押し付ける。
「2人ならきっと大丈夫だよ。本当は子供じゃないけれど、実は彼らもそれほど頭がよく無いんだ。さ、静かにあけてごらん」
逡巡しつつ、どうやら決意をしたらしい。
こくりと頷くと扉へ手をかけ、そうっと音を立てないようにして開かれる。きい、い、とかすかなきしみ音を立て、現れたのは暗い物置だった。
がっかりした彼女らの背を押し、物置の中へと入れてあげる。そしてしゃがみこみ、内緒ごとを伝えるよう顔を近づけ囁きかけた。
「さて、ここに秘密の通路があるとしたら興味はあるかな?」
「あっ、あるわっ! うそうそ、どこにあるの?」
たったの一言で好奇心が思い切り刺激された顔をする。
2人は興味深々の表情で、とんとんと思わずその場で足踏みをしてしまった。
頑張ってと仕草で伝えると彼女たちの冒険は始まった。
棚を開け、壷を覗き込み、それからようやく猫はにゃあと鳴く。少女が振り返ると、階段状をしている箪笥の上にいる猫がいた。
乗ってもいいのかしらと少女は振り返り、僕は「どうぞどうぞ」と身振りを返す。
昔はこのような作りの家もあったらしい。天井裏へと通じる道のため、階段状の箪笥を用意していたのだ。
隠された戸をそうっと開き、2人は暗がりの天井裏へと頭を突っ込んでゆく。
「油断してはだめよウリドラ。きっとここにいるはず……わあっ!」
慌てて2人は天井裏から頭を引っ込め、遅れてがちゃりと天井裏への戸は閉められる。何かあったのかなと見上げれば、たたたと駆ける音が天井に響く。ははあ、さてはネズミでもいたかな。あるいは子供だけに見れる不可思議な生物か。
「いたっ、なにかいたわっ! けどもう怖くて行けないの。こうなったら……猫ちゃん、あなただけが頼りよ」
ぶぶぶと勢いよく黒猫は首を振り、少女の手から逃れようとジタバタもがく。そんな探検ごっこをしているころ、夕食を知らせるおじいさんの声が響いてきた。
「ええ、仕方ないわね。こうなったら明るい時間に出直しましょう。戦略的撤退よ」
こくりと2人は頷きあい、それから「はーーい」と元気良く返事をする。
やあ、相変わらずマリーたちは賑やかで楽しいね、などと思いつつ僕らは戦略的撤退をすることにした。というよりも夕飯目当てといったほうが良いだろうね。
さて、田舎で振舞われる食事は、見た目からして実に豪勢だ。
コンロの上には土鍋が乗り、暖色のあかりのなか煮立てられる。
昆布、そしてアラでたっぷりとダシを絞り、油が浮いてきたあたりで取り出す。
白菜、ネギ、豆腐やしいたけを並べ、くつくつしてきたころ味噌を置く。そしてまな板から直接ぼたぼた落としてゆくのは……。
「あれ、切り身に白子? いまは旬じゃないはずだけど……」
そう尋ねると、おじいさんはにやりと愛嬌のある表情を見せる。相変わらず不思議な人だけど、もうひとつ入れられた具材はさらに驚かされた。
白子よりほんのり色づき、コラーゲンたっぷりの照りがあるこの素材は……。
「海のフォアグラ、あんこうの肝だ。汁の味がずうっと深くなる。あれ、マリアーベルちゃんのその顔は、初めて鍋を見るようだね」
「いえ。鍋は食べたことありますが……魚は初めてです。だって臭みがあるでしょう?」
くすりと皺くちゃの顔を残し、また台所へと戻ってゆく。その間も鍋からはくつくつと音がし、味噌のふんわりとした香りに居間は包まれる。
「一廣、酒はどうする? もらったやつがあるんだけどさ」
「あ、いただきます。日本酒ですかね」
箸やお椀などの配膳を手伝っていると、おじいさんはコタツにごつんと日本酒を置く。それを見てマリーと黒猫は瞳を丸くさせた。
「わ、きれいなピンク色をした瓶。それに桜の絵が描いてあるわ」
「俺はてっきり飲める子が来ると思ってたからね。あれ、外人さんならひょっとしてお酒は平気なのかな?」
こく、り……。
ぎこちなくマリーが頷くと、わははと気持ちよい笑い声をする。つるりと白髪頭を撫で、それから卓上には3つの杯を置いた。
それぞれ席へと座り、鍋の具材をひっくり返しているころにボーンと時計が鳴る。どうやらもう7時を過ぎようとしているころだ。
「ま、今日ばかりは細かいことはいいや。こいつは女性向けの酒でな、せっかくだし一緒に空けようと思ってたんだ」
「へえ、こんなお洒落なのもあるんですね。観光客向けかな?」
とくとくと透明な日本酒は注がれ、まずは食前にひと口いただこうか。
舐めるよう舌へ乗せ、そして喉をごくりと通り抜ける。あれ、と思ったのは日本酒にしては飲みやすく、それでいて果実に似た後味があることか。
見ればエルフの少女もフルーティーな味わいに瞳を丸くさせていた。
「わあ、喉からおなかまで温かくなるわ。ずいぶん飲みやすいのねえ」
にかりとおじいさんは笑い、ちょうどそのころ鍋は食べどきになったらしい。椀にはたっぷりと具を乗せられ、いただきますという声が居間へ響く。
おそるおそる箸で掴み、ひとくち少女の口へと放り込まれる。分かっていたけれど、確かにこれは驚くだろう。
「うはあ……っ! 溶ける……っ!」
なにしろ海のフォアグラ、あんこうの肝だ。それが一気に溶け、上質な味わいがぐわりと口のなかいっぱいに広がる。パンチのある味といえば良いだろうか。
それのソースが絡んだ白子など、とろとろとした舌触りだというのに芳醇な海の風味を伝えてくる。
たまらず少女は「うあんっ!」と身もだえ、飲み込んでしばらくしても動けない。
「おいしいー……っ! ああ、もうそれしか言えないわ。え、魚? どうして魚がこんなに複雑な味をしているのかしら」
などと味わいを確かめるよう少女の箸は進む。
がつがつという表現には至らぬが、味わいに飲み込まれているようにも見える。味噌とダシの染みた白菜、ほくほくした歯ざわりの香りあるしいたけ、それらを楽しんだ後は日本酒がきれいに洗い流す。
「ねえ、カズヒホ。同じものを食べているのにどうして味に飽きが来ないのかしら」
「鍋の良いところはね、時間が経つと味わいがより深まることだよ。だから空っぽになるまで楽しめる」
ズズと汁をすすり、ほおうと熱っぽい息を吐く。その舌鼓を打つ様子がたまらないらしく、おじいさんも満面の笑みを浮かべていた。
素直なマリーは喜怒哀楽をそのまま伝えてくれるので、見ているほうまで味を楽しめる気になれる。パンと肩を叩かれたのは「良い子を見つけたな」という意味があったかもしれない。言葉にせずとも伝わるものがあり、僕らは自然と笑みを浮かべてしまう。
「なんだ、付き合いが長そうだっていうのに、まだ一廣の名前を覚えてないのか」
「え、カズヒホ、でしょう?」
日本酒で頬を染めつつ、きょとりと少女は瞳を見開く。
ちちちとおじいさんは指を振り、「かず、ひろ」と訂正をされ、少女の疑わしげな瞳がこちらを向いた。……あ、そういえばすっかり忘れてたな。
「うん、名前設定を間違えてね。本当は一廣って言うんだよ」
「あなた、自分の名前を間違えたの!? ちょっと、今までずっと間違えて呼んでいたなんて恥ずかしいじゃない」
袖を引かれたが、日本酒に酔ってるせいか半ば抱きつかれたようになる。聞いているのかしらと囁かれ、ぐいと顎を肩へ乗せられると……だいぶ近いです、マリアーベルさん。
「ねえ、何て呼んで欲しいかしら、一廣さん」
鼓膜を震わすその声も、脳髄を溶かそうとするよう艶かしい。
熱を持った身体、わずかに香る酒気、とろりとした瞳を真っ直ぐに向けられると僕まで酔ってしまいそうですよ。
「はあ、絡み上戸かあ。良かったな、一廣。えらい別嬪さんに捕まえられて」
「やっぱり聞いていないのね。あとでたっぷりと頬をつねりますよ、一廣さん」
はい、久しぶりに汗をかいてしまいましたよ。なにしろ2人の年齢は僕の数倍あり、左右から絡まれるとお手上げだね。
ひとり黒猫は小分けの椀をかつかつと食しており、ぐふふと笑いそうなほど瞳を細めていた。
たまらないご馳走に囲まれ、ひさしぶりの育ての親に会い、古ぼけた居間には長いこと笑い声が響く。
食事と酒を律儀に往復する黒猫は、もうひとつ大きな笑いを誘ったようだ。
※注意、普通のおにゃんこには鍋やお酒を与えてはいけません。




