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第66話 歯磨きですよ、エルフさん

 

 ガラリとお風呂場から出ると、洗面台の隣には紙が貼られていた。タオルで頭を拭きながらそれを見る。


 紙には3つの入浴剤の名が書かれていた。秋田の乳頭温泉、キャラクターが万歳しているもの、そして僕の選んだ安眠用入浴剤は最後に控えている。


 うん、マリーの選んだ入浴剤もそれほど悪く無かった。

 キャラ物のパッケージをしているせいで油断をしたけれど、緑色をした湯船には樹木の香りが広がり、また入ってみたいと思えたのだ。


 ふむと頷いてから近くのペンを持ち、きゅっきゅっと星を埋めてゆく。というわけで「香り」は星4つ。そして「湯の雰囲気」も星4つだ。


 そして備考欄には「鉛筆になった気がしました」とコメントを書いておく。細かいことに他の人の評価を見れないよう覆われているので「誰の入浴剤が一番か」という戦いは公平……なのかな。


 2人とも仲が良いのに、こういう戦いは手を抜かないなぁ。などと思いながらパジャマへの着替えを済ませ、がらりと戸を開けた。



 2人はベッドへ腰掛けており、おかえりなさいと少女は手を振る。そして問題のウリドラはというと……あいかわらず何かを作っていた。


 覗き込むと指先から糸を飛ばし、チリチリという音を立てている。朝からずっと作業をしているようだけど、いったい何を日本へ生み出す気なのだろうか。

 気になって仕方ないので隣へ腰掛けると、黒髪のあいだからチラリと瞳を向けてきた。


 一言も話さないことからも、かなり集中しているのだろうと分かる。空気を読める僕らはおとなしく見守った。


 どうやら五百円玉大のものへ魔粒子をふきかけているらしく、描かれてゆくものは精密機械の基板とよく似ていた。エルフの少女も気になるらしく、一緒にじいっと覗き込む。


 チリチリチリ、チリ……っ。


 やがて、しゅうと煙を吐き、精密な加工は終わったらしい。ほっとウリドラは安堵の息を吐き、それから蓋を閉じてパチンと鳴らす。


「さて、動くか試してやろう。……“猫になれターク・イッシ・アプ”」


 不可思議な旋律は恐らく竜語だろう。彼女はそのような言語を用いて魔術を操る。……けれど、ここが江東区だということを忘れてしまいそうになるね。


 と、見つめる僕らの前へ、すうっと黒い影が現れた。宙からこぼれ落ちるよう、それはぽすんとベッドへ降り立つ。黒毛に覆われた小さな身体、すっと伸びた尻尾。にう、と鳴く声に瞳を見開いた。


「わ、猫ちゃん……じゃなくて使い魔! この世界でも呼び出せるの!?」

「普通なら無理じゃろう。なにしろこちらの世界には魔術を成すための仕組みシステムが無い。しかし、この擬似的なコアがあれば別じゃ」


 ウリドラは笑みを浮かべながら黒猫の顎先をクリクリと撫でる。たまらずマリーも近寄ると黒猫はくるりと振り返り、ご挨拶として指先を嗅ぎ始めた。

 すんすんと猫は時間をかけて嗅ぎ、そして満足そうに鳴く。毛並みを擦りつけてくるのは「触ってどうぞ」の意味だろう。


 いつの間にかマリーも猫との会話が上手になってるなぁ。首の後ろを掻く光景を眺めていると、ウリドラはくるりと振り返った。


「無論、使い魔をただ作ったわけでは無いぞ」


 そう言い、ちょいちょいと僕を手招きをしてくる。

 不安もあるけれど、何をするのかが気になって仕方ない。おずおず近づくと黒猫と同じよう顎先へ指を当てられ、くいと少しだけ上向かされた。


 ほっそりとした指が伸ばされ、そして耳の裏側にペタリと張られた感触が残る。きゅう、と吸い付くような音が鳴り、驚かされてしまう。


「え、なにをしているのかな、これは?」


 しかし問いかけへの答えは無く、しぃ、人差し指を立てて楽しげに微笑んでいた。

 よく見れば黒猫には首輪があり、先ほどウリドラが作った擬似核コアと思わせるが……。


 にう、と猫は鳴き、その飾りが光った。

 ウリドラが互いのコアへ触れると同時に、僕の耳へ不可思議な言葉が流れた。


通話ラインを開始しました」


 えっ……!?

 同じ音声が猫の飾りからも発せられ、マリーと見つめあってしまう。通話ラインというのは夢の世界で触れた技術であり、魔具を通じ会話をすることができる物だ。


「まさか、通話ライン!? 夢の世界の技術を組み立てたなんて!」

「ふ、ふ、無論、わしは人より劣るものなど作らぬ。通じる範囲も精度も媒体の小型化も、彼らのものとは比べ物にならないほどじゃぞ」


 ああ、これは驚かされる。まさか夢の中から技術を持ってくるだなんて。


「技術を盗むという言葉はあるが、これはそう簡単なことでは無い。なにしろ構造を理解した上で全て分解し、根本から発想を変え、先ほどの要件を満たせるよう組み立て直したのじゃからのう。さて、これで魔導竜の実力を思い知ったかの?」


 いやはや、驚きのあまり彼女が何を言っているのかよく分からない。やはりマリーも同じように口をパクパクさせているきりだ。


「凄すぎて言葉が出ないわね。ええと、つまり何ができるのかしら」

「つまり僕が仕事に行っているあいだも、こうして話せるってことかな」


 あっ、と少女は大きな声を響かせ、そして黒猫を抱き上げる。ちうちうとピンク色の鼻を擦り付けられ、少女はくすぐったそうに笑った。


「わあ、あなたは小さくても凄いのね。名前は決まっているのかしら」


 などという少女の囁き声まで聞こえてくる。

 ふむ、ようやくウリドラの狙いがわかってきたぞ。振り返るとやはり彼女は満足げな表情をしていた。


「かわりに旅行にはその使い魔を連れてゆくのじゃぞ。そうすればわしも感覚だけ共有できるからのう」


 なるほど、あれだけ集中していたわけだ。僕とマリーには電話機能を。そしてウリドラは情景を楽しめる、ということか。


「もちろんお安い御用だよ。それに次の旅行はちゃんとウリドラも連れていくからね」


 にっこりと彼女は笑い、それから魔具の使い方について僕らへ教えてくれた。いやあ、未来から来たのかと思うくらいウリドラは道具を開発してしまうね。




 さて、ゴールデンウィークという休みを迎え、迷宮では階層主の一体を倒し、新たな戦利品、技能スキル、そしてこの魔具を手に入れたのなら、これはもうビールと焼肉しか無いでしょう。


 ホットプレートの上で、じょわりと煙を上げる焼肉を見て「うわあ」と2人は瞳を輝かせた。いやもちろん焼肉というものはごくシンプルな料理であり、たとえ夢の世界でもあるものだ。


「違うの。ぜんぜん違うのよ。あっちのはね、ぜんぜん汚いお肉だし匂いもひどいの」

「そうじゃあ、食ったことのないおぬしには分からぬじゃろうが、肉の管理がまるでなっておらぬ。ほんに野蛮な世界じゃあ」


 あれえ、魔導竜といえば頭からバリバリと獲物を食らうイメージなのだけれど。2人とも、もう日本食に慣れすぎているんじゃないかな。


「まあ、ウリドラへ今夜はご馳走をすると約束したからね。ではこれからの連休を祝おうか」

「ふふっ、そこは最速で階層主を倒したことを祝うべきでしょう。だけど私も連休のほうが嬉しいわ」


 にんまりと皆で笑い、そしてビールグラスをぶつけ合った。


「「かんぱいっ!」」


 がちんとグラスが鳴ると、わっとそれぞれの箸が伸びる。放っておくとお肉ばかりを取りそうなので僕がよそってゆこうか。

 箸の握り方はまだ不安だけど、美味しいものが食べれるなら頑張れるものだ。焼きたてでほんの少し焦げ目が付いたお肉をタレにつけ、そしてご飯と一緒にバクリと食す。


「んお、やっこいっ! 甘じょっぱいタレが焦げ目に絡んで……んんっ、焼肉美味しいっ! やっぱりご飯と合うよぉ……っ!」

「くふうっ、旨みが染み出てきおる! ンゴッ、ンゴッ……おふううっ、たまらなくビールが合うのうっ!」


 モグモグと咀嚼をするときだけ大人しいものの、小皿に乗せた分が無くなれば次を求めてくる。せっせと焼きながらも、肉と野菜の配分をどうにか調整しよう。


「わっ、玉ねぎがほっくりして甘いっ! この甘ダレ、ひょっとして何にでも合うのかしら?」

「こっちは塩ダレだよ。あとレモンもあるから試してごらん」


 野菜自体の甘みもあり、どうやらお肉以外も楽しめているようだ。もくもくとホットプレートは煙を上げ、換気扇は全力で頑張っている。部屋へ染み付く匂いを嫌う人も多いけれど、こうして美味しそうな匂いに包まれてこそ焼肉だなあ、なんて思うよね。


 そうなると食す前から脳は「これは美味しい」という信号を送ってくる。たっぷりの唾が出ている口内へ肉を届けると、想像どおりの肉感、そして味わいが待っているのだ。

 それが堪らないらしく、2人のビールグラスは次々と空になる。


 うふう、とマリーは熱っぽい息を吐き、ゆっくりとこちらを見上げてくる。お酒にさほど強くないエルフはこのあたりで限界だろう。


「私ねぇ、もうビール派になったと思うわ。ワインよりずっと楽しめているもの」

「料理によるだろうけれど、焼肉は僕もビールだね。お酒はとにかく色んな種類があるから、旅のあいだも確かめてみようか」


 こっくりと緩慢な動きで少女から頷かれる。

 とはいえ食欲が消えることはなく、肉と野菜、そしてお米というシンプルな料理を2人はたっぷりと楽しんでくれた。




 さて、明日は出発が早い。

 こちらの世界も夢の世界も、急いで進めたいところだ。


 そういうわけで、おねむになったマリーを抱え、しゃこしゃこと歯みがきをしてあげている。洗面台に映る少女は、半開きの口をしたまま、うつらうつらと船をこいでいた。たっぷりと食べ、そしてビールを楽しんだせいだろう。


 小さな手で僕の腕をつかんでいるが、どうにもあやうい。今にもくにゃりと垂れてしまいそうだ。

 ウサギ柄のパジャマ、それに半分ほど瞳を閉じた様子といい、どこか子供のようで可愛らしい。もう少し口をあけてとお願いすると、あんっと唇は開かれる。


 しゃこ、しゃこ、しゃこ。


 歯を磨いてゆく様子を、ウリドラは不思議そうに見つめていた。彼女はお酒に強いようで、僕以上にたっぷり飲んでも問題無いらしい。


「相変わらず甲斐甲斐しいのう。わしの歯も磨いて欲しいと言ったらどうするのじゃ?」

「え、もちろん磨いてあげるよ。困っているならだけど」


 もちろん気恥ずかしいけれど、ただの歯磨きだからね。などと考えていたら、歯ブラシを咥えたままウリドラはブフッと吹き出した。そのままくつくつと笑い、磨くのを諦めたよう口をすすぎタオルで拭く。


「いやはや、マリーもそうじゃがおぬしも相当なお子様じゃな。ふ、ふ、そのままたっぷり楽しむと良い」


 ぽんぽんと僕の肩を叩き、そのまま彼女はベッドルームへと向かってゆく。しかし今のはどういう意味で言われたのだろう。取り残された僕はポカンとしたが、歯磨きを進めなければと少女へと顔を向ける。


 と、そこでようやく気が付いた。

 ぬめる唇は桜のように色づいており、そのなかへと歯ブラシは入り込んでいる。小さな舌、そしてこちらをゆっくりと見上げてくる瞳と交差し、その光景に心臓は跳ねた。


 あ、これは……けっこう恥ずかしいかもしれない。

 気が付けば、じっと目を合わせたまま少女の歯を磨いている。とろんとした薄紫色の瞳はゆっくり瞬きをし、宝石のように輝いていた。


 きゅっと裾を握る少女の手は強まり、はああと色づいた唇は息を漏らす。華奢で小さな外見だというのに、ほんのりと染まる頬は大人のような色気を感じさせた。


 どうやらウリドラの一言により、僕はマリーを意識してしまったらしい。とたんに歯ブラシはぎこちなくなり、しっかりと磨くまで長めの時間をかけてしまう事になる。


 少女はコクリとコップの水を含み、そして洗面台へと吐き出す。タオルを持つと顔を近づけ、その唇を拭かせてくれた。


 そのまま向き合うと、ごく自然に少女は抱きついてくる。

 あ、これは……。

 ふかりとした柔らかさ、そして女の子の匂いに頭はクラリとさせられてしまう。どくどくと鳴る心臓に少女は小首を傾げ、それでも顎を肩へと乗せてきた。


 どうにか息を静めると両ひざを合わせてかかえ、反対側の手で背中を支える。ふわりと少女の身体が浮くと、すがりつくようマリーのすべすべな頬は押し付けられた。

 そうして歩きかけたとき、少女はぽつりと耳元へ囁いてくる。


「これね、好き……。ふわってするから……」


 甘えるようなその声に、ようやく僕の心臓は静かになってくれた。信頼しきっている声であり、すうっと寝息を響かせたことに何故か安堵したのだ。



 ダウンライトの灯りのなか、静かに少女をベッドへ横たわらせる。首を支えてやり、きしりとベッドは沈んだ。その向こう、奥側にはにまにまと笑うウリドラがいた。


 布団へ寝そべり、覗く素肌は薄暗い中でも強調されている。元から肌が白いせいだろう。


「なんじゃ、その目は。恨みがましい目をしおって」

「え、そんな顔をしてたかな。ただ訂正しておくよ。ウリドラの歯を磨いてあげることは無さそうだ」


 くつくつと竜は笑い、招くよう布団を持ち上げてくる。少し驚かされたのは裸体ではなく薄いネグリジェを着ていたことだ。まあ、それだって刺激的な服装だと分かって欲しいけど。


「なんだかんだ言ってマリーに甘いよね、ウリドラは」


 そう言いながら隣へ潜り込むと、黒曜石じみた瞳は意表を突かれたよう開かれる。


「あんなに嫌がっていたのに寝るときも服を着ているし、使い魔だって本当はマリーのために作ったんじゃないかな」

「たわけ、甘いのはぬしら2人に、である。ふ、ふ、おぬしも十分に可愛らしいと知っておいた方が良いぞ」


 などと言われ、つんっと鼻を押されてしまったよ。

 この年になって可愛いと評価されるのは微妙な気持ちになるね。とはいえ、それを言うなら齢百歳であるエルフのほうが抵抗あるか。


 反論を諦め、おとなしく横になると、彼女は自然と頭を乗せてくる。もう何度となく一緒に眠りについているので、こちらも少しだけズレて微調整を済ませた。

 満足したのか、ふうと吐息を漏らすウリドラ、そしてのったりと脚を乗せてくるマリーに囁きかける。


 おやすみなさい、2人とも。また夢の中でね。


 ぐう、というマリーの返事に僕らは苦笑した。

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